2014/08/21 14:00 本の虫
でも、松家先生は
本の虫、でいらっしゃるでしょう?
図書館という環境のなかで
よくぞ本に気を散らせないで
勉強ができましたね。
「いいえ、それは無理です。
ですから14時から15時までを
『本を読んでいいタイム』と決めていました。
その夏休みで、ドストエフスキーの
『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』を読みました。
思えばあの夏は、
すごいテンションだったと思います。
浪人なんかしない、
やるのは3科目、ぜったい現役で合格する。
そういう決意のもと、
・でる単 試け単
・古文の読解参考書
・山川の日本史をなめるように
そういったベーシックな受験の項目を
徹底的に勉強していきました。
それでいて、いっぽうは
高校生が考えがちであり
大人になると打っちゃっておく問題である
『自分とは何か』
『この世界とは何か』
ということが、心をとらえているわけです。
図書館と自宅があった
東京中野区の道端には落ちていない
人間の本質や、果ては宗教を含むその問題は
19世紀ロシアの重厚な
ドストエフスキーにつまっているだろうと嗅ぎつけ
読破したのです」
はっはぁー。
その夏が、とくにすごいテンションだったと。
「それ以降も、秋、冬、と
自分は受験当日まで勉強したのでしょうけれども
その勉強の記憶が、まったくありません」
それほどまでに、コアタイムの夏休み。
2014/08/21 13:58 いちばん勉強した期間
では、松家先生は
どうやって大学受験に成功したのでしょうか。
「こうはいっても、人生でいちばん
勉強したとき、というのがありましてね。
勉強というのは、受験勉強のことですよ。
それは高校3年生の夏休みです。
ぼくには兄がいて、兄が国立大学に落ち
私立大に行ったんです。
ですから、ぼくはなんとなく
私立大に行っていいんだ、
という気分になりました。
ぼくにとってはありがたいことです。
なぜって、私立大学はドラスティックに
受験科目が減るでしょう?
ぼくはもちろんそこまではあまり
勉強していない高校生で、
しかもど真ん中の文系でした。
私立大で、めざす大学の科目、つまり
英語、日本史、国語、
この3つさえやればいいのです。
そして夏休み、地元の図書館に通いました。
開館時間は
朝9時から夕方6時ごろまでだったと思いますが、
びっしり机に座っておりました。
なぜ、図書館で勉強するのか?
家ではサボるからです。
図書館に来ると、みんなが勉強しているので
雰囲気は最高です。
しかも、あそこは本のにおいがするでしょう。
本のにおいというのは、
勉強したほうがいいかなぁ〜という
気分にさせる作用があるのです」
2014/08/21 13:54 プレゼンテーションばやり
「プレゼンテーションはできなくても
役に立つことはできるでしょう。
みんなの前に立って話すこと以外でも
ちがうかたちでプレゼンテーションすることは
いくらでもできます」
でも、いまの授業ですと、
みんなの前で発表できないと
評価されようがありませんよね?
「そのときに評価されなくても、それはそれ。
だいいち、世の中ぜんぶが
プレゼンテーションだったら
どうなるでしょうか。
そんなことはありませんよね?
