ボクがニューヨークにやってくる数年前に
できたばかりというホテル。
当時、ニューヨークでは古いアパートを改装して
モダンなホテルに作り変えるのが流行ってて、
その代表的な一軒が、
ちょうどボクの住んでる家の近くにあった。
若いエグゼクティブをターゲットにして、
有名デザイナーが作ったというホテルで
大きなバーがある。
週末ごとにパーティや、イベントでにぎわっていて、
今日は平日。
静かに飲めるに違いない‥‥、と。

たしかにおしゃれなバーでした。
ファッションモデルのような見目麗しいバーテンダーが、
アルマーニな感じのユニフォームを着て
何をお飲みになりますか? と、
ニッコリしながら近づいてくる。
「クゥルヴォアズィエイ」はありますか?
そう聞くボクらに、ブロンドの
サラサラヘアーのバーテンダー氏が
怪訝そうな顔して聞きます。
「それは何かのカクテルですか?」と。

いえ、ブランデーなんです。
フランス産の。
だからフランス語で発音すると
「クゥルヴォアズィエイ」。
英語的に発音すると「コーヴァジェ」
ってなるのだけれど。
もしあれば、それをストレイト・アップで
飲んでみたいのですけれど‥‥、と、
ボクらは代わる代わる説明するも、答えはつれない。

ブランデーはあるにはあるけれど、
ほとんどカクテルのベースにつかってしまう。
そのまま飲めないことはないだろうけど、
はてさて、銘柄は一体なんだっけ‥‥、と。

ブランデーを飲むような人は来ないの? と聞けば、
ほとんどの人がマティーニや
マルガリータのようなモノを飲む。
一人でしんみり飲む人はほとんどいなくて、
みんな仲良く盛り上がってたのしく飲む。
そのたのしさを引き立てるような飲み物を提供するのが
ボクらの仕事だと思っているから、どうだろう。
うちで一番人気のあるダイキリを飲んでみては‥‥、
と、ウィンクしながらボクらに薦める。

しようがあるまい。
ボクはなんとかちょっとでも早くココを出たくて
それで、彼のオファーを受けることにする。
ジャンも同じ気持ちだったんでしょう。
ニコニコ、彼のサジェスチョンに頷きながら、
「あのウィンクって、ボクにじゃないよね、
 エマにしたんだよね」って、
バーテンダーのクネクネ歩く後ろ姿を見ながら、
ボクの脇腹をつついて笑う。
エマがポツリとこう言います。
もしこの店に一人でワタシが座っていたら、
スゴくさみしげな女性に見えると思うのよ。
寂しい大人が出会いを待つ場所。
人を物欲しげにみせる雰囲気があって、
なんだかとても居心地悪い‥‥、と。
なるほど、ここは
酒を愛する人を相手にしたバーではなく、
ひとときハメ外すため
酒の力を借りる場所なんだと悟った次第。

陽気な鼻歌交じりにブレンダーをジャジャっと回して
彼が作ったカクテルは、イチゴの味のダイキリで、
大きなグラスにうんざりするほど
タップリ入ってやってきた。
うちのフローズンカクテルはみんなシロップを使わず、
フレッシュフルーツを使っているから飲み口がいい。
ラムもキューバ産。
しかも味わい濃厚なゴールドラムを使っているから、
フレッシュフルーツと混ぜても
本来のラムの香りを後口として感じるはずだ‥‥、
と、プロのバーテンダーらしきコトを
一生懸命ボクらに語る。
たしかにそれは飲み心地良く、
けれど知らずにアルコール分が体にたまって
気づけば酩酊におちいりそうな飲み物で、
ココにいては当初のボクらの目的は絶対叶わぬ。
さて、どうしよう。

ミッドタウンにフランス系のエアラインが経営している
ホテルがあったはず。
ほどよく高級。
バーもシッカリしていると聞く。
タクシーに乗れば10分足らずでつけるはず。
水っぽい溶けたイチゴのかき氷みたいなダイキリを
ほとんど残して、ボクらはそのホテルに向かう。





オーセンティックなバーでした。
お酒の瓶がズラッと並ぶバックバーにカウンター。
座り心地のよさそうなソファに
テーブルが幾つかおかれた小さなバーで、
ボクらはカウンターの隅に3人並んで座る。
白髪交じりの背筋の伸びた、
老人と呼ぶには若々しくて
優雅な物腰の紳士が僕らに近づいてきて、
「何をおつくりしましょうか」という。
ボクは恐る恐る
「クゥルヴォアズィエイ」はありますか?と。

申し訳ございませんが、
コーヴァジェのご用意はいたしかねます。
先日、大きなパーティーがあって、
お客様がどうしても
コーヴァジェをお飲みになりたいと言うので
運悪く、在庫がまるでございませんで。
もし、コニャックでなくてよいのであればオタール。
あるいは、ブランデーにこだわられないのであれば、
カルバドスのいいヴィンテージがちょうどございます。
甘いものがお好みならば
ポルトのほどよき値段のモノもご用意できますが、
いかがいたしましょうか? と、恐縮顔で彼は言う。
他に何か好みのモノがあれば教えていただければと、
言ってボクらの答えを待ちます。

ボクらはキョトンとしてしまう。
だって、彼が言う言葉の
そのほとんどがわからないんだもの。
オタールがなにかも、
カルバドスがなにかもまるでわからず、
まるで呪文のような単語の連発。
答えようにも答えが出ない。
キョトンとするボクたちに、
バーテンダー氏はキョトンとし、
「Do you speak English?」
と単語をひとつひとつおくように、ユックリ聞きます。

英語のわからぬ外国3人組のようにみえたのでしょう。
いやいや、そんなコトはない。
あなたがしゃべる英語はわかる。
けれど、何を言っているか、
ところどころがわからないのです。
何しろコーヴァジェを飲んだこともなくて、
それがどんな味の飲み物なのかを体験するため
バーを渡り歩いているのです‥‥、と。






なぜコーヴァジェを? と聞く彼に、
ココにやってくるまでのいきさつを説明します。
なるほどたしかに
「クゥルヴォアズィエイ」と言われると、
このコニャックの持つ高貴で優雅な香りが
漂ってきそうに思えて、喉がなります。
なにより、ブランデーのコトを良く知ってらっしゃって
自分の好みを伝えることに秀でた方じゃないかと
思ってしまう。
フランス産の上等なブランデーの中でも
由緒正しき銘柄ではある。
にもかかわらず、生産数が少ないため
すべてのバーが在庫しているモノではない。
「ありませんか?」と聞かれて、
あれば「良かった」とバーテンダーは胸をなでおろし、
なければ「申し訳ない」と
ココロから頭を下げたくなるお酒。
良いバー。
良いバーテンダーを見極める、
良い選択肢と私は思います。
そして今日は誠に申し訳ございません‥‥、
と彼は深々、頭を下げる。

なんとボクらがクルボアジェを選んだことは、
偶然のビギナーズラックであったというワケです。
なんだかうれしく、けれどいくつか疑問も残る。
ところでミスター・バーテンダー。
オタールだとか、カルバドスとか
それは一体、何なのでしょう。
そしてなぜ、あなたはボクらに
それを薦めてくれたのでしょう。
さて来週に続きます。




2012-05-10-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN