おいしい店とのつきあい方。

035  シアワセな食べ方。 その26
朝にはおなかがすいている。

そのお客様はたのしい人でした。
ただ、その人がどこの人でなんという名前だったか、
今では誰も思い出せない。
父が当時経営していたうなぎ料理がメインの
レストランチェーンで、
ワインを扱ってみてはどうか‥‥、と、
売り込みにきた小さな輸入商社の
社長だったということだけは思い浮かんだ。


今でいう交流会のような集いで
父と名刺を交換した人でした。
それをたよりにわざわざ四国までやってきた人。
今のようにワインを飲む習慣そのものがなかった
昔のコトです。
さすがに日本料理の店でワインは受け入れられないに
違いない‥‥、と、商談そのものは成立しなかった。
申し訳ない。
お詫びのしるしに、
うちにでも泊まっていきませんか‥‥、
というようなことになった。
まぁ、そんなことが珍しくない家風で、
時代だった訳です。

せっかくだから、
サンプルで持ってきたワインを
みんな飲んじゃいましょうか‥‥、なんてことになる。

ボクはまだ子供だったから
お相伴に預かることは残念ながらできなかった。

ワインが好きだった母は料理に力が入る。
料理上手のボクのばぁやさん、
タマコさんと二人がかりで
塊のままの肉を焼いたり煮込み料理を作ったり。
ボクたちだけで食べるのはもったいないからと、
近所の父の友人夫婦も招いて
小さなパーティーみたいな夜になった。


たのしい夜でした。
ワイン産地を訪ねて歩いたときの話は、
ボクらのしらない世界の話。
産地、産地のワインに合わせた郷土料理の話なんて、
母が思わずノートをとりだしメモ取るほどにおいしげで、
あっという間に時間は過ぎる。
しかもおいしい話題は食も進ます。
テーブルいっぱいの料理もすっかりなくなり、
代わりにナッツやチーズ、チョコレートが
ワインのお供の時間になる。

子どもたちの寝る時間でした。
「おやすみなさい」
と言う前に聞いておかなくちゃいけないことがひとつだけ。
「明日の朝ご飯は何なの?」と母に聞く。
朝ご飯がなにかわからずベッドに入ると、
そのことばかりが気になって
なかなか眠ることができない体質の
肥満児くんのボクでしたゆえ(笑)。

母はお客様に
「明日の朝は何を召し上がりになりたいですか?」
と質問をする。
「子どもたちは7時くらいに朝食をとりますけれど、
もしよろしければご一緒にと思いまして‥‥」
と、質問は続きました。

「飛行機の時間を考えれば8時前にはお暇したく、
ただこれだけ食べて飲むと
明日、お腹が空いているかどうかわからない。
朝食をご無礼することもありそうだから、
どうぞ、みなさんが食べたいものを
お相伴できれば幸いです」
‥‥、と。
ならばと決まったのがオムレツと味噌汁。


このときの朝ご飯のメニューは
今でもしっかり覚えているの‥‥、
と母が懐かしそうに言う。

「オムレツにしたのは
ご飯のおかずにもパンのお供にもいい卵料理だから。
しかも前の夜にローストした塊肉の端材が
たっぷり残っていたから、
それと飴色にソテした玉ねぎを具材にした
贅沢オムレツを朝のメインに。
サイドに塩ゆでにしたキャベツに
カレー粉で風味をつけたものをタップリ。
いりこの出汁にちょっと濃い目に味噌をとき、
あおさと豆腐のお味噌汁。
本当はネ、疲れた肝臓のために
しじみかアサリで汁を作りたかったのだけど、
さすがに食材の準備がなくって、
それで濃いめの味付けのお味噌汁。
冷蔵庫の中にあった常備菜の煮物や漬物を
テーブルに並べてお客様をでむかえたのよ」

おいしそうですネ‥‥、
と言いながらもその人が手を付けたのはお味噌汁だけ。
ズズッとすすって、
「五臓六腑に染み渡る」とニッコリされた。
子供のボクには五臓六腑という言葉を使う人がいた‥‥、
という発見にビックリしたけど、
母は本当においしそうな満面の笑みが
印象的だったと言います。

「あんなにおいしそうに味噌汁を飲んでくれた人って
いまだにいなかったんじゃないかしら」
‥‥、って。
しかも味噌汁を飲みながら
その人はこんなことを言いました。

「スペインにワインを探しに行くと
いつも夜更かししちゃう。
夜のご飯がおいしくて、おいしくて。
バルを何軒もはしごして、気づくと夜中。
しかもお腹いっぱいで寝て目を覚ます。
まだ前夜のゴチソウの余韻が
体の隅々に残って空腹を感じない、
そんなときに濃いめのカプチーノをゆっくり飲むと
頭が動きはじめてくれる。
そのカプチーノのおいしいこと。
そして今朝のこのお味噌汁は
あのおいしかったカプチーノの
数倍おいしいごちそうでした」
‥‥、と。

その話を聞いて母はもうウットリです。
うっとりついでに食パンと作ったばかりのオムレツ、
キャベツをプレスサンドの鉄板で挟んで
ホットサンドを作る。
湿気がたまらぬようにアルミホイルで粗く包んで
三越のショッピングバッグにおさめて
「お昼にお腹がすいたらぜひどうぞ」
と手渡しフェアウェル。


「昨日、たくさんおいしいものを頂いたから、
朝にお腹がすきませんでしたこと、
残念でしかたありませんでした‥‥、と、
あんな褒め言葉があるなんて、
私はちょっと惚れたわよ」
って母は本当に懐かしがった。

それにしても皆さん、あれだけ食べても
朝からすごい食欲ですネ‥‥、
と、目をまんまるにしておどろく
ワイン商人さんの笑顔がボクにはなつかしい。
どんなにお腹いっぱい夜に食べても、
朝になったらお腹がすいてる。
お夜食を食べた朝ほど、
空腹で目がさめてしまったりする
体質と言うのか才能と言うのか‥‥、
我が家は今でもみんなふっくら。
それもシアワセ、また来週。

2018-07-05-THU