たとえば、災害などが起こった場合のことを想定し
このような対応対策を考えました、
と発表して拍手をもらっても、
それをいったい誰がやるのか、ということが
まずあります。
そして、実際の現場では、
そのプレゼンテーションの内容に
あったかどうかは関係なく、
自分がおむすびをにぎろう、味噌汁を作ろうと
思いついたら、勝手にやればいいのです。
そこはプレゼンテーションと関係ありません。
そのおいしいおにぎり、あたたかい味噌汁は
最大のはげましと思いやりです。
プレゼンテーションができない人でも
それができるとしたら、それは、最高の仕事です。
学校の中で、発表がうまくなくても
だめだなんて思うことはまったくありません。
教室をきれいにしよう、とか
ゴミを出すとかは、誰にプレゼンしなくても
だまってできることです。
人に好かれてなくてもいいと思います。
めったに笑わない子が笑ったとか、
あの子のああいうところがいいなとか、
見ている人はたくさんいます。
ぼくの高校時代に、
いじめられていた男の子がいました。
その子がある日、自分の机の上に立って
いろんなものを蹴散らして
全身全霊で怒ったことがあるんです。
それはいまでも忘れられません。
すごくかっこよかった。
調子に乗ってからかうようなことをしていると
人を本気で怒らせることがある、
人が全身で怒るとこうなるんだ、
ということがわかりましたし、
40年ほど前のことですけれども
ぼくの大事な記憶のひとつです。
彼は、本気の表情や声で
ぼくらにいろんなことを伝えました。
同級生にも覚えている人たちが多いと思います」
2014/08/21 13:47 新奇探求性遺伝子
「ずいぶん前にテレビで
やっていたんですけれどもね、
新奇探索性‥‥だったっけな、
新奇‥‥いや、いまネットで調べますね、
あ、ぜんぜんひっかからない、
記憶力は役割分担で
人にまかせてしまいましたので
忘れちゃった」
えーと、新奇探求性なら出てきますね。
「あ、そうですそうです。
新奇探求性遺伝子です。
あたらしいことにチャレンジしたいという
要求を持つような遺伝子のことなのですが
これ、アメリカ人は
日本人の何倍も持っているのだそうです。
だから、アメリカは月にロケット飛ばしたり
するんですねぇ」
へぇえ。
ぜんぜん知りませんでした。
松家さんは、その新奇探求性遺伝子を
お持ちなんですか?
「持ってると思いますか?
持ってないですよ。ぜったいありません(笑)。
日本っぽく、こもっています。
ぼくは遺伝子が
すべてを決めるとは思わないけど、
でもそういう気質があると思います。
プレゼンテーションとか、できませんもの」
でも、プレゼンテーションはいま
おおはやりですよね。
2014/08/21 13:37 手に汗
「正直言うと、いまでも
人と会って話すのは苦手なんです。
以前、久米宏さんが
テレビ番組かなにかでおっしゃっていたのですが
あの方でも人と話すのは緊張するし苦手だと
おっしゃっていました。
『ほら、いまでも手に汗がびっしょりです』と
見せていらっしゃいました。
すごい表現をする、
感動するような演技をなさる役者さんでも
ふだんは消え入りそうになっている方もいます」
ほぼ日の編集部などを見ていても思うのですが、
人と話すのがおっくうだったり緊張する人ほど
そういうことが得意なような気がします。
「あるかもしれませんね。
もともとの気質がそういうふうに影響する」
2014/08/21 13:19 ひきこもり
「ぼくはまず、
人と会ってお話することがとても苦しい、
という学生でした。
いまでもそういうところがありますが、
一日中家に閉じこもって、本を読み、
池袋の文芸座に行って映画をたくさん観て、
また帰ってきて本を読む、そういう生活を
できればずっとしていたい、という、
いまでいうひきこもりのタイプでした」
松家先生は編集者時代、そうそうたる方々に
ロングインタビューをされてきたので
とてもそんなふうには思えないのですが‥‥。
しかも、私などの後輩にも、とてもフランクに
とてもたのしくおしゃべりをしてくださいます。
「それは、出版社ではたらきはじめてから
身につけたことでした。
出版の仕事というのは
人とコミュニケーションを取って、
同じ目的を持って、
まとめあげていく、というものです。
これは出版だけでなく
あらゆる職業に言えることだと思います。
新卒で編集部に入ると、
同じ部署で働く人には
来年定年だ、という人もいます。
