おいしい店とのつきあい方。

024 シアワセな食べ方。 その15
土地が変われば。

いくつもの質問に答えていくことで、
解答者の出身地を特定するという
ウェブサイトがあります。
定期的に、思い出したようにやってみる。
やるたびボクの出身地は高知県と特定される。
愛媛県の松山市、つまり中予地方の生まれ育ちなのに、
なぜだか高知県出身ですね‥‥、と言われるんです。

質問のほとんどは「◯◯◯という言葉を使いますか?」
というモノ。
中には自分は使わないけれど、
そういう人のコトを知っているという言葉がある。
中にはというよりも、
沢山あるといったほうがおさまりがよいほどで、
多分、ココで「使います」と答えると、
あの地方の人だと推察されるんだろうなぁ‥‥、
なんて思う。

ではボクの周りに高知出身の人がいたのかというと、
育ててくれたばぁやさんのタマ子さんは広島出身だし、
父と母の実家は香川県。
高知言葉を喋る人が周りにいたような記憶はないのに
ボクの中には高知言葉が染み込んでいるって、
なんだか不思議。


日本全国に出張するのが仕事でした。
しかも出張した先で、
人と出会って話をし、打ち解けることで
会社の部下が仕事しやすくなる環境を作ることが
ボクの主たる仕事でしたから、
知らず知らずのうちにそれぞれの地方の言葉が
染み込んだのでしょう。

自然と体の中に染み込んだのは
言葉だけじゃなくて料理もそう。
行く町、行く村で
みんなが毎日食べているおいしいものを食べて
たのしくおしゃべり。
地域の味と地域の言葉が手に手をとって
ボクの体の中にやってきて、
ボクが食べて育った料理や、
ボクがいつも話す言葉と混じり合って
「ボクというもの」が出来上がった。

どんなに変わった料理を食べても、
今まで聞いたこともない言葉を聞いても
「変」と思うことはない。
おもしろいなぁ‥‥。
不思議だなぁ‥‥。
なんでこんな料理や言葉が生まれて、
それが当たり前になったんだろうと、
ワクワクしちゃう。
すべてのことをまず受け入れて、
それから考えるという付き合い方が
今ではすっかり当たり前になり、
人付き合いで随分、得するようになったのです。


昔はそんなことはなかった。
好き嫌いの激しい子で、人見知り。
「今のまま」が一番よくって、
自ら変わらなくちゃいけないなんてまるで思わず、
自分の好みや考えに頑なでした。

生まれ育った松山という街が
そういう気持ちを抱かせてくれる
特徴があったのかもしれません。
保守的で、気候温暖、風光明媚。
そこそこ大きな街でもあって
なんでも揃っているように見える。
小学生の頃なんて、
松山という街が世界の中心だって、
なんの疑いも持たず信じていたくらいですもの。

転機は引越しとともにやってきました。
家族みんなで住み慣れた松山をあとに
関東まで来た。
引っ越した先は三浦半島の葉山でした。
地方都市とはいえ町暮らしのボクたちにとって、
環境は良くともそこは田舎で刺激の少ない小さな町。
ただ海の近くです。
しかも三浦半島には関東を代表する漁港があって、
だから魚はおいしいに違いないと、
引っ越したその日に母は魚屋さんに買い物に出た。

松山といえば瀬戸内の街。
祝い事で食べる魚といえば鯛です。
尾頭付きを買ってくるわね‥‥、
と言いながら勇んで家をでたのだけれど、
その日の夜の食卓に並んだ料理は
鯛の切り身を焼いたものでした。

「土地が変われば魚も変わるって本当ね‥‥。
ここの魚屋さんのショーケースの中は赤いの。
マグロが一番目立つ場所に置かれてて、
それに切り身が多いのネ。
魚屋さん曰く、
この界隈の漁港はほとんど遠洋漁業の船がつくから、
大型の魚が大きくて切り身で売るのが普通なんだよ、
丸ごと一尾で今日揃っているのは金目鯛、
真鯛ならば日本海であがったものの
切り身が今日はおいしいよ‥‥、って。
それで買ってきたのがこの鯛なんだけれど、
やはり鮮度が落ちるのよネ。
瀬戸内海の活け〆で身がぶりぶり、
弾けるような鯛なら刺身がおいしいのだけど、
今日の鯛は死んでいた。
だから煮付けにしたのだけれど、
瀬戸内のような鯛は
これから食べることができないかもネ。
残念ね‥‥」

って。

ところがその後、関東の鯛がぶりぶりしていないのは、
鮮度の違いじゃなくて文化の違いだと知りました。
食文化や習慣が「おいしさの基準」を
変えてしまうんだってしみじみ思わされる出来事に
サカキ家一同、遭遇します。

また来週。

2018-04-19-THU