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最後に
2021/11/01 20:19
みんなで密に気をつけつつ、
少しの時間、集まって。
みなさんは
2021/11/01 20:14
この10年がなかったら、
会わなかった人たち。
お互い、会えてうれしかったです。
和枝さんがほぼ日に
2021/11/01 19:27
つけ足すように、和枝さんが
ほぼ日について語ってくださいました。
「ほぼ日さんはね、震災のあと、
いろいろ取材してくださったんですけど、
『あれ? ほぼ日さんって、
言ったことを、そのまんま書くんだ?』
っていうことに驚いたんです。
他のテレビやなんかはね、
そのまんまは書いてくれないんですよ。
だからね、そのまんま、言ったり、
そのまんま伝えることは、
すごくいいなって学んだんです。
だからたぶん気仙沼は、
ほぼ日さんのおかげで、
他の土地よりも素直に正直に、
いろんなことが表現できてると思う」
おーい、ほぼ日の乗組員のみんなー、
この十年の間に卒業した乗組員も聞いたかー?
すごくうれしいことを言ってくださったぞー。
ぼくは泣きそうなりましたよ。
いろいろ、ばたばたやってきたけど、
なんだかよかったみたいよ?
会場の時間が来てしまって、
たのしい時間はお開きになりました。
のりこさんの思い出
2021/11/01 19:15
最後の話し手は、のりこさん。
のりこさん
「憶えてるのはね、
糸井さんと奥様が来ることになって、
『わぁ、なにをつくって
おもてなししよう?
なにを食べてもらおう?』
って考えだしたら、
すごくたのしかったこと!」
和枝さん
「そう、そう、そう!
そうだったねー!」
菅原市長の話
2021/11/01 19:05
気仙沼市長の菅原茂さんが
当時の行政の苦労話を。
糸井
「市長、ひとつ聞きたいんですが、
これはもうだめだ、って、
思うようなことはなかったですか?」
菅原
「それはない」
糸井
「あ、即答だ。そうかー」
よかったこと
2021/11/01 18:52
ふだんは言えない
「震災があってよかったこともあった」
ということ。
みんなが次々に思い出を語ります。
御誂京染たかはしの女将、
椿会の会長でもある高橋和枝さん。
「当時二十歳だった息子が帰ってきてね、
もう、そこから、蜜月でしたよ(笑)。
一緒にでかけたりね。
あと、社員とのつながりができてこと」
ひさしさん
2021/11/01 18:43
石渡商店のひさしさん
「糸井さんとは3年に1回くらい
話すようになったんですけど、
いつもいろいろ考えさせられて、
震災後、いろんな要因で、
自分は成長させてもらったなと思います」
この場でなら言えること
2021/11/01 18:39
「テレビの取材でいくら答えても
なかなかつかってくれないところだけど、
気仙沼は、よくなったよね」
「そういう明るいこと言っても、
つかってくれないんだよね」
「恋人たちがデートするような
場所になったものねー」
「気仙沼大島大橋なんて、
レインボーブリッジみたいだもの!」
「(笑)」
河野さん
2021/11/01 18:28
八木澤商店の河野さん
「震災の直後はね、
家族の安否もわからなくて、
『やっと会えたっ!』
っていうときにね、
がーっと子どもを抱きしめたら、
なんと、子どもたちは、
ふつうに嫌がった、という」
一同
「(笑)」
糸井
「いいなー、それは(笑)」
たけしさん
2021/11/01 18:16
ヤマヨ水産のたけしさんが、
震災後のご苦労と、
そこから立ち直った道のりを語ります。
「誤解を恐れずいえば、
震災がなければ、私は、
いまのような真剣さで養殖を
やってなかったかもしれないです」
みんな、自分と重なるところもあり、
うなずきながら聞き入ります。
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