HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
おさるの年にゴリラの話を。

いい時間をつくろう

山極
「ふつうが100点」という考えは、
僕が思っていることにも通じるところがあります。
それは、「勝敗重視の社会」なんですね。
ゴリラを見ていて強く思ったことですが、
勝とうとする気持ちと、負けまいとする気持ち、
これが今の現代社会では混同してるんです。
糸井
はい、はい。
山極
人間社会では、負けたくないということと、
勝とうとすることは一緒だと語られているんです。
でも、ゴリラの社会というのは、
勝とうとする社会じゃなくて、
負けまいとする社会なんですよね。
ゴリラには、負けたという意識がありません。
子どもでもメスでも、
身体の大きなオスゴリラに迫られようが、
ぜんぜん負けませんから。
イヤなのは、イヤ。ダメなのは、ダメ。
どんな相手にも敢然と向かっていくわけですね。
それがね、すごく美しく見えるわけですよ。
糸井
いやあ、いいですねぇ。
山極
結局、人間の社会って、
そっちから来たんじゃないかと思うわけ。
ニホンザルとゴリラは違っていて、
サルは、勝つ社会なんです。
ケンカを未然に防ぐために、
はじめから勝ち負けを決めちゃうんです。
お互いにヘンな争いをする必要はありませんよね。
たとえば、目の前にポンと食物が置かれたとして、
相手の身体が大きければ自分は絶対に手を出さない。
負けと勝ちが、はじめから決まっているわけですよ。
糸井
安上がりな社会ですね。
山極
安上がりで、効率的なんです。
どっちが取るのかと交渉したり、
分け前を決めたりする手続きの必要がないんですから。
でも、そういう手続きを踏むことによって、
相手の気持ちだとか、状況だとか、
あるいは、譲ったあとでなにか譲ってもらえる、
みたいな交渉も生まれたりするわけですよね。
でも、それにはお互いに対等でないといけない。
「今日は譲ったけど明日は譲ってね」みたいなことは、
お互いに負けたくないという気持ちを持ち合って、
了解するからこそ、生まれる話ですね。
そっちの社会に、僕らはいるんじゃないかと思います。
糸井
そうですね。
山極
だけど、一方で勝ちたいとみんなが思っていて、
勝者をみんなで褒め称える社会が助長されています。
親も子どもに、勝つことを強いるんです。
子どもって負けず嫌いですから、
ほんとは負けたくないって思うわけですよ。
だけど、その「負けたくない」が
「勝ちたい」と思ってるんだと親が誤解して、
絶対に勝ちなさい、とおしりをひっぱたく。
そして勝ったらご褒美をあげて、みんなで褒め称えて、
ずーっと自分が勝たなくちゃいけなくなるんです。
でも、勝つためには相手を押しのけなくちゃいけないし、
屈服させなくちゃいけないから、
他人に恨みを持たれるか、避けられる。
トラウマにとらわれて、最終的に孤独になるんです。
糸井
友だちがいなくなるんですよね。
山極
でも、「負けたくない」という気持ちの先にはね、
友だちはいなくならないんですよ。
相手と対等なんですから。
しかも、相手に貸しができたら、
また返ってくるというやり取りが生まれるわけで、
それが社会をつくる源泉じゃないでしょうか。
糸井
その「負けたくない」というのを、
もう一度、日本語を日本語に翻訳しなおすと、
「死にたくない」ですね。
山極
あぁー、なるほど! それはそうかもしれない。
糸井
さっき話した愛護団体では、死にそうな犬猫でも
処分されないように持ち帰ってきちゃうんです。
だから、死に立ち会う回数がものすごく多いんですが、
動物って、どんなに臨終に近いところにいても、
手厚くしている限りは、生きるつもりでいるんですよね。
山極
自分が不幸な境遇にいると思わないんですよね。
しかも、未来に託すということもしない。
糸井
今を生きている。
山極
そう。今を生きている。
今、共に生きる仲間が重要なんです。
だから、相手との関係とか、
やり取りを大事にするんですよね。
糸井
明日があるとか、ないとかじゃなくて、
今、次の時間があるという生き方をしている。
「もう先はないかもね」というのは人間です。
動物たちには、先のことなんてないんですよね。
山極
糸井さんがおっしゃっていた
手も触れられないような動物が、
時間が経つことで愛おしく、
みんなの人気者になるというのはね、
自分の時間を相手と共有した、その想いなんですよ。
糸井
うんうん。
山極
僕が最近すごく思うのは、
時間というのが、コストと考えられているということです。
時間は自分のものだと思っていて、
時間を使うことは損だと言われている。
自分のために時間を使うのはいいけれど、
他人のために使うのは、見返りがないとやっていられない。
そうじゃなくて、相手のために時間を使うことは、
じつはとても幸福なことなんですよ。
その考えを一番知っているのは、お母さんですよね。
糸井
あー、そうですねえ。
山極
子どもがかわいいから、一所懸命に世話をするんですが、
共に過ごした時間が、お母さんの喜びなんです。
それって、コストじゃないはずなんですよ。
糸井
そうです。
山極
人間って、そういうふうに生まれついていてね、
ほかの動物もそうだと思うんです。
とりわけ人間というのは社会的な動物だから、
共に過ごした時間が自分の時間なんですよね。
自分だけに時間を与えられてしまうと、
それは孤独の時間であって、
その価値というのは証明のしようがないんですね。
でも、他人と一緒にいて、なにかを話したり、
なにかを一緒に食べたり、映画の鑑賞をしたり、
スポーツをしたりした時間というのは、
間違いなくたのしい時間であり、
自分にとって貴重な時間であるはずなんですよ。
糸井
僕が思っていることと、まったく同じです!
僕は今、自分たちのやっている仕事を、
「いい時間をつくる仕事にしよう」と言っているんです。
山極
うん、うん。
糸井
たとえば、つまらない映画を見たら、
悪い時間だったと思っちゃうんですよ。
でも、動物を助けなきゃと思って、
一所懸命に世話をしている時間というのは、
あとで、いい時間としてカウントされるんですよね。
損か得かで動くというお金のことでジャッジすれば、
カツアゲして奪った10万円でも
経済行為としてはプラスになりますが、
悪い時間だということを、本人は知っているんですよね。
山極
典型的な例はね、宝くじで1億円当てた。
一瞬のうちに当たるわけですよ。
だけど、その1億円の価値はうまく使い切れません。
でも、自分が一所懸命に努力して、
いろんな人と交渉を重ねて1億円稼いだなら、
これはすごくいいお金なんですよね。
それはね、時間とお金が対応しているからなんです。
糸井
そうですね。その時間を、経済効率として数字に出すのは、
僕はどうしても納得できないんです。
その考えに重要な影響を与えたことがあって、
アメリカで優秀な学生たちの一番就職したいところが、
識字率を高めるためのNPOだったということです。
山極
はあー。
糸井
NPOで自分の時間をどう使うかと判断して、
それが1番だということが不思議じゃありません。
これからは社会も、そうなっていくんだと思いました。
山極
東日本大震災のあとも、
いろんなNGOが被災地に行って人々を助けました。
自分のお金を使って現地入りしたわけですが、
その時間は、彼らにとって決して無駄ではないはずです。
糸井
いい時間なんですよね。
僕らも、会社としてどう利益を上げるかと考えるときに、
利益の中には、「いい時間を得た」という
利益が絶対にあるんです。
会社の目的は、いい時間を人につくってもらうこと。
だから、一銭にもならないことでも
僕らは積極的にやるかもしれません。
でも、もしかしたら何かで儲かるかもしれないし、
いい買い物をしたら、その買ったものが
いい時間をつくってくれるかもしれない。
山極
そうですね。
今は時間が、経済価値で動いているから
いいと思った時間が、はっきりと金銭になって
戻ってこない可能性もあります。
でも、それは必ず、なんらかの収穫になるはずですよね。
糸井
今は、「儲かる仕事だから募集します」というのしか、
あっちゃいけないことになっていますよね。
でも、「儲からないけれど、あなたの力を必要としてます。
充実した時間を感じられると思います」という
呼びかけだって、あるはずだと思うんですよ。
山極
ある。ありますよ、それは。
糸井
先ほどの勝ち負けの話ですが、
人間って、「負けたくない」という気持ちだけだと、
張り合いがないんですよね。
おそらく、シンボリックに勝ち負けをつけるためには、
たのしく演出することだと思っていて、
それを僕は「ゲーム性」だと思ってるんですよ。
山極
スポーツがそうだからね。
糸井
そうです、そうなんです。
「死にたくない」だけなら退屈になるんですよね。
退屈という歪みから生じたやるせなさを、
芸能だとかで優劣をつけたり、
無駄だけどたのしかったという、
線香花火みたいなものをつくっているというのは、
ゲーム性というところに、なにかあるんだろうな。
「やさしく、つよく、おもしろく」の「おもしろく」が、
チームの個性になると考えたんですよね。
山極
ゴリラもね、遊びを非常に長くするんですが、
その遊びの中で「ターンテイキング」といって、
役割交代を頻繁にやるんです。
追っかけたり、追っかけられたり。
押し付けたり、押し付けられたり。
わざわざやって、対等性を保っているんです。
人間の場合ね、糸井さんが言ったように、
勝者をつくって高揚感を演出するのも、
チーム同士のつきあいが可能になったからです。
糸井
そっか。高度ですね、それは。
山極
それはやっぱり、人間の知性によるんだと思います。
ゴリラの場合にはチームの中でやるしかない。
ゴリラの集団は、非常に排他的ですから。
人間は、ある目的のために集団を組んで、
目的を達成するために、みんなが協力しますよね。
そのときに、同じことを目指してやっている
チームと競い合うんですね。
競い合って、勝者というのを決める。
これはね、チームの中ではたのしいことなんですよ。
でも、それは「スポーツである」という
ルールの中で行われているからいいわけで。
糸井
そうですね。一種の限界芸術なんですよね。
山極
そう。だから、チームというか集団がまとまって
ほかのチームと協力も敵対もできるようになったときに、
ゲーム性が出てきたのかなという気がしますね。
糸井
ああー。おもしろいですね。
特に、今の時期にこういうことを
言いやすくなった気がしますね。
山極
今はすごく混乱してますからね。
本来のコミュニケーションはなにか、とか、
共感とかね、喜びとか、幸福感みたいなものを
どうやって得られるかというのは、
それが、ほんとに技術で得られるのか、
あるいは、作法みたいな話で得られるのか、
そこをみんなが一所懸命になって
探し求めているような気がしますね。
糸井
ぜんぶトライする価値がありますよね。
安上がりの方法はひとつも見つからなくて、
政治家が解決するのか、金持ちが解決するのか、
というのは、どっちも解決しない。
インターネットも解決しない。
ぜんぶを混ぜていくしかないんでしょうね。
山極
制度をいくらいじってもダメなんですよね。
もう一回、文化のつくり方、みたいなものを、
考え直したほうがいいんじゃないですかね。
糸井
ふつうに暮らしているライフの中に、
ぜんぶが入っているんです。
山極
ありますね。
糸井
いや、お正月の対談っぽくなりましたね。
僕はもう、我が意を得たりでしたよ。
山極
いやあ、こんなに意気投合するとは。
これはね、ゴリラのおかげですよ!
糸井
みんな好きなんですよ。ゴリラ。
それでは、ぜひまた。
山極
そうですね。
糸井
はい。ありがとうございます。


これで、2016年の新春企画、
山極壽一先生と糸井重里の対談はおしまいです。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました!

2016-01-08 FRI
HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN