使い込めば使い込むほど、
味わい深くなるモノってあります。

新品というモノは、どれも大抵うつくしい。
それを使い込んでいくにつれ、ただ古ぼけていくモノと、
味が出てくるモノのふたつに分かれる。
見た目と話題性だけで買ったものは、
使っていくとただただ古くなっていく。
ところが上等な素材で丁寧に作られたものは、
使えばどんどん手に馴染み、新品にはない風格がでる。
特に時計や靴、鞄のような
いつも身につけておけるものの中に、
そうした使い手の愛着に応えてくれるモノが多い。

ボクがマディソン街の広告代理店で
インターンをしていたとき。
打ち合わせに定期的にやってくる、
かなり年配の紳士がすばらしくステキな
ブリーフケースを持っていた。
かなり長い間、使っているのでしょう。
ところどころに傷がついてて、
形も崩れてクタッとしてた。
決して流行りの洋服ではない、
普通の人が着ればおそらく時代遅れで
退屈と呼ばれるであろう服を
パリッと着こなす落ち着いた風貌、そして雰囲気。
ボクもこんなおじさんになれればいいなぁ‥‥、と、
そう思うその人の手にいつもある、
まるで彼のビジネスパートナーのような
ステキなブリーフケース。
ボクは思い切って、
それはどこで売っているのですか?と聞いた。

エルメスのサック ア デペッシュという鞄だよ‥‥、と。

実際にエルメスのブティックに行って見た
サック ア デペッシュ(Sac a Depeche)という鞄は、
彼がもっていたモノとは似ても似つかぬ、
端正な顔立ちのしかも驚くほどに高価な鞄。
決して使い勝手がよさそうには思えぬ、
ポケットもなければペン挿しもない
本当にただの書類ケースだったのです。
一体、これをどのように使ったらあんな形になるものか?
しげしげ見ながら答えが出せずにいるボクに、
その鞄を見せてくれた
ブティックのスタッフがこう言います。

買って明日から役に立つ鞄をお探しであれば、
その鞄はおすすめしません。
こう使って欲しいというヒントを
何もしゃべらぬ鞄でございますゆえ。
それはすなわち、あなたが
「こう使いたいんだが」と語りかけるコトを
待っているということ。
語りかけ、使い続ければ
かならずそれに応える準備はできているのです。
ただ、言うコトをきかせるのには
時間と我慢が必要ですが‥‥、と。

なるほどあの人の、
あのチャーミングなサック ア デペッシュは
長い時間をかけた
コミュケーションと格闘の賜物なんだなぁ‥‥、
と思って、ボクは自分の我慢をためしてみようと思い、
ひとつ買うことを決心しました。
かなりの出費に緊張しながら、
目の前でボクが選んだひとつに
リボンがかかるところをウットリしながら見つめます。

最初は硬く、変わった形のモノをいれると
吐き出そうとするでしょう。
けれどそれも時間がたつと、
まるでその変わった形のモノを収めるために
作られたんじゃないかという思うくらい
形が馴染んでいきます。
崩れるのでも、壊れるのでもない、
その馴染んだ状態のモノを売ってくれないか?
って、ワガママを言う方もいらっしゃる。
けれどそれでは、ただの中古品を買うというコト。
この高価な鞄を自分のモノに馴らしていく、
この上もないたのしみを味わえないなんて
哀しいこととはおもいませんか?

そのとき買ったサック ア デペッシュ。
もう20年近くも経つけれど、
ボクの思った形になかなか馴染んでくれぬ。
紳士への道は長く厳しい道なんだなぁ‥‥、
と実感することしきりであります。
がんばらなくちゃ。





レストランのコトに話をもどしましょうか‥‥。

「馴染みの客はこんな料理をたのんでいる」
なんて特集の雑誌や本が売られています。
インターネットをひらくと
そうした情報ばかりが沢山並ぶ。
ボクがよくいく馴染みのお店の、マダムが言います。

最近、初めてやってくるお客様が、
なぜだか変わった料理ばかりをおたのみになる。
しかもそうした料理を食べて、
「この店の料理はなんだかみんな変わってるなぁ」
って首をかしげながら帰っていくのよ。
もっと普通においしい料理が沢山あるのに。
はじめてだったら、
まずはコレをお召し上がりになればどうですか?
ってオススメするのに、
そうした料理はサッパリ売れない。
「常連さんって、何をよく注文するんですか?」
って聞いてくる人もいるのよネ。
おなじみさんにしかおいしいモノを出していない
お店のように思われるのって、なんだか哀しい‥‥、
そう思わない? って。

常連だけがたのむコトができる
「絶品料理」を出す店のコトを、
ボクは信用しないようにしています。
そんなお店の常連になって悦にいるのは趣味の悪いこと。

何度も何度も通ううちに、自分が特においしいと感じる
「へんてこりんな料理」が出来ていく店。
そんなお店こそが、お客様おもいの店なんでしょう。
そもそも誰が食べても唸るほどにおいしい絶品料理は、
初めてきたお客様にこそ相応しいモノ。
常連が好む料理は、
その人がおいしいように出来ているから
他の人が食べておいしいとは限らない。
ステキなお店にはいろんな引き出し、
いろんな魅力が用意されてる。
その一番、核心をなすおいしい部分に
なるべく早く飛び込みたい、
と焦る気持ちもわかりはします。
けれどその店のコトを本当に好きになりたかったら、
時間をかけて徐々に好きになっていくのがいいと思う。
そのレストランの一番凡庸なところをまずは味わい、
それを好ましいと思ったら、徐々に自分の好みを探る。
ちょうどボクがニューヨークの朝、
3回目にしてはじめて運命の料理に出会えたように、
時間をかけてユックリと。

自分の好みの料理を見つけるという行為。
散歩に似てる。
地図を持たずに、寄り道しながら歩くからこそ
散歩はたのしい。
思いがけぬ景色やモノに出会うことができるというもの。
いろんな手練手管を使い、情報駆使して、
通いつめなくても一足飛びに、
常連並の料理を注文することだって出来はする。
けれどそれが自分の好みの料理かというと
決してそんなことはない。
他人の手の中で魅力的に見えた鞄を売ってもらっても、
それはただの中古の鞄でしかないのと同じ。
努々(ゆめゆめ)されることのなきよう‥‥。

そうそう、件の大学教授。
ボクがちょうどボク・スペシャルのスクランブルエッグを
食べようとする、まさにそのとき、
朝食をとりにやってきました。
いつものテーブル。
つまりボクの目の前のテーブルに座って、ボクを一瞥。
そしてユックリ、口を開いてボクに一言。

さて、来週。




2010-12-09-THU
 
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN