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自分の分身であるMiiをつかって
質問にこたえることで
友達と交流する「Miitomo」。
任天堂がはじめて手がけたスマホ用アプリは、
RPGでもアクションゲームでもなく、
コミュニケーションツールでした。
ふしぎな魅力と可能性をもつこのアプリについて、
「Miitomo」のプロデューサー、坂本賀勇さんと、
糸井重里との対談をお届けします。
リリースされるやいなや、
こぞって登録したほぼ日乗組員も、
自分のMiiとともに聴衆として参加しました。

「Miitomo」の公式ページはこちら

1似顔絵エディター

糸井
はじめまして、ですかね?
坂本
いや、じつはずいぶん前に(笑)。
糸井
ああ、失礼しました。
何のときにお会いしたんでしたっけ?
坂本
ええと‥‥
『中山美穂のトキメキハイスクール』
というゲームがありまして。
糸井
ああ、はい(笑)!
坂本
ずいぶん前に出たゲームなんですが
(『中山美穂のトキメキハイスクール』は
ファミリーコンピュータ ディスクシステム用の
ゲームソフト。1987年発売)、

開発が決まったとき、
当時社長だった山内(溥)が
「そういう仕事をするんやったら、
いちど糸井さんのご意見を聞きなさい」と。

それで、わざわざ
任天堂までご足労いただいたんです。
ぼく、そのときの担当でした。
糸井
あのゲームの担当でしたか!
坂本
そうなんです(笑)。
で、そのときに糸井さんから
いろいろとご意見をうかがったんですが、
話がだいたい終わったとき、
最後に糸井さんが
「じつは‥‥」っておっしゃって‥‥。
糸井
『MOTHER』だ。
坂本
はい。
『MOTHER』の企画書を見せていただきました。
糸井
そうでした、そうでした。
当時『MOTHER』という名前はまだなくて、
『ESP1』という仮題がついていて。
坂本
はい。
糸井
ぼくが任天堂に行ったのは
あれがはじめてだったんですよ。
ちなみに、あのとき山内さんがなぜ
「糸井を呼べ」って言ったかご存じですか?
坂本
いいえ。
糸井
あとから聞いた話なんですけど、
当時、『11PM』という深夜番組があって、
そこでゲームの特集をやったんですね。
そこにぼくはたまたま出ていて、
ゲームを擁護する発言をしたんですよ。
「昔はマンガを読んでいるだけで
『最近の大学生は‥‥』と言われた。
でも、マンガは後にすっかり市民権を得た。
ゲームがいまそう言われているのも、
それと同じことだと思う」

というようなことを言ったんです。
いまよりもずっとゲームが
バッシングされている時代でした。
で、テレビでぼくがそう言ったのを
山内さんが偶然観ていて、
(山内さんのモノマネ)
「‥‥そうなんや!」って。
坂本
ああ‥‥よく似てます(笑)。
糸井
というわけで、任天堂に行ったんですけど、
そうかぁ、そのときに会ってるんですね。
はあ、いまぼくは感慨にふけっているところです。
坂本
ははははは。
糸井
『中山美穂のトキメキハイスクール』って、
当時の、なんていうか、
いわゆる通信系のゲームのはしりですよね?
坂本
ああ、たしかに通信系ですね(笑)。
(注:ゲーム中に登場する電話番号に
電話をかけることでゲームのヒントが得られた)
糸井
じゃあ、それ以来?
坂本
そのあと、『MOTHER2』の完成パーティーに
参加させていただきました。
ぼく、田中宏和さん
(現在はクリーチャーズ代表取締役社長。
『MOTHER』『MOTHER2』の音楽を担当)と

なかよしというか、よくつるんでいたんですよ。
そのパーティーで糸井さんが
「ひろかっちゃーん!」と声をかけられたときに
たまたま彼といっしょにいて、
奥様ともごあいさつさせていただきました。
糸井
ああ、あの日ですね(笑)。
そのパーティーはよく覚えてます。
『MOTHER2』をつくっているときに
岩田(聡)さん(故人、任天堂前社長)が
「わがままを言っていいですか?」って、
めずらしく言ったんですよ。
「なんですか?」って聞いたら、
「『MOTHER2』ができて、
打ち上げのパーティーをするあかつきには
ぜひ奥様もお呼びください」って。
坂本
あー(笑)。
糸井
うちの奥様はわりと出不精なので、
そういう場にはあまり出ないんですけども、
岩田さんの初めてのわがままだったので、
「来てください」ってぼくからお願いして。
一同
(笑)
坂本
そのおかげでぼくも奥様にお会いできたんですね。
その頃、ぼくはちょっといちびってて、
ドレッドっぽい頭にしてたんですよ。
で、そのパーティーで、奥様に
「変わった髪型をなさってますね」って
ほめられたのが、いまも自分の宝です(笑)。
糸井
それがぐるーっと回って、
今日の日に至るわけですね。
坂本
はい。
糸井
その間は、どんなことをされていたんですか?
坂本
つくってきたゲームでいうと、
『メトロイド』、『ファミコン探偵倶楽部』、
あと、『カエルの為に鐘は鳴る』
とか‥‥『カードヒーロー』‥‥。
それから、『Miitomo』の元といいますか、
『トモダチコレクション』を担当しました。
糸井
ああ、たしかに
『トモダチコレクション』から
『Miitomo』への流れは感じますね。
「Mii」をつくるチームにもいらっしゃったんですか?
坂本
順を追って説明しますと、かつて
『とっとこハム太郎 ともだち大作戦でちゅ』
というゲームをつくっていました。
ハム太郎と会話ができて、
自分や友達の生年月日をどんどん登録していくと、
相手との相性がわかったり、
「今日は誰々ちゃんの誕生日だね」って
ハム太郎が言ってきたりする。
占いを通じて、コミュニケーションの
きっかけになるようなゲームでした。
糸井
はい。
坂本
それが発売されてしばらくしてから、
うちの女性社員たちから
「もうちょっと毒があるようなものだと、
OLがおもしろがって遊ぶと思う」

という意見がありまして。
自分でも確かにそうだな、
と思ったことがずっと残っていたんです。
その後、新人ばかり集めたチームで
わりと自由になんでもできるというときに、
じゃああれをやってみようと思って
取り組みはじめたのが
『オトナの女の占い手帳』というゲームでした。
糸井
『オトナの女の占い手帳』‥‥。
濃いですね、ずいぶん‥‥。
坂本
仮題ですが‥‥。
糸井
そりゃそうですね‥‥。
で、その『オトナの女の占い手帳』は?
坂本
それがなかなか思うようにいかなくて、
行き詰まったスタッフが、
似顔絵エディターをつくりはじめたんです。
糸井
おお(笑)。
坂本
占いにつかう友だちのリストが、
名前だけだと味気ないので、
似顔絵を入れようということになったんです。
で、その「似顔絵エディター」が
けっこういい感じだったんですよ。
最初はパーツのサイズや角度が
変えられなかったんですけど、
そこを自由に調整できるようにしたら、
かなり似せることができるようになった。
できあがったエディターで
ぼくが自分の顔をつくったら、
もう、一発で
(自分を指差して)こんな顔になったんです。
糸井
そんな顔になりましたか。
坂本
なったんですよ。
で、「これは似せれるでぇ!」と。
糸井
「似せれるでぇ!」と(笑)。
坂本
はい。
糸井
それが「Mii」に行くわけですね。
坂本
そうなんですが、すぐには行かないんです。
糸井
どうしてですか。
「似せれるでぇ!」なのに。
坂本
似せれるんですけど、
いろんな人の顔をどんどんつくって、
「これ、どうしよう?」と。
糸井
ははははは。
使い道がまだわからない?
坂本
そうなんです。
で、困ったなあと思いながら、
とりあえず、岩田に見せたんですよ。
「岩田さん、これおもしろいでしょう?」って。
いま思えば「子どもか!」って感じですけど。
糸井
ははははは。
坂本
そしたら、「んーーー」って、
あの感じで言われて、
「これは宮本さんが喜びそうですよね」と。
糸井
(岩田さんのモノマネ)
「宮本さん、前から考えてましたからネ」
坂本
あ、そうそう、そんな感じです(笑)。
糸井
実際、宮本さんはずっと言ってましたからね。
「似顔絵ソフトをつくりたい」というのは。
坂本
そうなんです。
で、それはいったん
岩田に預けた形になりまして。
ちょっと忘れてたんですね。
そしたらある日、急に呼び出されまして。
「え、ぼく、なんか悪いことした?」って
びくびくしながら行ってみたら、
「似顔絵エディターをWiiに使いたい」と。
それで、チームの主要メンバーが
「似顔絵チャンネル」をつくるために
Wiiチームに行くことになったんです。
糸井
そこでようやく「Mii」に。
坂本
はい。
糸井
『オトナの女の占い手帳』は?
坂本
ま、チャンスがあればまたやりたいなと。
一同
(笑)
坂本
まぁ、でも『トモダチコレクション』で
近いことができていなくもないので。
糸井
なるほどね。
つくりかけて「おもしろいかもなぁ」
くらいに思えたことって、
たとえ完成しなくても、
その後のものにどんどん活きていきますよね。
坂本
そうですね。
こういうやりかたをさせてもらえてるのは、
恵まれているなあと思います。
糸井
つくりかけているゲームが残っている感じ。
坂本
はい、そうです。
(つづきます)

2016-06-30-THU