外部で手を組む人たちも
世代はバラバラ、キャラクターもバラバラです。
そんな人たちと、同じ目標をもって
進んでいくのです。
ああ、人と話すというのは
こういうことなんだな、
だからこうやって話していくんだな、
とわかりました。
ですから、ぼくにとっては
会社が更生施設だったようなものです」
2014/08/21 13:12 将来のこと
「いまは小学生のうちから
職業体験学習をしたりするでしょう。
そんな時期に将来のことなんて
具体的に考えられている人がいるのでしょうか。
ぼくは、大学5年生になっても
将来についての考えを抱いていませんでした」
5年生、というのはつまり‥‥。
「ええ、大学を1年ダブっていますから」
卒業間近の、そのときまで。
「そうです」
新潮社には新卒で入られたのですか。
「1982年、新卒です。
村上春樹さんがデビューして
3年目くらいのときでした」
将来について何も考えていなかった青年が
なぜ新潮社でふたつの雑誌の編集長を
かけもちするほどの
編集者になったのでしょうか。
「それは、矯正につぐ矯正です。
大リーグ養成ギプスのような矯正でした。
ぼくは、はたらきながら
あ、はたらけるんだ! と
気づいていった人間です」
2014/08/21 13:05 暗記について
「算数に比べれば
国語英語は鼻歌まじりでした。
でも、単語や漢字を覚えるのは
そんなに得意ではありませんでした」
ああ、そこが問題ですね。
そもそも暗記を得意とする人って
いるのでしょうか。
「いますよ。
脳というものには個性がありますからね。
たとえば、参考書を読み込んで、
写真を撮ったように
見開きの状態で覚えられる人もいます。
ぼくが新潮社で雑誌の仕事をしていたときも
『ああ、あの資料どこにあったかなぁ』と
困っていると、
『それは1982年3月号◯◯特集の後半あたりの
▽▽先生のインタビューのなかの、
右下あたりのコラムにありましたよ』
など、スラスラ言う人がいました。
信じられないようなことですが、本当です。
しょっちゅうです。
ですから、ぼくは働きはじめてから以降は特に、
人間というものは役割分担できる生物なのだ、
苦手なところは得意な人にお願いしようと
割り切ることができました」
でも、学校のなかにいると、最初はとりあえず
「ぜんぶ得意」という状態を求められますよね。
算数も国語も体育も、遊びも発表も提出も片付けも
ぜんぶが得意。
「ああ、いまから考えても、
胸が苦しいです。
あの、小学校高学年時代のこと」
2014/08/21 12:56 理系への見切り
4年生から急に
優等生の道を逸れだした松家先生です。
「ああ、思い出す、あの校舎、
3階建ての屋上にあがる手前の
ちょっとしたスペースを基地にして
悪仲間と、なにをするわけでもなくたむろし
『女ってどうなってんのか?』などという
興味を主に語り合う、あの日々‥‥。
ぼくはそういう、悪い子どもの端っこにいました」
なにをするわけでもなく、という期間は
人生にはございますね‥‥。
「ええ。そして、算数に関しましては、
いまだにぼくは出張精算などが苦手なほどです。
まったくだめでした。
ですから、言葉としてはそう思っていないけど、
自分は文系だな、
ととらえていました」
はやっっっっ!!!
「植木算、滑車‥‥当然、理科もだめです。
生物などは得意でしたし
宇宙にも興味はありますが
それらを数値化しはじめたとたん全滅です」
わかるような気がします。
計算を物語化したものを
聞かせてほしい、ですよね。
「そうです、物語化してないとね」
2014/08/21 12:51 悪い高学年
「4年生になってね、まずは
算数が難しくなってきました。
そして、悪いことに
手を染めるようになりました」
悪いこと‥‥?
「まずは、朝礼台から女の子を突き落とす。
そして、スカートめくりです。
ぼくは臆病なのでじっさいには
スカートはめくりませんでしたが、
心のなかでめくりまくっていました」
ま、松家先生のイメージが‥‥。
朝礼台から突き落とす、は
おやりになったのですか?
「ああ、それはぼくにとって痛恨の
1回の暴力です。
ちょっとためしに、ぽんとやったら
ストーンと女の子が下に落ちてしまいました」
ストーンと。
それはちなみに、気に入った女の子
だったのですか?
「あたりまえです。
男子がちょっかいを出すのは
気に入った女の子に決まってますよ」





















