nagata

「ほぼ日らしさ」とは。

2025/06/06 21:29
永田です。
読みものとか、イベントとか、企画とか、
いろいろなことをやっています。

へんな流れで投稿してごめんなさい。
今日は一日、みんながいいことを
たくさん書いていたので、
つられてぼくも書きます。

気づいてらっしゃる人もいるかと思いますが、
今日、ぼくは尾瀬にいます。
尾瀬の長蔵小屋の離れの部屋で、
いろいろな仕事をしていました。
(写真のような状況でした)

ぼくは今日、読者のみなさまのメールを
編集してここにアップしたり、
かと思うと外に飛び出して
尾瀬の写真を撮ったり、
オープンしたばかりの
長蔵小屋のそとの売店の様子をXに投稿したり、
会社にいる乗組員とリモートで会議したり、
前々から頼まれていた原稿を書いたり、
ちょっと休んで甘いものを食べたり、
じつにいろいろなことをしていました。

途中で、PCのなかの仕事と
尾瀬の風景のギャップがひどくて、
なにをやってるんだろうなと
笑いそうになりました。

ぼくは思いました。
こんな仕事、説明できないよなあ、と。
そして、その延長で、
しみじみとこう感じたんです。
こういうのがまさにほぼ日だ、と。

最近、ほぼ日の乗組員もすごく増えて、
ぼくなんかもう、ベテラン中のベテラン、
みたいになってしまいました。
若い乗組員たちはひたむきで熱心なので、
いろんなことを聞かれる機会が増えました。
それで、けっきょく、
いちばん聞かれるのはこれです。

「ほぼ日らしさ」ってなんでしょう?

いろんな答え方があるし、
正しい答えなんてもちろんないし、
それぞれがたどりついたどれもが
「ほぼ日らしさ」で構わないと思うんですが、
今日、6月6日にぼくが、
尾瀬の風景とPCのなかで
わやくちゃになりながら、
ああ、そうか、そうだよなと感じたのは、
「ほぼ日らしさ」って
やってきた結果なんだ、ということでした。

今日のわやくちゃなぼくの仕事だけでなく、
わやくちゃな今日の中継のなかの
早朝からのマグロ料理とか、
とにかく持ち寄ったとっておきのケーキとか、
語られる過去の思い出とか、
メールのなかに挙げられたコンテンツとか、
生放送とかちょっとしたトラブルとか、
変な写真とか糸井重里とか笑顔とか、
そういうことぜんぶの結果が、
「ほぼ日らしさ」なんだと思ったのです。

たぶん、「ほぼ日らしさ」というのは、
目指すものでも、倣うものでも、
学ぶものでも、沿うものでもない。
やってきた結果が「ほぼ日らしさ」です。

だから、おそらくいずれはいなくなる
年長者としていわせていただくとすれば、
ぼくより若い乗組員たちよ。

あなたたちがやったことが何年か後に、
「ほぼ日らしさ」になるようにしよう。

そんなふうに、
いまぼくは尾瀬の夜に思ってます。
いつの間にやら、27周年のほぼ日。
もちろん、ベテランたちも
ますますがんばります。負けないぞ!

そして最後に、
「ほぼ日」を読んでくださってるみなさん、
いままでほんとうにありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いします!