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ルーヴルの思い出、紹介します。 ーその7ー

1週間続けて、
みなさんのルーヴルの思い出を
ご紹介してきた、
「ルーヴルの思い出、紹介します。」も
今回の更新が最後の発表となります。

本日は、少し多めにご紹介しますので、
どうぞ、ひとつひとつ、
ゆっくりお読みいただければと思います。

思い出 83

2005年の秋に両親といっしょにパリに旅行して、
ルーヴルに行きました。
父がどうしても見たいものは、
「有翼人面牡牛像」と「書記座像」。
「ツアーで来たときは見られなかったから」との理由でした。
古代オリエントと古代エジプトの展示室は、がらがらでした。
貸切みたいで贅沢だったなあ。

父は「書記座像」が特に好きで、
「おじさん」と呼んでいました。
「おじさん、小さいねえ。
 こんなに小さかったの。通り過ぎちゃったよ。」
なんて言いながら何枚も一緒に写真を撮っていました。

我が家で「エジプトのおじさん」と言ったら
ルーヴルの「書記座像」のことです。

(umi)

思い出 84

12年前新婚旅行で行った12月末のパリ。
思っていたよりももっと寒く、
ホテルからルーヴルに向かう間に、露天のお店で
ボア素材の黒いつばのついた帽子を買いました。
中はそれなりに暖かく、
様々な展示物に心を動かしながら見歩いていました。

ちょうど夫と離れて一人きりだったのですが、
ギリシャ彫刻が展示されている部屋に入ると、
そこには誰もおらず、
デッサンの練習で見た事のある大理石の彫像が
たくさん並んでいました。
石膏像でデッサンを習っていた私は、
「これは、本物だ。
 本物がこんなにいっぱいある」と興奮しました。
うれしさのあまり、
自分の身長より高いところに展示されている像を見上げながら、
きれいに並んだ像の間をスキップしながら
喜々としてジグザグとスラロームしていました。
一往復したところで満足し、
へらへらしながら部屋を出て行こうとしました。
すると、後ろから声をかけられ振り向くと、
どこにいたのか、学芸員風の若い男性が3人、
私の帽子を持って、にっこりと微笑んでいるのです。
手を見ると私の帽子を手にしていました。
スキップの途中で落としたらしいのです。

一人スラローム・スキップを見られてしまい、
恥ずかしかったのですが、
そのやさしい微笑みが、いまでも思い出になっています。

(ナオミン)

思い出 85

去年の夏、女子4人でフランス旅行に行きました。
ルーヴル美術館で見たものは数あれど、1番思い出深いのは
なんといっても「ガブリエル・デストレとその妹」です。

全員がフランス初心者の私たち。
ガイドブックと日本語で書かれた案内を両手に持ち、
広大な館内からお目当ての作品を探し出すことで、
疲労感は最高潮に達していました。
そんな中、一人の友人の希望により、
一度通ってきた道をかなり戻って探し出したのが
「ガブリエル・デストレとその妹」。

絵の前にたどりついたとき、
「これが彼女の見たかった絵。
 ん、乳首だ、乳首の絵だ‥‥」と
疲労困憊で考えることを停止した脳で
ぼんやり見つめたのを覚えています。

ルーヴルのことを思い返すと、
まずあの乳首の絵が思い出され、
乳首の絵を求めてさまよったことが思い出され、
乳首の絵を見たいと言った彼女が思い出され、
とにかく愉快な気持ちになる
中学男子のような脳みその私です。

(すー)

思い出 86

ロンドンに1年、ウィーンに1年、
それぞれ住んでいたことがあるので、
ヨーロッパの美術館はできる限りまわりましたが、
一番始めに行ったのがルーヴルということもあり、
そのときのことは未だに鮮烈に覚えています。

とはいえ当時は17歳の高校留学生、
交換留学斡旋団体企画のフランス旅行の一環として
立ち寄るだけだったため、訪問時間はなんと1時間。
大英博物館とならぶ所蔵を誇るルーヴルにて、
1時間しか与えられないとは!

憤慨しながら、とりあえずこれだけは見なくては、と、
ご多聞にもれず、
モナ・リザ」と「ミロのヴィーナス」、
サモトラケのニケ」、「民衆を導く自由の女神」を
ピンポイントで回りました。

このとき、これまで自分が見ていたものは
本当に資料であって、作品の1割も表せていない。
彫刻って、背中に回りこんで見られるんだ、
360度から見るべきなんだ、という、
雷に打たれるような経験をしたのです。

教科書や資料集では正面しか見られなかったその作品の、
後ろ姿のなんと衝撃的で美しく、驚きがあることか!
ミロのヴィーナスなんて、
後ろも別撮りして載せるべき‥‥と思うほど、
エロティックな腰の曲線、
見えそうで見えないヒップの割れ目、
背骨の美しいくねり方、か弱そうなうなじ、
もう、鼻血がでるかと思いました。
もう15年以上経つのに、
周囲の風景と共に、未だに覚えています。

平面の裏には、こんな世界が隠れてたんだ、
立体とは、こういうことを言うんだ、と
しみじみ実感したのを忘れられません。

その後、ルーヴルも何度か再訪しましたし、
ヨーロッパの大きな美術館や博物館は
できる限り回りましたが、
やはり最初のあの衝撃に勝るものはないなぁ、と思います。
有名であればあるほど、写真で目にすればするほど、
その後ろ姿に興味をもつようになりました。

(築地のこまつぐま)

思い出 87

パリには2回行きました。
仕事の都合上2回とも冬のパリでしたので、
天気のいい日は外を歩き回り、
天気の悪い日はルーヴルに一日こもってました。
一番好きなのはサモトラケのニケですが、
好きな場所はリシュリュー翼にある中庭です。

たくさんの絵画を見、たくさんの彫刻を眺め、
たくさんの工芸品に目を凝らした後に
たどり着いたのが中庭でした。
余りに多くのすごいものだらけの中で、
突然感じた外の息吹に
ホッと体が軽くなるような気がしました。
見上げてみれば、
天井はガラス張りでちゃんと建物のなかです。
でも、高い高い天井から柔らかく降る光と
植え込みの緑は公園のような開放感があって、
とても気持ちが良かったです。
大理石のベンチで
お昼がわりに持ち込んだバナナやクッキーを食べ、
リラックスすることができました。
見回せばそこにも彫刻があり、
美術館の中なんだなぁと思いますが、
ただ美術品を飾る展示室ばかりではないのが
ルーヴルの魅力ではないかと。

またいつかパリに行ったら、きっとルーヴルに行きます。
たぶん果物とクッキーを持って。
まだ見ていない絵画を見て、あの中庭で休憩する。
それが私のルーヴルの楽しみ方です。

(めぐむ)

思い出 88

8年くらい前アメリカに交換留学していた際、
冬休み期間中は大学の寮に居れないことになりました。
日本に帰るくらいなら、ヨーロッパに行こうと思い、
その際にルーヴル美術館も訪ねました。

ルーヴルは夜6時以降は学生はタダ(!?)
という情報を元に行ったのですが、
僕はなかなかルーヴルに入れませんでした。
もちろんすぐにガラス張りのピラミッドが
夕闇の中に煌々と輝いているのが
目に飛び込んできたのですが、
ルーヴルの事をほぼ知らなかった僕は、
「なんか行列が出来てるぞ!
 でも俺は歴史ある美術作品を見に来たんだ。
 あんな客寄せのような作品に並んでいる時間はないぜ!」
と思い、周囲の重厚な作りの建物の扉らしき所を
ぐるぐると見ては、
「開いてない。入口はどこ?」と探し回っていました。

結局近くの人に聞いて、
入口はアレ(ガラスのピラミッド)とわかり、
自分のバカさに苦笑いの思い出となりました。
今度はサクッと入って、作品の思い出を書きたいなぁ。

(novert)

思い出 89

私がルーヴル美術館に行ったのは、
2000年、大学の卒業旅行。
仲良し3人で計画した、
フランスからスペインまで電車で縦断する
貧乏旅行だったけれど、
今となっては贅沢な旅の途中でした。
迷宮のような建物や、
展示物から発せられる悠久の時間に圧倒されつつ、
ガイドブックを頼りに、くまなくみて回りました。

でも、10年以上経って鮮明に思い出すのは、
ミュージアムショップで
友人と待ち合わせをしていたときのこと。
地元の方と思われる、
お父さんと高校生、中学生位の男の子2人が
柱の影に隠れて、
どうやらお母さんを驚かせようとしているみたい。
ノリノリなお父さんと、
はにかんだ思春期らしき男の子の対比、
びっくりしたお母さんをみた3人のしてやったりな笑顔。
パリってなんかやっぱり素敵と、
美術鑑賞もさることながら、
今も思い出すのは、パリに根付くルーブルの日常でした。

(てんてこ)

思い出 90

私がルーヴル美術館を訪れたのはもう6年も前のことです。
大好きなフランドル絵画や
ラファエロの「聖母子像」を堪能したことも
忘れらない思い出ですが、
ひとつ、とても印象に残っている事があります。

展示室からメインロビーに降りようと階段を探していました。
ちょうど通路の先に
大好物のらせん階段らしきものが見えたので
近づいていきました。
(らせん階段の真上から
 渦巻きの写真を撮るのが好きなのです)
近づいてみるとそれはらせん階段ではなく、
ぐるりと柵のついた円形のスペース。
何だろうと見ていると、
後ろから現れた職員の男性がそこに入り
にこやかに「乗る?」という感じのジェスチャーをされたので
あわててジェスチャーで断りました。
男性が何やら操作すると、
そこが舞台の奈落のごとくゆっくり下降していきます。
下を覗き込むとベビーカーを押したマダムの姿が。
リフトだったのですね。
あまりにもスタイリッシュで気付かなかったのです。
職員さんはベビーカーのマダムの姿を見て、
リフト操作のために素早くやってきたのでしょう。

他にも、段差でつまづいて転んでしまった女性に
一体どこからこんなに湧いてきたんだろうと思うほど
わらわらと警備の男性が駆け寄ってきて、
もう大丈夫というジェスチャーをする女性を
とても気遣っていたり。

「適当大国おフランス」のクールな接客に
少々おびえ気味だった私には
ルーヴルの職員さんたちのホスピタリティの高さは
新鮮でもあり、
付かず離れずといったほどよい距離感を感じて
ほっとするものでもありました。

なんだか違う星の人のように感じていたフランスの方々を
なんだ、同じ人間なんだと今更のように実感できて
それ以降の観光がずっと気楽になったのを覚えています。

(カフェオレ)

思い出 91

3年前に初めて主人と行ったパリ。
美術館巡りが目的で、
短い旅程の中ルーヴルに丸2日使いました。
それでも駆け足で、
あれも見てこれも見てとせわしなく動き廻る私。
主人はさすがに疲れたらしく、
座って待ってるというので彼を1人残し、
ひたすらウロウロ。
目的の絵を見つけ、主人が待つ部屋に戻ったら‥‥。

主人はたった一人で座ったまま
フェルメールの「天文学者」を見つめていました。
フェルメール以外にも名作の並ぶ部屋でたった一人。
他には誰もいません。
私は軽く嫉妬し、せわしない自分が恥ずかしくなりました。
それから私も彼の横に座り、
しばらく名画を二人占めする時間を過ごしました。
あの時間は、パリで最高に贅沢なひと時だったと思います。

あのルーヴルでも、
エアポケットのような、静かな時間があるんです。
これから訪れる方にも
どうかそんな時間に巡りあえますように。

(fufu)

