熊本の阿蘇山の火口にて
「写ルンです」にて撮影

前回は、写真について、悩んだり、
迷ったりしていたときに、
実は「写ルンです」が、そのヒントをくれた、
というお話をしました。
今回は、それはなぜなのか、についてお話をします。

そもそもこの“実践編”は、
最近、いろいろな種類のカメラがあって、
何を使っていいのかわからないという声が多い、
というところからはじまりました。
だとしたら、まずはカメラ選びから始めてみようと。
けれども、数回にわたってカメラの話をするなかで、
ぼくは大いに悩んでしまうことになります。
その理由のひとつとして、最近のカメラが、
本当に多種多様になったことがありました。

画素数もどんどん大きくなって、
感度もどんどん高感度になって、
動画機能はもちろんのこと、
さまざまなエフェクトもカメラ内に内蔵されている。
それを、写真を撮る上で、
どのようにとらえていけばいいのか、
いまひとつよくわからなくなって来ていました。

ぼくは、最近のカメラは、
あまりにも機能過多であるように感じています。
何よりも、いちばん気になっていたのは、
最近のデジタルカメラは、知らない間に、
しかも自動的に、そしてとてもきれいに、
思った以上に“写る”ことでした。

きれいに写るのに、悩んでいる!
ぜいたくな悩みと言ってしまえばそれまでなのですが、
ぼくが違和感を感じていたのは、
「きれいに写った」ということではなく、
「思った以上に」という部分でした。

ぼくたちは、写真を撮るときに、
目の前にある被写体に対して、
「きれいだなあ」とか、「かわいいなあ」とか、
「おもしろいなあ」とか、
「残しておきたいなあ」などなど、
さまざまな気持ちをひとつの始まりとして、
カメラを手に、シャッターを切ります。
もちろん、少しでもきれいに写ってくれたら、
うれしいに決まっているのですが、
時として「あれ、なんか違うな?」
ということがありますよね。
端的に言うと、「写した時の気持ちが、写っていない」
ということになります。
これが、しっくり来ない部分です。
ぼくの場合、その「なんか違うな?」が、
すごく増えて来たように感じていたのでした。

ところがある時、「写ルンです」を手にしてみたところ、
久しぶりに、撮影した時に感じた気持ちが、
驚くことに、しっかり写っているように思えました。
もちろん、最近のデジタルカメラに比べると、
「写っていない」部分をたくさん見つけることができます。
具体的には、ハイライト部とよばれる
白い部分も飛び気味ですし、
シャドー部とよばれる黒い部分も潰れ気味です。
(もちろんプラスチックレンズ1枚で
 撮ったことを考える と、
 ものすごい描写力だったりするのですが。)
それでも「写っている!」と感じるということは、
ある意味において、本当にいいなあと思える写真は何か?
ということへの大きなヒントがあるわけです。
そんな写真の持つ大きな可能性を、
ぼくは「写ルンです」を通じて
再確認することができました。

もちろん、「写ルンです」こそが一番だ、
という話ではありません。
(楽しいカメラであることに違いありませんが。)
時として「思った以上に」写ってしまう
最近のカメラのようには、いろいろなことができません。
けれども、「いろいろは、できない」の中から、
学べることって、たくさんあるのです。

奄美 加計呂麻島にて
「湿板写真」にて撮影

ぼくは10年以上前に一度、
今回と同じような体験をしたことがあります。
当時のぼくは、なんとか“木漏れ日”のきらきらとした
眩くあたたかい光を写したくて、
“湿板写真”という古典技法で撮影を繰り返していました。
その時は、技術的にも知識が浅く、
撮っても撮っても、本当になにも「写らなかった」。
やがて技術的にも向上して、
少しずつ写るようになってきたのですが、
だからといって、現在のカメラが写し出すような
解像感もなければ、階調のゆたかさもないし、
時には乳剤さえも流れているような状態です。
それでも、ずっと長い間試行錯誤してきたぼくにとっては、
今までのどんな写真よりも「写った」と感じました。
それはぼくにとって、とても不思議で、貴重な体験でした。

そんな一連の撮影は、「撮る」というよりも、
「写す」ということそのものだったように感じています。

カメラにとって、一番大切なことは、
“印象”という、どこかとてもあいまいな感覚の片鱗が、
少しでも、1枚の写真の中に写っているかどうか。
より高精細に、きれいに写すということではありません。
そしてそれは、その時の光にも大きく左右されます。
だからこそ、光そのものの存在を、
少しでも知っておくことは、
写真を撮る上で、とても大切なことのひとつです。

一般的に、「写真を撮る」と
「写真を写す」という行為は、
同じことのようにとらえられていますが、
ぼくは別だと思っています。
昨今のデジタルカメラは
「写真を撮る」という行為においては
きわめて優秀なカメラなのかもしれません、
けれども、しっかり使いこなすことができないと、
「思った以上」に撮れてしまう。
「カメラが勝手に写している」という部分が、
自身が「写したい」と思っているよりも、
大きくなってしまう時があるのですね。

この体感的なことは、
ちょっと言葉では説明しきれない部分かもしれません。
それがどういうことなのか知るという意味でも、
たったひとつの方法しか持っていない
「写ルンです」を使ってみてください。
自分がなにが写したいのかが
はっきりしてくるように思います。

とはいうものの、「写ルンです」は、固定露出ですから、
たくさんの光がないと、きれいに写りません。
ですので、晴れた日にこそ、その真価を発揮します。
もし可能であれば、晴れた日に、
一度「写ルンです」で、近所をぶらぶらしながら、
シャッターを押してみてください。
できれば、光がたくさんある場所の中で、
いつもよりも少しだけ光のことを気にしながら。
そうすると、もしかしたら「写っていない」中から、
「写っている」を見つけられるかもしれません。

次回も「写ルンです」を通じて、
露出という、光の情報量のお話をします。

2014-09-05-FRI