野村 これも『ボールのようなことば。』のなかで
印象に残ったことばですけれども、
「たいへんに愛情に満ちた
 『どっちでもいい』ってのは、あるよ!」
短いけれども力強い言葉です。
糸井 「どっちでもOK!」ってこと、ありますよね。
ババロアとプリンとありますけど、
どっち食べますか? って言われたときに、
「うわぁ、どっちもいいなぁ!
 どっちでもいいなぁ!」って。
それは愛情に満ちた
「どっちでもいい」じゃないですか。
野村 たしかに。
糸井 どっちかがよければ
どっちかがよくないと思うのが間違いで、
上から10個くらいぜんぶいいってときなんて、
ほんとに「どっちでもいい」。
たとえばあなたがくれたときの
「これ食べて」っていう、
その気持ちがほしいっていうときには、
「本当にどっちでもいいから、
 あなたが決めてください」って感じですよね。
なんていうか、自分でぜんぶ決めるのって
つまらないですよ。
どこかのお店で席に座ったときに
急に聞こえてきた自分の好きな歌って、
すごくいいじゃないですか。
受け身といえば受け身だけど、
受け身は受け身の楽しみがある。
野村 私、子どもがいろいろ言ってるとき、
疲れてたりすると、
「どっちでもいいから」っていうふうに
このことばをつかってしまうことがあるんですけど、
それは、どちらも「NO」なんだなと
いま、反省しているんですけど。
糸井 子どもが迷ってるときなんかは
単純に、変換して裏側から言えばいいよね。
「どっちもいいね」って
言ってあげればいいわけでしょ。
相手がどう感じるかだけの話ですから。
野村 そうですねぇ。
本のなかからもうひとつ、
これはちょっと長いことばなんですけど‥‥。
「コピーライターの世界には、
 昔から『キャッチフレーズを100本書け』
 というような練習法が、あるらしいのです」と。
でも、糸井さんは、否定してらっしゃって、
「『発想の千本ノック』みたいなことは、
 考えずに書けるようになるには
 いい練習かもしれない」けれども、
機械的に数を出すだけになるし、
粗製濫造になるので、よくないと。
「考えたり思ったりと関係ないことばは、
 ほんとうのことばじゃない」と書かれています。
これ、キャッチフレーズばかりじゃなく、
いろんなことが「千本ノック」に
なってるんじゃないかと思うんです。
アナウンサーになりたてのころも、
「○○を一日100回やれ」とか
そういうことを言われたりするんですけど、
「ただしゃべってたんじゃ何も変わらない」
ということに気がつかなければ意味がないというか。
糸井 そうですね。
だから、筋肉の訓練をしてるのか
トータルの話をしてるのかでぜんぜん違いますよね。
筋肉をつけるために何度もくり返すっていうのは
訓練として必要だと思うので。
でも、ほんとうに考えたり思ったりすることは
くり返すだけでは、まったく進歩しない。
基本的には違和感を感じられるってだけで
練習になるんですよ。
野村 違和感?
糸井 たとえば、間違ったものとか
たいしたことないものとかができたとき、
「できた」「言えた」って思ったあとで、
「でもあんまりよくないなぁ」って思える違和感。
それがきちんと感じられることのほうが、
「これいいね」って思えることよりも、
仕事としてやっていくうえではずっと大事なんです。
「たいしたことないかもしれないけど、
 それなりにいいよ」って言えることを
それなりにでもやり続けられるのがプロですから。
その意味では、できたものに対して
「なんかイヤだな」とか
「人はほめてくれたけど俺はちょっと
 なんか違うと思うんだよ」みたいな
違和感を感じることのほうが大事なんですよ。
でも、千本ノックみたいなことしちゃうと、
違和感を感じられなくなっちゃうんです。
キャッチフレーズを機械的に書いてると、
主語を「ぼく」にして一本書ける、
「私」で一本書ける、「俺」で一本書ける、
っていう感じで「3つできました」ってなると、
どうでもよくなっちゃう。
野村 考えた形跡がなくなってしまう。
糸井 そうすると一個だけいいの書くときと比べて
「違和感のない練習」になっちゃうんですよ。
そっちの方が悪い病気にかかる。
違和感のないなにかって、ただ鈍いだけですから。
でも、人って、そう決めたら、
それで100本、1000本やっちゃうんですよ。
コツや目的をきちんと把握するまえに、
「こうすればいいんだろう」って言って
力入れずにバーベルあげるみたいなことをやると、
やっぱり悪いクセがつきますよね。
野村 大事なのは、違和感。
糸井 そう。
「俺、いま、いいこと言った‥‥みたいだけど、
 イヤなこと言っちゃったなぁ」みたいなね。
そっちのほうが大事です。
野村 先日、立川談春さんの落語を聞きに行った時に、
頭の枕のところから
「ああ、このままきれいに噺に入るな」
っていう流れのときに、ぴたっとやめて、
「‥‥ここできれいに行きたくない
 っていうのが俺なんだ」って言って
「もうちょっと違うことをしゃべる」って
おっしゃったんですけど、そのときも、
「違和感があるんだ」っていう
おっしゃりかたをされたんですね。
きれいに流れることに対する違和感を
客観的に感じながら談春さんは話されていて。
「きれい」ってすごくまとまりがよくて
収まりもいいんだけれども、
そこに違和感を感じられるかどうかが、
もしかしたら個性の部分かもしれないし
感性の部分なのかもしれないななんて
糸井さんのお話をうかがっていて思いました。
糸井 違和感って、たくさんの経験があるからこそ、
感じ取ることができるんですね。
イメージのボキャブラリーが少ないときに
違和感ってあんまりないんですよ。
たとえば、子どもが甘いもの食べたら
「おいしい」って言うじゃない。
「甘い」っていうだけで「おいしい」わけで。
だんだんと「甘い」のなかにも
「おいしい甘い」もあるし、
「まずい甘い」もあるし、
「大好きな甘い」もあるってわかってくる。
大好きでしょ、って人から渡されたもののなかに
「いや、そんなでもない」っていうのもあるし。
それも違和感として「違うね」ってわかるわけで。
で、そのなかに飛びぬけて
グッドな違和感があったりすると、
「なに? いまの!」って驚きますよね。
その、驚きのような、質問のような、
いい違和感としての「なに? あれ?」が
やっぱり、いちばんおもしろいんですよ。
千本ノックなんかしちゃうと
それが感じられなくなるんです。
野村 その、感性のひだの部分を
潰しかねないということでしょうか。
糸井 そうですね。
野村 ありがとうございます。
それでは、最後に、本のなかからもうひとつ‥‥
あの、これは糸井さんが
どういう意味でおっしゃってるのか、
とんとわからなかったことばなんですが‥‥。
糸井 (笑)
野村 「世の中にはね、
 男と女とコロッケしかいないんだから、
 仲良くしなきゃだめだよ。」
ちょっと、これの意味が‥‥。
糸井 それはね、わからないです(笑)。
あの、口から出まかせです。
言われて気持ちいいでしょ、でも。
野村 はい、あの、
そういう見方もあるのかなっていう‥‥。
糸井 ま、野暮を承知でちょっと言うと、
「コロッケ」を入れないで
「世の中には男と女しかいないんだから
 仲良くしなきゃだめだよ」
っていうのが、ことばとしてふつうですよね。
野村 よくある考え方というか。
糸井 そこに「コロッケ」を混ぜるだけです。
野村 ‥‥変調させる面白さということですか。
糸井 いや、そんな(笑)。
なんだろう、よくわからない、自分でも。
野村 ‥‥コロッケお好きなのは
うかがってるんですけれども。
糸井 うん、好きですけど(笑)。
でも、なにが入ってもいいんですよ。
「コロッケ」っていうのは
きれいに入るんですよね、そこにね。
そういうことばを平気で
遊べるか遊べないかみたいなところは
案外、年をとらないとできないんですよね。
野村 このことばを本に入れるのは勇気がいりますよね。
糸井 それは、そこで笑ってる編集担当の
永田くんが入れたんだよ。
彼はぼくのそういうところ好きなんですよ、たぶん。
愛に似たものが入れさせたんでしょう。
それに匹敵するようなものが
ほかにもたくさん入ってますよ、きっと。
なんで入れたんだろう? みたいなね。
野村 そうか、でも、これも
糸井さんの世界ではありますよね。
だから、この本って、まじめに読めるところと、
ものすごく肩の力が抜けるところと、
糸井さんご自身がしゃべっているようなところと、
いろんな側面がありますよね。
糸井 そうですねぇ。
だから、いまのコロッケのことばとかは、
野村さんにこうして質問されるまでに育って
ほんとうによかったよね。
まぁ、おんなじこと二度と言えないタイプの
ことばなんでね、ここで拾われて生き延びたけど、
まったく忘れられちゃうようなことばですよ。
だけど、ここまで育ったっていうこと自体、
こういう本を出しておもしろかった、
よかったっていう例ですね。
野村 なるほど(笑)。
糸井 ときどき、こういうこと言うんですよ、ぼく。
それが自分のよさっていうか、
「誰かが言ったらうれしいだろうな」
ってことを、自分で言ってるだけで。
こういうことも含めて人の一生ですからね。
野村 うかがっていると、糸井さんは、
なんという多様性のなかで
生きてらっしゃる方なんだろうと。
糸井 上手な人も、コンセプチュアルな人も、
もっと、ひょいっと、コロッケを混ぜるといいよね。
ただの「そのまんま」みたいなことばって
もう、山ほどあるんでね。
コロッケのことばなんて、
ことばとしては機能してないけど、
マッサージしてるじゃないですか。
そういうおもしろさは自分のなかに取り入れた方が
自分の世界が大きくなりますよね。
アナウンサーがそれをやったら画期的ですよ。
野村 アナウンサーって、そういう要素を、
ついつい排除しがちな性格がありますけど、
むしろ仕事として入れた方が‥‥。
糸井 そういう番組をつくればいいんだよね、きっとね。
「どうでしょうね」って、ひとこと入れるだけで
ものすごくおもしろくなるよ。
野村 ああ(笑)、それ言えないんですよ。
糸井 「ナントカと思われます。‥‥どうでしょうね」。
野村 (笑)



(野村真季さんと糸井重里の話は今回で終わりです。
 最後までお読みいただき、
 どうもありがとうございました。)


2012-10-23-TUE