思い出 92

16歳のときの思い出です。

父の仕事の都合でパリに1年住んでいました。
当時インターネットも普及していず、
あまり語学も得意でない私が主にしていたことは、
美術館巡り。
しかもフランスは18歳未満は入場料無料!
ルーヴルにも何度も行きました。

ある日、日本から遊びにきた友人から
「ニケだけ見て帰りたい。連れて行って欲しい。」
と頼まれました。
「任せて!
 ニケまで最短で行けるルート知ってるから!」
と自信満々の私。

しかし、その日に限って、
行けども行けどもニケに辿り着かない。
いつも通れたルートがなぜかふさがっている。
「任せて!」なんて見栄張った手前、
係りの人に聞くのも恥ずかしい。
閉館時間は迫ってくる。友人も疲れてきている様子‥‥。
あぁ、絶体絶命!
というところで係りの人が「何か探していますか?」
とニケまで連れて行ってくれました。

「あぁ良かった。やっと出会えた、ニケ!」

が、このあとがまた大変で。
写真を撮ったりのんびりしていて気付けば周りに人がいない。

「出口はどこ!?」

行きに通れたルートも閉まっていて、
「通れる!」と思ったら係りの人がルートを締める直前で、
「通してください」と頼んでも首を横に振るばかり‥‥。
もう一生ルーヴル美術館から出られないのかと思いました。
あれから、ニケを見ると(スポーツブランドのNIKEも含む)、
誰もいない部屋に佇む名画の迫力、威圧感、出られない焦り、
これら全部がごっちゃになった、
ざわざわした気持ちが蘇ります。

(ピヨカイ)

思い出 93

1995年の夏、
それまで8年近く付き合っていた彼と別れました。
彼との思い出が隅々に残る東京から逃れるように、
仕事を辞めてパリに留学しました。

8区のアパートメントから左岸の学校までは
95番のバスで一本です。
バスはサンラザール駅、
オペラ座を通りルーヴルの庭を突っ切って
セーヌ川をわたり、サンジュルマン大通りへ。
モンパルナス方面へと進路を変えるとすぐ学校です。
セーヌ川を渡る時には右手にエッフェル塔、
左手にはノートルダム寺院が見えます。
このバスは毎日乗っていても
全然飽きることがありませんでした。
幸福感が傷ついていた私をどんどん癒してくれました。

ルーヴルのまん真ん中を
バスが通るということに最初はビックリしました。
でもお陰で色んな表情のルーヴルが見られました。
夏場の太陽の光で
きらきらとまぶしいピラミッドと大勢の観光客、
冬場、寒々しさを強調するかのような
冷たく曇ったガラスのピラミッド。
セーヌの反対側からみる壮麗な佇まい。
美術館の中へも何度入ったことでしょう。
友達とカフェを利用するだけの時もありました。
日本から尋ねてきた友人を案内したこともあります。
学校の先生に引率されて、
ナポレオンの戴冠式」の前で
アートの授業を受けたことを今でも覚えています。
芸術と歴史の街パリ、その空気に身体の芯まで
すっかり浸ることの出来た贅沢な2年間でした。

帰国後、縁あって、留学中にルーヴル近くのペットショップで
買った猫と一緒にカナダに嫁いで来ました。
その縁があったのは私のパリ留学の原因となった元カレです。
結婚後、夫と一緒にパリに2回行きました。
ルーヴルももちろん私の案内で隅々まで回りました。
パリ留学前後の3年間は全く交流のなかった彼に
私の経験したパリを
共有してもらいたかったのかもしれません。
ルーヴルの中、
彫刻をバックにおどけて写る夫の写真を見ながら、
今更ながら縁の不思議を感じます。
パリ、東京、トロントと世界一周した
猫のマカロンは今年18歳。
夫と3人穏やかに日々を過ごしています。

(マカロン)

思い出 94

私が初めてルーヴルに行ったのは約20年前。
美術の教科書でしか見たことがない絵を
間近に見られるとワクワクしていました。
でも私が一番心に残っているものは‥‥寂しげな猿です。
ルーヴルで最初に入ったポストカード売場で
出会ってしまったのです。
緑色の毛、手にバナナを持ちうつむき加減で
三角座りをしている陶器製の猿が写っているポストカード。
「え、これ何?可愛い!」とすぐに購入し、
それを持って美術館に入場しました。

有名な絵はガイドブックなどに載っていますが、
この猿は一体どこに飾られているのか見当もつきません。
絶対このおさるさんに会いたいと、
入ってすぐ係員の方にポストカードを見せました。
「この猿を見たいのですが、どこに行けばいいですか?」
すると2人で立っていた係員さんは、
見るなりぷっと吹き出してフランス語で(多分)
「おい、これ見ろよ!こんなのどこにあるの!?」
「え、知らないよ!」と言い合って大ウケ。
盛り上がった後、どこにあるかわからない2人は
また別の係員さんに聞きに行ってくれました。
そしてまたそこでもぷっと吹き出され
「こんなのあるの~?」とまた大ウケ。
「多分、王様達が使っていた食器などが
 飾ってある場所じゃないかな」と教えてくれて、
行くまでに有名どころの絵を見ながら
言われたところへ向かいました。

そしてやっと出会えたのです。
手のひらに乗るくらいの陶器の緑色の猿。
バナナ持ってるのに何故そんなに悲しげなのか、
作った人は一体何が目的だったのか。
あ~、連れて帰りたい!と本当に思いました。

今でもポストカードは大事に持っています。
裏にSinge assisと書いてあります。
20年経った今、初めてそのフランス語を調べました。
「サル座り」でした‥‥。

(げん)

思い出 95

ルーヴルの思い出と言えば、
「結構いい加減な修復をしているものもあるんだな」
というのがあります。

どこの時代のどんな壺だったかはさっぱり忘れましたが
欠けた部分の人物復元があきらかに漫画タッチだったのです。
「これはないだろう!」
と思い、写真もたくさん撮りました。

日本に帰ってきてからは
その写真を見せながら笑い話にしました。

(S.M)

思い出 96

学生の頃、夏休みに、3週間かけて
ヨーロッパの何カ国かを廻るツアーに友人と参加しました。
よくある駆け足旅行で、
フランスではパリにたったの3泊するだけでしたが、
それでも他の国々に比べれば多いほうでした。

私たちは建築を勉強していたので、
展示物もさることながら、美術館の建物そのものも
じっくり見るつもりでいたのですが‥‥
入館前に、ツアーガイドさんが、
「ルーヴル美術館は長手方向が500メートルあります」
と、さらっと説明してくれました。
500メートルって!? と絶句していた私の横で、
友人の「バカヤロー…」というつぶやきが。
あの弱々しくかすれた、
情けないような泣き笑いのような声は
今でも忘れられません。

短いパリ滞在をルーヴルだけにはさけないし、
結局私たちのルーヴル見学は、
美術品も建物も中途半端に終わりました。
ほんと、ルーヴルってすごいです。

(つきまま)

思い出 97

ぼくがルーヴル美術館を訪れたのは、2014年。
大学の卒業旅行でフランスに行きました。
就職が決まらずに旅行している場合じゃない
と言っていたぼくを
「うん」と言わせるまで誘ってくれた友人と、
3DSの音声ガイドイヤホンを片耳ずつ、
分け合って展示を観ていました。
「モナ・リザ」や「ミロのヴィーナス」を
観れたことも嬉しかったけれど、
それ以上にガイドを聴きながら一緒に観て、
歩けて楽しかった。行けてよかった。
最後にいい思い出ができて本当に良かったと思います。

(takuwan)

思い出 98

たしか、1999年ですから、
もう15年も前のことになります。
母と二人で初めてパリを旅した時に、
ルーヴル美術館を訪れました。
どのあたりにあったか、場所は覚えていませんが、
ポートレイトが集められている割と小さな部屋があり、
そこに入った時のこと。
突然、母が「あら!あれ!!」と声を上げて、
1枚の絵の前に走り寄ったのです。
それは、
エリザベート・ドートリッシュの肖像画でした。

私は、この絵のことも、描いた画家の名前も知らず、
何故母が興奮しているのかわからず、
きょとんとしていました。
母がまだ小さい頃に、叔父の部屋にあった画集を
引っ張り出してよく眺めていたそうで、
その中にこの肖像画があったのだとか。
(平凡社の美術全集だったそうです。)
母は、
「ルーヴルにこの絵があるなんて知らなかった!
 一度本物を見たいと思っていたのよ!」
と、それはそれは嬉しそうでした。

ルーヴルは絵画の数が多すぎて、
展示の間隔も狭くぎっしりと並べられている感じで、
正直1つ1つの作品に対する印象があまり残っていません。
ただ、この肖像画だけは、母の嬉しそうな顔と
共にはっきり思い出すことができます。

(ぴっち)

思い出 99

大学1年の夏、
とあるヨーロッパ研修旅行に参加しました。
夏休みの1ヶ月をかけて、
ギリシャからイギリスまで北へ北へと渡る旅。
中でもフランス・パリは、
もっとも楽しみにしている都市でした。

パリでの3日間の自由行動のうち
1日まるまるルーヴル美術館に費やすと決め、
ホテルから地下鉄を乗り継ぎ、
期待ではち切れそうになりながら足を踏み入れました。
かの有名な絵画が、彫刻が、
これでもかと次々に現れる、不思議、興奮、呆然、畏怖!
あぁもう、私は圧倒されっぱなしで、
次第に頭痛がしてくるほどでした。

そんな折、ふと1点の絵画から目が離せなくなりました。
ひとりの青年が、裸で、崖のような場所に座っています。
空は青く晴れ渡り、眼下に広がる海は波もなく、
優しい緑色に染まっています。
そんな穏やかで美しい景色の中、
青年は、膝を抱えて背を丸め、ただうつむいているのです。
おでこはぴたりと膝についていて、目は閉じられたまま。
彼はそれほどまでに、なぜ、絶望しているのだろう?
周りの景色とは裏腹に、
深く深く沈んでいくような彼の姿が、私の心に刻まれました。

それから数年後、いろいろあって大学を中退し、
フリーランスで仕事を始めた頃。
仕事で使う資料を探している時、
ルーヴルで買い求めた絵葉書が
引き出しの奥から出てきました。
中には、あの青年を描いた絵葉書もありました。
驚くべきことに、少しだけ大人になった私の目に、
その絵はまったく違って見えたのです。

青年は絶望などしていませんでした。
もっと遠くへ、より高く跳ぶために、力を蓄えているのです。
いつか機が訪れることを信じて、
目を閉じて静かにその時を待っているのです。

同じ絵なのに、見え方が180度変わってしまったことが、
私には衝撃でした。
と同時に、少しうれしくもありました。
うつむく彼の姿を、希望として感じられるということが。

フランドラン作「海辺に座る裸体の青年」。
以来、私にとって、自分自身の心のありようを知るための、
指標のような絵となっています。

(うらら)

思い出 100

2013年秋、遅い夏休み。
思い立って海外一人旅に出かけました。

海外旅行なんて小学生の時に家族でハワイ、
高校生の時にオーストラリアに行ったのみ。
それがもう14年前。
英語を話せる訳でもなく、
ヨーロッパの言語などさっぱり。
それでも一度ついた火は消えず、
切れていたパスポートを新規作成。
下調べもそこそこに、
飛行機と数日分のホテルを予約して
リュックひとつで女ひとり、
行き当たりばったりの旅に出ました。

オランダ、ベルギーと電車で回り、
パリに着いたのが4日目の午後。
オペラ近くの小さなホテルにチェックインして荷物を置き
映画で見たあの場所、を探しに散歩に出ました。
おいしそうなパン屋を見つけて
ボンジュー・メルシー・英単語でお買い物、
工事中の迂回路からなぜかデパート?モール?の中を通り、
こっちが川っぽい、とセーヌ川、ポンヌフ橋。
明確な目的地がないからプラプラしても迷子ではないよなぁ
と思いながら歩いていると
いつの間にか巨大な中庭に入っていました。

四方をぐるりと囲まれた、
人気のない中庭の真ん中に水の無い噴水。池?
ここはどこだと考えつつ噴水の縁に座ってくつひもを結び直し
入ったのと反対側の入口へ。

そこには、あのガラスのさんかくがありました。
ああ!ここがルーヴルか!
とようやく気付き、時計を見るともう17時。
今から入っても見切れないし、
パリは明日以降も行きたい所がある。
じゃあ今回の旅で入るのはあきらめよう。
とはいえもうすぐ日没、
ライトアップされたさんかくを見てから帰ろう。
そう思った私はさんかくから少し離れた建物沿いに座って
日没を待つことにしました。

所々にある四角い台(?)の上に立ち
さんかくを手の平にのせるポーズをとるこどもと
写真を撮るおとうさん。
噴水のふちに座って人目を気にせずラブラブするカップル。
大声ではしゃぎながら歩く女の子たちと、
ちょっと離れた所で笑う男の子たち。
固まって歩く日本人団体客と旗を振るガイドさん。
だんだん暗くなる空と、だんだん明るく光るさんかく。

たくさんの人がそれぞれの時間を楽しんでいる。
その光景を見ながら食べたクロワッサンは、
ほんとうにおいしかった。

いつかルーヴルの中に入ったとしても
その後の人生で最初に思い出すのは、
みんなが笑っていた、この光景なんだと思います。

(けんかたばみ)

約300通いただいた思い出のメールを
すべて紹介することはできませんでしたが、
みなさんのルーヴル美術館の思い出を読んでいると、
ほんとうにさまざまで‥‥。
ご応募くださったみなさま、
ほんとうにありがとうございました!

印象深かった思い出に送る、
すてきなプレゼントの発表は
3月下旬ごろになる予定です。
どうぞ、たのしみにまっていてくださいね。

※思い出の募集は終了しました。
 たくさんのご投稿、ありがとうございました。

投稿はメールで。

本文にあなたのルーヴルの思い出をつづってください。
掲載されたときのためのハンドルネームもお忘れなく。
件名を「ルーヴルの思い出」にして、
postman@1101.com 宛に送ってください。
(下記の「投稿する」ボタンを押すと、
 宛先と件名が入った新規画面がたちあがります)
締切は3月6日(木)午前11時までです。

字数制限はありません。

1行だけの短い内容や長文におよぶ内容も、
どちらも大切な思い出です。
ですから、書いていただく思い出に
字数制限は特にありません。
けれど、あまりにも長文になると
読むだけでたいへんになってしまいますので、
「常識の範囲内」ということで
ひとつ、よろしくお願いいたします。
また、掲載するときに、
少し編集させていただくことがありますので、
あらかじめご了承ください。

できるだけ思い出は掲載する予定です。

できるだけ多くの思い出を
掲載していきたいと考えています。
ただ、メールの数によっては
すべてを掲載することは難しいので、
「載ったらいいなぁ」くらいの気持ちで
更新をたのしみにしてくださいね。

印象深い投稿には、すてきなプレゼントを。



ご投稿いただいた思い出は、ほぼ日乗組員と
「ニンテンドー3DSガイド ルーヴル美術館」の
開発者のみなさんで話し合い、
印象深い投稿、心に残る投稿、ユニークな思い出には、
ニンテンドー3DSLLや
「ニンテンドー3DSガイド ルーヴル美術館」の
パッケージ版ソフトなどをプレゼントします!
パッケージ版ソフトはダウンロード版ソフトと
内容は同じなのですが、
ルーヴル美術館のみでしか販売していないので、
なかなか手に入れることができない
とくべつなソフトなんですよ。

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2014-03-09-SUN