「気仙沼さんま寄席」ことしもやります記念対談  落語のはなしを しましょうか。

第四回 「もう聞けない」
糸井 ちょっと唐突な質問をさせてください。
志の輔さんでも、
イライラするようなことはあるんでしょうか?
志の輔 ありますとも。
毎日がイライラの連続ですよ(笑)。
でも以前よりは、減りましたかね。
糸井 そうですか、そんなふうには見えませんが
イライラはするんですね(笑)。
でも、減った。
志の輔 師匠談志は晩年、といっても10年ほど前からですが、
あいさつを求められると、そのたびに
「俺はあと2、3年で死ぬから、
 あとはまぁおまえたちが、うまくやってくれ」
って、必ずそう言ってました。
聴いてる弟子たちは
「ああまた今日も、あんなこと言ってるよ。
 でもきっと師匠のほうが長生きするぜ。
 結局、弟子全員のお通夜に
 参列してたりして(笑)」
なんて言ってたので、なお突然って感じでしたね。
「あ、ほんとにいなくなっちゃった」と。
呆然としながら、でも間違いなく談志はいない。
しばらくは、バタバタとボゥーとの毎日で、
何してたんだかの一年程でしたが、
最近は、その自分自身も還暦に近いと気づき
俺もいつどうなるかと考え始めたら、
イライラしてる時間さえも、
もったいない気がしてるんじゃないんですかね。
糸井 ああー、なるほどねぇ。
志の輔 だいたいが、落語のことを考え、
まとまらずイライラしてるってことがほとんどですね。
私の弟子たちは、
イライラしてないほうがうれしいでしょう。
弟子は、基本的には放任主義ですが、
相談に来れば、楽屋でも車の中でも気がついたときに、
いやというほど説明してますけどね。
最近は落語以外の話も、
少しずつするようになりました。
糸井 お弟子さんたちと、ふつうの会話を。
志の輔 そうですね、
今のうちに言っておかなければ‥‥
って、遺言か(笑)。

同じ落語の話でも、
以前は、間やセリフの言い方などの
演出の話が多かったんですが、
特に二つ目の連中
(志の吉・志の八・志の春・志のぽん)には
自分の落語が、
ほかの落語家と何が違うのか、を意識するように、
江戸前だ、上方だ、という前に
「日本」という落語やってくれ‥‥なんて。
あら、結局は、落語の話しかしてませんね(笑)。
糸井 ですから、ふつうの会話っていうのが、
もう、ぜーんぶ落語のことなんでしょうね(笑)。

談志さんが亡くなってから、
ほかに何か志の輔さんの中で変わったことは?
志の輔 そうですねぇ‥‥
以前は、落語も、落語会も、
すべからく目標が「数」だったですね。
糸井 数を、一所懸命。
志の輔 たとえば、落語会の開催を
47都道府県ぜんぶ回ることが目標! とか、
全国の芝居小屋や能楽堂を
すべて回りきってやろう! とか、
ふるさと富山の全市町村を一年で回りきるとか(笑)。
企画達成感の気持ちよさに、
支えられてる時期がありましたね。
糸井 そうですか。
志の輔 ところが最近、
ネタの数や、会場の種類を増やすことより、
自分の落語、自分にもっとも似合う空間、演出。
とにかく、東西800人もいる落語界で、
「俺だからの落語会だぜ」
これ、これに向かってるわけです、いまは。
江戸っ子談志のように、高座に登場した途端に、
後から江戸の風が吹く。
それだけでいいじゃないですか。
私が登場すると、ホタルイカの香りが(笑)。
「いかん、これから江戸前の落語をやるのに」
と(笑)、
それなりに密かな落ち込みだったんですが、
まてよ、違うな。
それも大事だが‥‥
生粋の江戸前ってそんなに大事か?
由緒正しい大阪弁ならそれだけでいいのか?
それより大事なのは、理屈抜きに面白い、
聴き応えのあるオリジナリティが
あるかないかだろう、と。
糸井 なるほど。
志の輔 それこそ、日本中のほとんどの劇場、
ホール、公民館、神社仏閣‥‥やりましたねぇ。
能登半島で、海の上のステージの高座でまで(笑)。
本当の話ですけど、これはまた別の機会に。
今年8年目の、渋谷パルコ劇場で新春1ヶ月公演。
下北沢本多劇場でも20年。
赤坂ACTシアターや東京国際フォーラム。
歌舞伎常連の国立大劇場や新橋演舞場でも。
挙句の果てに、
今年は新生・大阪フェスティバルホール、
2700席とは思えない密度の濃い空間で、
高座で演者の私が酔いしれました(笑)。
でも、そんな私の行動の噂を、
もし今、談志が聞いたら、
きっと、こう言うと思いますよ。
「どこでやるとかってことが問題じゃねえんだ。
 俺の場合、俺がしゃべる場所、
 すべてが、神殿になるんだ」って(笑)。
糸井 ああーー。
志の輔 本当に、亡くなってから
細かいことまで、いろいろ思い出しますね。
糸井 亡くなってからじゃないと通じなかった。
志の輔 いつでも会えるときっていうのは、
落語「よかちょろ」のギャグじゃないけど
「お前のは、聞いてんじゃなくて、
 聞こえてるだけなんだよ」
って、やつだったんですかね(笑)。
糸井 「もう聞けない」と気づいたときに、
受け手としての本気度が変わるんでしょうね。
志の輔 ええ‥‥変わるというか、気づくというか。
糸井 ぼくも昔より、
亡くなった人のことを思う時間が長くなってるんです。
どうして死んだ人のことをこんなに考えるんだろうと
びっくりするくらいに。
そして思うことはやっぱり、
亡くなって完成することはあるんだな、と。
志の輔 そうか〜〜、亡くなって完成。
糸井 「もう聞けない」ということは、
けっこう大事なんだなぁ、と。
志の輔 亡くなった後のほうが、
より鮮明に言動がよみがえってくるというのも
不思議なもんですね。
糸井 生きてるうちには、
そんなに真剣には考えないですからね。
志の輔 ‥‥聞いときゃよかったんですよね。
生きてるうちに。
落語のことや、人生のことや、
いっぱい貯めたであろう
お金はどうしたんですか? とか(笑)。
山ほど聞きたいことがでてきちゃった。
糸井 そうやって聞くことを逃し続けるんです、人ってね。
志の輔 逃し続ける‥‥そういうもんなんですねぇ。
糸井 そして、自分も同じ経験をさせるんですよ。
「志の輔さんにもっとちゃんと聞いときゃよかった」
と思われることに、ぜったいなるんですよ。
志の輔 うーーーん‥‥
だからといって、自分の弟子を集めて、
「いいかおまえら、今から俺が言うことは
 俺が死んだ後に、 
 お前たちが必ず聞きたくなることだから、
 よく聞いておけ!」って、
そういったところで、きっと弟子たちは‥‥
ふたり 聞かないですよねぇー(笑)。


(つづきます)

2013-08-08-THU
つぎへ このコンテンツのトップへ つぎへ

メールをおくる
ツイートする
ほぼ日ホームへ