ボクたちのお店がお客様をお待ちするときの
テーブルの上。
こんな様子でした。

真っ白なテーブルクロスの上に、
お客様をお迎えするためのプレースプレート。
日本料理でいうところの先付け。
フランス料理ではアミューズブッシュと呼ばれる、
小さな前菜のお皿をのせるための大きなお皿を真ん中に。
お水用のグラスとお茶を飲んでいただくためのお茶碗。
そしてお皿の右手に、スプーンとお箸をまとめて置いた。
中国料理店では当たり前の、食べ手に対して垂直に。
銀でできた小さな龍の置物を枕にし、
大袈裟な彫刻がほどこされた長くて重たいスプーン。
そして、断面がほぼ正方形の、これまた重たく太い箸。
象牙の粉を混ぜて作っているんだよと、
パートナー氏が台湾から機内預けにするのも怖いと、
膝に抱えて持ってきた箸。
実はこれが曲者でした。

食事をしているお客様の様子を見てると、
明らかに食べずらそう。
太くて滑る。
しかも断面がスベスベで、角ばっているから
料理をつまみあげるのに難儀する。
コロンと転がる。
スルンとすべる。
運がよければそれはお皿の上で起こる小さな失敗。
けれど、そのほとんどはかなしいコトに
テーブルクロスの上にポトンと染みを残す
小さな事件を引き起こす。
食事が終わって、テーブルの上が汚れていればいるほど
料理がおいしかったよ‥‥、
という賛辞なんだよと言ってもらえる
中国のレストランならそれでもよし、なのかもしれない。
けれど、お客様がこう言うのです。
「ゴメンなさいね、テーブルクロスを汚しちゃった」と。





ボクたちはお客様から
「おごちそうさま、ありがとう」
と感謝されるために働いているのであって、
「ごめんなさい」と謝られるのは不本意なこと。
ましてや、テーブルクロスの上ならまだましで、
膝の上とかシャツの袖とか、
あるいはネクタイを汚してしまう
小さな惨事になることもあり、
お客様は悲しい思い出をもってお店をでることになる。

なんとかしなくちゃ。
ここは日本で、だからボクは日本のお箸を使いたかった。
お客様が使い慣れたお箸であれば、
快適に食事ができて
しかもテーブルクロスが汚れなくなる。
一石二鳥以上の価値があるだろう、と。
ただ、パートナー氏にはこだわりがある。
中国のレストランというもの、
どんな箸と匙を使うかで店格が決まるんだよ。
大衆料理のお店ならまだしも、うちのような店は絶対、
いいモノをつかわなくちゃあ、料理に対して失礼になる。
そう言って、一歩も譲らぬ。

ボクは彼にこう聞きました。
君は自分の家でもこうした箸を使っているの?
いや、家では日本のお箸を使ってる。
だって、そっちの箸の方が軽くて食べやすいし、
なによりテーブルが汚れるのって
見苦しいじゃない‥‥、
ってきれい好きな彼はボクに向かって真顔で言います。
言いながら、彼も見事な矛盾に気づいたのでしょう。
わかった、わかった、そうしようと笑いながら
その翌日から、細くて持ち心地のよい塗り箸を置く
中国料理レストランにボクらのお店はなったのです。

白い陶器の箸置きを枕において、
お客様の身体に対して水平に。
つまり中国風ではなくて日本の置き方。
実は、箸を持ち上げるというコトに関して
日本式より中国式の置き方が、
合理的だとボクは今でも思っています。
大きく持ち上がった箸の下側に指をくぐらせ、
スッと持ち上げそのまま食べる姿勢に入れる。
一方、日本式の置き方だと、
右手で上から持ち上げ左手を添える。
そして右手をそっとすべらせ箸を下から支え持つ。
この一連の流れるような所作が、
合理的な観点からすれば面倒臭く、
けれど無駄というにはあまりにステキでうつくしい。
ボクのお店にやってくるお客様に、
ボクはちょっとでもうつくしくあってほしいと思って、
それでお箸を日本式におかせてもらうことにした。

マナーというと堅苦しくなる。
けれど、レストランという公の場で、
うつくしく食べるというコトは
とても大切なコトだろうと思うのです。
そして同時にレストランは、
すべてのお客様がうつくしく食べることができるような
工夫をする必要があるのだろう、と思いもします。




ボクの祖母。
父方の祖母でありますけれど、
彼女は伝説的な鰻割烹を死ぬまで営んでいた人でした。
ボクの父は、祖母から商売のやり方を学んで
事業を大きくし、そして失敗させるのだけれど、
祖母は大きくするのでなくて、
何十年も同じコトを飽きずに続ける
忍耐力に恵まれていた。
だから死ぬまで、自分一人で鰻を焼いて、
自分一人でお客様を接待していた。
小さな店でありました。
11人でいっぱいになる店。
それが彼女ひとりで、
うつくしく鰻を焼いてうっすら額に汗をかき、
けれど疲れずお客様のひとりひとりに目が配れる。
それがこの席数なんだと、
その大きさにずっとこだわり決して大きくしなかった。
昼は手軽な丼なんかもあったけど、
夜は注文を受けてから鰻を割いて蒸して焼く。
だから焼き上がるまでかなりの時間がかかりました。
その時間を、酒を飲みつつ待つというのが
たのしいお店であったのでしょう。
いついっても、おじさんたちがニコニコしながら
飲んでいた。
ルールがひとつありました。
お酒は2合を越えては売らぬというもの。
酔っぱらいは嫌いだから、というのが祖母のこだわりで、
けれどすべての人が2合目の徳利を
売ってもらえるかというとそうじゃなかった。
2合を越えて売らぬというのが目的ではなく、
酔っぱらいには酒を売らぬというのが
ルールの意味するところでありましたから、
祖母が「あなたは酔っぱらってる」と判断した人は
お酒のお替りにありつけない。
判断基準はとても簡単。
お箸を箸置きに置かぬ人。
器の端にひっかけたり、
あるいは箸置きに置いても
そこから正しい所作で箸を持てぬ人は、
美しくない人と判断されて、今日はお酒を売りませんと。
だからか祖母のお店のおじさんたちは、
みんなニコニコ、背筋を伸ばして
お酒をたのしく飲んでいた。
小さなお店の中にいる、全ての人が同じように行儀よく、
たのしくそしてうつくしく
誰の邪魔もしないで食事をするステキ。
食べる「モノ」が好きなのでなく、
食べる「コト」が好きな人たちで満たされた
レストランって素敵だなぁ、
と子供ながらにボクは思った。






さて、お箸を変えたボクたちの店。
評判はとてもよかった。
食べやすくなったわネ‥‥、
とおなじみのお客様からはお褒めの言葉を頂戴し、
なによりありがたかったのが、
ほとんどのお客様がうつくき所作で箸を手に取り、
食事をたのしむのを見れたこと。
食べる道具ひとつでこれだけお店の雰囲気が変わるのか、
とビックリするほど。
そしてテーブルクロスの染みがなくなって
めでたしめでたし、だったのか?
‥‥、というと、そうではなかったのですね。
残念ながら。
箸を食べやすい日本のお箸に変えてからも、
数こそ減りはしたけれど
やっぱり染みはなくならなかった。
理由は来週。
本当に、うつくしく食べるというコトのヒントも来週。
また来週。



2011-05-12-THU

© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN