私、ほぼ日の松本には
「灯台守」という職業への憧れがありました
(
こんなコラム
を書いたくらいです)。
でも、具体的にはどんなお仕事だったのか、
そういえば詳しく知りませんでした。
どんなことを考え、
どうやって灯台の光を守ってきたのだろう。
日本最後の有人灯台「女島灯台」で、
灯台守の歴史を見届けた前畑正信さんに、
うかがってきました。
灯台守は、やっぱりかっこよく、
想像以上におもしろかったです。
前畑正信さんプロフィール
前畑さんのお住まいの北九州市にある、
「部埼灯台」におじゃましました。
前畑さんと、前畑さんとともに
灯台につとめていた、門司海上保安部交通課の
木下(きした)さんがご案内くださいました。
前畑
この建物のなかには、
関門海峡の潮流信号を電光盤に表示する
機械が入ってます。
古い建物なので、暖炉とかね、まだありますよ。
──
灯台守の方は、
一日じゅう灯台のなかにいたんですか。
前畑
そうだね。昔はもう、24時間交代で
勤務してたから。
灯台になにかあったら、
すぐ修理できないといけないし。
いまは電気でモーターを回しているんだけど、
昔はね、分銅の重りを塔のなかにぶら下げて、
それを巻き上げて振り落とす、
その落ちる力で灯台を回していたんです。
だからね、高い灯台は巻き上げるのが大変だった。
4、5時間おきぐらいに
1回巻き上げよったわけですよ。
──
けっこう重労働ですね。
前畑さんたちも、それをやったことがあるんですか。
前畑
ない。
木下
ないんですよ。
──
あ、ないんですね。
木下
自分たちが現役で灯台で働いていたときは、
もう全部、電気に変わっていましたから。
いまはモーターで回っています。
──
じゃあ、基本的には、
ちゃんとモーターが動作してるかを
見張ってらしたんですね。
前畑
灯台は、なかの電球が点滅している
イメージがあるかもしれないけど、
多くの場合は電気はつきっぱなしなんです。
レンズが回転することによって、
光が通ったり遮られたりして、
あたかも点滅しているように見えます。
そして、それぞれの灯台によって全部、
レンズの枚数や回転のしかた、
つまり「光り方」が違うんですよ。
だから、1分間に4回光る灯台や、
3回光る灯台などがあって。
木下
船が航海に使う海図に
「この灯台の光り方はこれ」っていう情報が
載っているんです。
視界に入っている灯台の光り方を
それに照らし合わせれば、
自分の船がどこを走ってるかが、
なんとなくわかるわけです。
前畑
光り方のことを「灯質」って呼ぶんですが、
モーターが故障してレンズの回転がずれてきたら、
その灯台の灯質が変わってしまいます。
すると、見えている灯台がどこの灯台なのかが、
わからなくなってしまうんです。
航行中にどれがどの灯台かわからないと、
自分のいる位置を間違えて
陸に乗り上げちゃったり、落ちちゃったりするんだ。
だから、手動で巻き上げていた時代の灯台守は
けっこう神経を使ってたんやね。
──
灯台は、船に乗っている人が、
地図や進む方向を思い浮かべるために、
必要なものなんですね。
前畑
そう、絶対にね。
無線がない時代は、方位磁石を頼りに
灯台の近くまで来て、
灯台の光が直接見える距離になったら、
海図と照らし合わせながら進んだんです。
だから、灯台には常時人がいなければならなかった。
──
何人かの職員さんが、
交代しながら灯台に入っていたと聞きます。
何日くらいで交代があったんですか。
木下
ある灯台では、10日間ごとに3、4人が
交代していました。
巡視船かヘリで次の人が来るんです。
前畑
交代の予定が遅れることはあっても、
早くなることはなかったね(笑)。
海がしけると、交代のための船が来られないから。
──
「帰る予定だったけど帰れない、
食料も追加できない」ということがあったんですね。
木下
食料は、だいたいちょっと余裕を持って
用意していました。
前畑
10日から2週間ぶんぐらいはね、持っていって。
食事は職員が交代でつくるので、
「おれの当番のときはなにをつくる」って、
それぞれが買い込んでくるわけですよ。
──
ちょっと楽しそうです。
職員さんどうしで、ケンカとかはなかったですか。
前畑
ケンカはなかったけど、
それぞれ食の好みはあったから、
「島でこんないい魚が釣れるのに、
わざわざサンマ買ってくることないじゃないか」
とか、言い合うことはあったね。
木下
そりゃ、前畑さんみたいに釣りが好きな人は、
自分で釣るのでいいかもしれないけど。
ぼくは釣りの面白さがわからなかったから、
買って持ってくる派でした。
前畑
灯台守のなかにも、釣るのが好きな人、
食べるのが好きな人、どっちも好きな人、
そもそも魚が嫌いって人がいたんです。
魚嫌いな人と組んだら、大変でしたよ。
肉料理をつくらないといけないからさ。
魚好きな人なら、
釣れた魚さえ食わしとけばいいけど(笑)。
──
あはは。何日も一緒に暮らしていたら、
仲よくなるものでしたか。
木下
まぁ、仲よくはなりましたね。
前畑
なんにもないからね。
仲よくせざるをえなかったね、嫌でもね(笑)。
でも、私が最初に就任した草垣島の灯台はさ、
話が合う同年代の人じゃなくて、
定年前のおじいさんとふたりで行かされたの。
だからもうおもしろくなくて、おもしろくなくて。
じいさん、朝4時から起きるし、
夕方は寝るのも早いしね。
昔はすーごい癖のある人が多かったね。
──
海上保安庁の方のなかで、
どういう人が灯台の職員になられたんですか?
前畑
海上保安学校に「灯台課程」っていうのが
あったんです。そこで2年間勉強した人が
灯台に行ったわけです。
──
そうか、「灯台職員」になるための
勉強があったんですね。
木下
いまは船や航空機がメインで、
灯台の航路標識関係の課程は、
なくなっちゃったんですけどね。
だから、以前は灯台の光が消えてしまったら
自分たちで復旧作業をしていたんですが、
最近は、故障の内容にもよりますけど、
専門の業者さんに頼むことが多くなっています。
前畑
いまは機械が複雑になったのもあって、
専門的な技術がないと直すのが難しいんです。
▲今回の取材の写真を撮ってくれたのは、
「灯台守に憧れがある。いずれは灯台守になりたい」と
取材に同行してくれた、ほぼ日のデザイナー田口です。
(明日に続きます。
次回、普段は入れない、灯台の内部へ)
2026-04-13-MON
(C) HOBONICHI