お酒の世界の魅惑的なところ。
それは「多彩なお酒」が
世界中に存在していることところ。
「酒を愛する」とは、つまり、
見知らぬ酒との出会いをたのしむコトであり、
同時に自分の好みの酒を発見することであるに違いない。
それはあたかも、人と人とが出会い、知り合い、
友情や愛情を育んでいくような
たのしみに満ち溢れている。
バーという場所は、「酒と人が出会う場所」であって、
人との出会いを求める
寂しい人がやってくる場所じゃないんだよ‥‥、
というのがサンフランシスコで
ボクにブランデーをふるまってくれた
バーテンダーの教えてくれたことでもありました。

ただ、あまりにその選択肢は豊富で多彩。
どんなにお酒が好きで、鋼の肝臓を持った人でも
その全てを知ることなんて絶対に無理。
自分にあった酒を選ぶ、
その手助けをしてくれるのがバーテンダーで、
つまりレストランにおけるソムリエと
同じ役目を彼らは果たす。






強くはなくて、けれどどっしりとした風合いで
香りが後から開いてくる、
カジュアルなお酒を一杯いただけませんか?
と、彼らに告げて選んでもらうもの悪くない。
けれどもっと気の利いたヒントを
投げかけることができるとステキ。
ソムリエのワイン選びのヒントは料理。
食べたい料理をたのんでそれにあったワインを
いくつかサジェスチョンしていただけませんか?
と、お願いするのが一般的で、けれどバー。
料理に合わせたお酒ではなく、
お酒をたのしむためのお酒を
選んでもらうためのヒントは、やっぱり「お酒」。
好きなお酒の銘柄が、唯一無二のヒントになる、
というワケです。

類は友を呼ぶとでもいいますか。
例えば、高級なモノであればなんでもいい人。
新しもの好きの人。
とにかく珍しいモノや希少価値の高いものばかり選ぶ人。
癖のある味のお酒が好きな人なんじゃないかと、
そのお客様がファーストドリンクとして選ぶお酒で
そのお客様の好みを推察するのです。

ちなみにお客様たちが選ばれたコーヴァジェは
「芳醇だけど気まぐれで変化に富んだ、ボヘミアン気質」
のようなモノを感じますな‥‥。

バーテンダー氏のその言葉に、
ボクらが偶然選んだそれは、
なかなか正しくボクらのコトを
表してるじゃないのと思った。
偶然にしてはあまりの上出来。
そして彼が、残念ながら在庫のなかった
コーヴァジェの代わりにボクらに薦めてくれた、
オタールやカルヴァドスも
ボヘミアンな雰囲気を持つお酒なのです‥‥、と。

ボクらはためしに彼が薦める二種類のお酒をもらって、
なるほどこれがボヘミアンな味なのか。
ついでに、高級と誰もが認めるブランデーを
一杯ためしに飲めませんか?
と、お願いをしてレミーマルタンをみんなで分ける。
それぞれおいしく、
ブランデー同士に大きな違いがあるとは
まだ飲みなれぬ舌には少々むずかしく、
けれどたしかに一口目より二口目。
時間がたって飲めば飲むほど、
コッテリとした香りを発するオタールが、
たしかにおいしく
これに似たコーヴァジェとは
どんな飲み物なんだろう‥‥、と、
ますます気持ちはたかぶっていく。

どこならこれからコーヴァジェを飲めるでしょうか?

そうですね‥‥。
大きなホテルのバーであれば、
大抵、どこでも持っている。
けれど、それを「たのしめる」場所となると、
さぁ、どうだろう。

ナイトクラブのようであっては絶対にダメ。
座り心地の良いカウンター。
あるいは時間を忘れるほどに、
リラックスできるソファが置かれた静かなお店。
うるさい音楽をがなりたてるスピーカーが
ぶら下がっていないバー。
音はせいぜいピアノ。
あるいは暖炉で槙がはぜる音。
時間の経過に従って移ろいかわる
コーヴァジェと語り合うにふさわしいバーと言えば、
あのホテルのメインバーを置いて
他にはないでしょうな‥‥、と。






彼の口から出たホテル。
このホテルからほど近く、
単なるホテルというよりも、
ニューヨークの社交界の歴史そのもの、
しかもいまだ歴史を作り続けている老舗ホテルで
さすがにかなり敷居が高い。
ニューヨークにもう10年以上住んでいるエマでさえ、
今まで数回しかロビーに足を踏み入れたことが
ないという。
しかも今日はハイヒールを履いてない。
服も普段着。
こんなぺったんこの靴で、あのホテルのロビーに
入っていかなくちゃいけないなんて、
考えただけでぞっとする。
立派なバーの客になるココロの準備も、
体の準備もできてない‥‥と、そうぐずる。

ホテルに泊まっている宿泊客だと装えばいい。
部屋に入ってくつろいでいて、
けれど寝る前にちょっとおいしいお酒を
飲みたくなったのです‥‥、
というシチュエーションならば
気合を入れておしゃれしなくてもおかしくはない。
お部屋にお付けいたしましょうか?
そう聞かれたときに、はじめて
いいえ、宿泊客ではないのですとそっとつぶやき
ウィンクすればそれでいい。
良いバーには人から目立たぬ場所がかならずあるもので、
例えばカウンターの一番端。
あるいは柱の陰に隠れたソファー席。
そうした場所を選んで座れば、
バーの雰囲気を壊すこともないでしょうし‥‥、
と彼は薦める。

ホテルのレストランを使うというのは、
やはり特別な機会の出来事。
それなりの準備や装いに
気を配らなくてはならないけれど、
ホテルのバーはくつろぎの場という機能ももっている。
だから気軽に。
宿泊客でなくても使うといいと、私は思っているのです。
これほど安心してお酒をたのしみ、
学ぶコトができる場所は他にはないのですからネ‥‥。

決して治安がよくはなかった当時のニューヨーク。
そのニューヨークで、夜に一番安全なのはホテルのバー。
バーテンダーの仕事で一番大切なことは、
酒をお客様に用意するコトだけでなく、
お客様の安全を守るコト。
だからかつて、銃の携行を仕事中も認められていた
仕事のひとつがバーの主人。
泥酔しそうな人にコレ以上、
酒を売らないと断ることもバーテンダーの仕事のひとつ。
ホテルのバーであればなおさら。
夜遅くまでお酒をたのしみ、さて帰ろうかというときに、
一言たのめばバーテンダーが車の手配をしてくれる。
法外な値段をふっかけられるようなコトもなく、
しかもホテルがどんなに高級であっても
バーで売られる値段がそれほど変わることはない。
街一番のホテルのバーも、
アメリカ中にあるチェーンホテルのバーも
それほど変わらぬ値段でたのしめる。
だとしたら、高級なホテルのバーを
自分の味方につけなきゃ損だとは思いませんか? と。

もう行くしかありません。
エマは、パウダールームをお借りしますわ‥‥、
と席をたち、グルンとネジって
頭の上にまとめてた髪をおろして
高級ホテルのバーと戦う準備を終える。

ありがとう、おいしかったとお金を払い、
次のバーへと向かうボクらに、
バーテンダー氏がこう言います。
皆さんがお飲みになりたい
「クゥルヴォアズィエイ」に出会えますよう‥‥。
そしてニッコリ。
えぇ、それっていったいどういうことなの?
謎をとくため3ブロックをボクらは歩く人になる。




2012-05-17-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN