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ルーヴルの思い出、紹介します。 ーその6ー

みなさんからいただいたルーヴルの思い出を
拝読していると、
家族旅行、新婚旅行、留学、単身赴任などなど、
みなさんがルーヴルを訪れるきっかけも、
さまざまですねー。
人の数だけ、思い出があるんだなぁ、と
しみじみと感じます。
では、本日もみなさんルーヴルの思い出を
ご紹介していきますね。

思い出 72

小学五5年生のころ、
家族でフランスに旅行に行きました。
両親共にアートが大好きで、
「ルーヴル美術館に行くんだ!」と
意気揚々としていたのを覚えています。

「ルーヴルにはねー、
 アレもあってねー、コレもあってねー」と
母が興奮しているのを横で聞きながら、
何かすごいものがゴロゴロしていて
とんでもない場所なんだ! とドキドキしていました。

大きな広場について、
三角形のピラミッドみたいなものが見えてきた時
「あれよ!あれ!ついに来たのね!」と
興奮する母を尻目に、緊張する父、兄、
よく分かんないけど凄い場所に来てしまったことを
怖がってしまっている僕。

入口について、まず飛び込んできたのは

「改装中」

という横断幕。
ヒザから崩れ落ちる両親に合わせて
人生初の「ヒザから崩れ落ちる」を体験した僕。

ルーヴルにはそんな思い出があります(笑)
いつか行ってみたいです。

(kohei)

思い出 73

25年前、24歳のときに
はじめてルーヴル美術館を訪ねる機会に恵まれました。
中学生の頃から絵が好きで
(ホントは美術の先生が好きだったのかも知れない‥‥)、
高校生になってからも油絵を続け、
その後の進路も美大を目指していました。

結果的に実力不足から入学の希望はかなわず、
文系大学卒業後、
ごくごく普通の社会人生活を送り始めた頃、
出張先でのちょっとしたトラブルが幸いし
パリで一泊することに。

仕事さぼって迷わず向かった先がルーヴル美術館でした。
観覧者も多くゆっくり絵を楽しむ雰囲気もいま一つでしたが、
学生の頃、
画集や美術室で見ていた絵画や石膏像の「ホンモノ」が
あちこちにあることには単純に感動。

大きな吹き抜けのホールの様な場所で、
「おお~っ、あそこに見えるのはミロのヴィーナス
一気に気持ちは盛り上がり、ぐぐっとそばに近づくと

「あれ、まっ白じゃないじゃん、
 ミロのビーナスって汚れてんじゃん!」

そこには感動のボルテージが
一気に下がっていく自分がおりました。

今となってはお子ちゃまだった自分を振り返るだけですが、
学校でデッサンしていたのは石工像、
今見ているのはホンモノの大理石像、
本物を知る事の意味ってこういう事なんだと、
他のどの作品との出会いよりも印象に残る出来事でした。

ホテルに帰りつく頃には気持ちも持ち直し、
出張中のトラブルにも心から感謝。
パリってすげぇ、やっぱり本物ってすげぇじゃん。
晩ご飯を食べる場所に困った事以外は最高の一日でした。

誕生日を迎えると今年50歳になる私ですが、
その後ちょっとだけ本物志向に走るきっかけになった事、
それがルーヴルの思い出だったのだと思います。

(らっしゅ)

思い出 74

初めてルーヴル美術館を訪れたのは
大学2年生の春休みのこと。
カンヌでの1か月の語学研修終了後、
パリで1週間滞在することに。
この1週間の滞在で、
できるだけ美術館を巡ろうと勢い込んで訪れた一つが
ルーヴル美術館。

教科書に載っていた「モナ・リザ」、
大きさに圧倒される「ナポレオンの戴冠式」、
空間を圧倒する「サモトラのニケ」、
どれも本物を間近で見られたという感動がありました。

しかしそれ以上に広い、そして人が多い!
徐々に人づかれしてきたので
無意識のうちに人のいない方、いない方へと‥‥。
ふと気がつくと周りは薄暗く、人気も全くない、
ピラミッドの土台部分のようなものに囲まれたエリアに
足を踏み入れていました。
そこは灯りもぼんやりしていて、
少しカビ臭く、両側その土台に囲まれている狭い空間でした。
さっきまで人がたくさんいたのに、
突然異空間に紛れ込んだような不思議で、
少し怖い感覚に襲われました。

その後、何度もルーヴルは訪れていますが、
ここがその場所だと自信を持って言うことができないです。
似たような場所に出たことはあるのですが、
人がたくさんいて、雰囲気もあの時と全然違う。
あの時私が訪れた場所は改修されてしまい
雰囲気が変わってしまったのかなと思います。
いつも人がたくさんいるルーヴル美術館で、
突然一世界で一人になったような贅沢な体験。

今でも夢のような気持で思いだします。

(A.S)

思い出 75

アングルの「グランド・オダリスク」です。
今から18年前、2歳と4歳の子連れで行ったルーヴル。
雨降りで寒くてなぜかタダで入館。
(どうやら出口の方から入ってしまったようです)
子連れなので
特に必死で見るでもなくたどりついた有名なこの絵。
「Jean-Auguste-Dominique INGRES?
 『イングレス』ってなんだろ? この絵は知ってるけど」
ああ、フランス語が読めない。
力の抜けたお間抜けなルーヴルの思い出は
オダリスクのつるっとしたおしりでした。

(S.S)

思い出 76

大学の卒業旅行で友達とパリに行きました。
初めての海外という事でツアーに参加したのですが、
その中のわずかな自由行動を、
美術品鑑賞が好きな私たちは
すべてルーヴルで過ごすことに決定。
 
しかし、正味3時間程度で、
あのルーヴルを攻略できるのか?!

そこで事前に見るべき作品を絞り、
無駄のないルートを設定していくうちに、
私たちの中で(特に友人にとって)
ルーヴルは
「3時間で攻略する巨大オリエンテーリング会場」と
化してしまったようでした。

美術館の地図を片手に
「はいっ、フェルメール「レースを編む女」!
よし、現在地はここだ。じゃあ次はこの奥の‥‥」と、
完全に名画が
館内のチェックポイントになってしまっていました。

それはあの「モナ・リザ」でさえも同じこと。
私は、次の名画目指して突き進む彼女が
視界から消えてしまうぎりぎりまで、
モナ・リザの正面に立ち、
この名画との短い逢瀬を精いっぱい楽しみました。

しかし、ある棟の奥の方に展示してあった
ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」に至っては、
サイズが大きいので遠くからでもそれと分かるのです。
友達は棟の中ほどで急に立ち止まり、
「はいよし! ドラクロワ! じゃあ次~」と
絵を指さし確認して引き返していくではありませんか!

さすがにこの時は、ちょっと待ってて、
と言って小走りで絵の正面まで行き、
多分一分くらい、名画を堪能しました。

友人の努力の甲斐あって、
無事時間内にゴールすることが出来ました。
しかしこのスタイルでも時間ぎりぎりだったので、
ルーヴル恐るべし。
普段はどちらかと言うと、
じっくり作品を鑑賞する私たちですが、
これはこれで、とても面白かったです。
だけど次にルーヴルに行くことがあったら、
時間を気にせず、
好きなだけこの美術館で過ごしたいです。

(ms)

思い出 77

多くの皆さんがそうだと思うのですが、
見所の多いパリ、
どこを見るのも駆け足になってしまいますよね。
個人旅行でパリを訪れた私も、
ルーヴル美術館の予定時間は最大3時間。
ネット情報で日中は大混雑で
チケットを買う列に並ぶだけで
数時間かかるとわかっていたので、
夜9時過ぎまで開館している水曜日に、
夕方から行きました(大正解でした!)。
時間が限られているので、
事前にホテルにてガイドブックで見所を暗記。
主要なものを駆け足でめぐる、あわただしいものでした。
サモトラケのニケ」「モナ・リザ」などなどは
ばっちり抑えましたが、
急いで回ったのであとから写真で見て、
「これはガイドブックに載ってたのと違う!」というのが
いくつかありました(笑)。
ミケランジェロ作「瀕死の奴隷」、
私が写真に収めていたのは「作者不詳」の作品でした‥‥。
でも、そっくりな作品だったんですよー。

そうそう、それから、
「ミロのヴィーナス」を背面から見られたことに
とても感動しました。
教科書に載ってるのは普通、正面からですから。
ビーナスの美しいおしりを見て、
じわじわと「本物なんだ~」と感じたことを覚えています。

広い広いルーヴルを3時間で回ろうというのが
だいたいにおいて無謀なのですが、
途中かなり館内で迷いました(時間のロス!)。
DSのソフトがどんなガイドをしてくれるのか興味深々です。
GPS(建物の中では無理?)を使って、
館内の道案内をしてくれる機能が
あったらいいのになぁと思います。
(編集注:館内を道案内してくれる機能、あります。
     詳しくはこちらをどうぞ

(La Pyramide)

思い出 78

私がルーヴル美術館を訪れたのは、
夫の転勤でトルコに住むようになって、
確か1年ほどたった時のことでした。

耳慣れない言葉、食べ慣れない食事、
日本に住んでいたらコンビニで売っているものが
手に入らない生活‥‥。
 ヨーロッパまで数時間という地の利を活かして、
週末(逃)旅行にあちこち出かけていました。

そんなパリ旅行で行った、ルーヴル。
有名絵画を次々に見てまわり、さすがに疲れた、と
ソファーで休憩していた私の耳に、
男性が子供に話しかける声が聞こえてきました。

「これはね、トプカプ宮殿のハマムなんだよ」
なんと、トルコ語です!
しかも、お父さんが子供に話しかけているので、
私にも聞き取れました!
「オスマン帝国は広かったから、
 ほら、いろんな肌の色や顔立ちの女の人がいるでしょ?」

「へぇー!」と、
思わず日本語で感心してしまったのは、私。
ものすごくびっくりしたのは、お父さん。

トルコ人はトルコ語を喋る外国人が大好きなので、
すぐにその場でおしゃべりが始まり、
トルコに住んでいることなどをしばらく話してから、
イスタンブールでまた会えるかもね、とお別れしました。

すごい!
私、知らないトルコ人と話ができるぐらい、
トルコ語できるようになった!!
とても嬉しかったのを、
まるで昨日のことのように思い出します。

そんなわけで、ルーヴル美術館は私にとって、
外国生活にやっと慣れたことに気づいた、
マイルストーンのような記念の場所。

なのでごめんなさい「モナ・リザ」さん、
私には、あなたより「オダリスク」のほうが、
美人に見えます‥‥。

(クラリチェ)

思い出 79

私は20歳のあの時、限られた時間の中で、
ハンムラビ法典」を見ようとルーヴル美術館を
小走りに走っていました。

「ハンムラビ法典、ハンムラビ法典」と呟きながら
一心不乱に走る私が何気なく左を向いた時、
私の目に飛び込んできたのは、
ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」でした。
思わず「うわー」とか「ええ~」とか
叫んでしまったような気がします。
世界史が好きだった私にとって、
教科書に載っている有名な絵が、
コロンと普通に他の絵と
同じようにかかっていることが衝撃的でした。

あれから約15年。
結婚した夫は高校で地理を履修していたこともあり、
あの時の話をしても感動はいまいち伝わりません。
そんな私の夢は、息子2人とルーヴルに行くことです。
子供達の本棚にペネロペがルーヴル美術館に行く絵本などを
さりげなく置きつつ、今からその日が来るのを待っています。

(tokikenta)

思い出 80

ルーヴルの思い出、という見出しをみて頭に浮かんだのは、
やはり「サモトラケのニケ」でした。
年と共に、絵や彫像との関係は変わっていくようです。

「ニケ」に会ったのは、10歳の頃。
頭部のない大理石の女神の像は、
初めて見て触れたヨーロッパを象徴する少し近寄りがたい、
でも忘れられないものでした。

次は30歳を過ぎた頃、
モスグリーンのジャンバースカートを着て
「ニケ」を遠くバックにした写真があります。
この日の朝は、早起きして、その頃日本の雑誌などで
紹介されていたパン屋のクロワッサンを食べ、
自分で行動する喜びに溢れていた時代。
肌はまだつやつやしている。
自分もニケのように
翼で風を切って進んでいけるような希望を
感じていたかもしれません。

そして40代半ば。
パリの街を歩いて歩いて足はまるで
錘をつけられたみたいにくたくた。
これ以上もう石畳の上を動けない。
でも、あと少しでルーヴル美術館、と
鼓舞して辿り着いた先に「ニケ」。
ニケの前の階段に座ること小一時間。
疲れがゆっくりゆっくりと、
ひんやりした階段の大理石に吸い取られ、
身体が軽くなっていきました。
「心ゆくまでここにいてもいいのよ」とでもいうように
「勝利の女神」がちょっと台座を降りて近づいてくれた日。
それで満足して、
あとの作品は何も見ずにホテルに戻りました。

( メイチン)

思い出 81

去年の春、誕生日プレゼントとして
娘をフランスに連れて行きました。
イースターの前の春休み時期で
ルーヴルはかなり混んでいたので、
ざっと見てゆっくりランチをしようという事になり、
カフェに行きました。

カフェも満員で、
私たち二人の小さなテーブルは
おいしそうなデザートのケースのとなりでした。
しばらくして、小学生くらいの男の子が
テーブル代表としてそのデザートを見にきました。
そして、一回席に帰ったら、
今度はメモ帳持参で戻ってきて、
ものすごく真剣な顔でメモを取り始めたんです。
それが、かわいくて可笑しくて、
思わず写真をこっそり撮ってしまいました。
その子のデザートへの真剣な眼差し、
それが私と娘のルーヴルの思い出です。

(ナゲちゃん)

思い出 82

私のルーヴルの思い出は
「さすがルーヴル、太っ腹や!」です。

当時イギリスに単身赴任していた私は
金曜夜の飛行機でパリへ行き、
日曜夜の飛行機でロンドンに戻る
そんな週末旅行を何回か楽しんでました。
私の好きなオルセー美術館は
日曜日は入場料が半額だったので
それを利用してよく訪れてました。
でもルーヴルは、一人旅では
お金を払ったことがなかったんです。
さすがルーヴル、やることが太っ腹やわ!
といたく感心していたものです。

後に、イギリスの駐在ご夫婦と
パリに旅行した際に
私の場合は偶然にも係の人が
席を外した時に入れただけだったと判明。
ルーヴルで私の踏み入れたことのない場所に向かうので
「どこに行くんですか?」と聞いたところ
「決まってるだろ、チケット買うんだよ」と言われ、
「ひぃーっ!」てなりました。

(Nabeats)

思い出 83

今から20年以上前、
女の子三人でヨーロッパに大学の卒業旅行に行きました。

バブルが弾ける前で
とても華やかな旅行が流行った時代でしたが、
当時の私は両親の離婚により
生活費を自分で稼がなくてはならない学生で、
お風呂もないアパートで一人暮らしという
バブルとは縁遠い生活をしていました。
アルバイトを掛け持ち、学業との両立で忙しい毎日でした。
お金にゆとりがなくて、
気持ちにもゆとりがなくなるようなこともありました。

私には銭湯がお休みの日に自宅のお風呂を貸してくれたり、
秋刀魚が一匹余ったからと
持ってきてくれたりする友人がいました。
彼女は総代も務めた才女で、
私の憧れでもあり、自慢の友人でした。

その彼女が卒業旅行はどうするか私に聞いてきました。
みんなが行くような贅沢な旅行は諦めていた私に、
私の経済事情を知っていてもなお、
彼女は私と一緒に行きたいと言ってくれました。

以前から彼女も私も
海外の美術館や博物館を巡ってみたいと話していました。
働き始めたらこんなに長いお休みはないし、
行くなら海外にと言う彼女は、
格安航空券を探し、バックパックを背負い、
ユーレイルパスを買い、ユースホステルを泊まり歩けば
結構行けるんじゃないかと私に説明しました。
私も最初は半信半疑でしたが、
今行かなきゃ一生行かないかもと、
塾講師のバイトを増やし、必死で30万円貯めました。

そして彼女ともう一人の友人と三人で
35日間、大小含め16ヵ国を廻りました。
ただひたすら名所旧跡、美術館、博物館を巡る旅でしたが、
それは楽しく、何物にも代えがたい貴重な時間でした。
彼女はこれはイントロダクションで、
歳を重ねたらいくらでも贅沢な旅行をしようと言い、
歳を重ねたら出来ない貧乏な旅行を楽しみました。

ルーヴル美術館は圧巻でした。
教科書で見たことのある美術品が
目の前にある幸せといったら!
美術館の下に城の遺跡があるとか、
全体を見るには部屋の端まで下がらないとならない
巨大な絵画を展示できる美術館の大きさ、
展示物も写真を撮ったり模写も許可されていることなど、
驚きの連続でした。
音声ガイドもお金がなくて借りられなかったのですが、
絶対ガイドはあった方がいいと思います。

「モナ・リザ」だけは他の絵画と違い、
大切に保護されてそこにありました。
モナ・リザは特別なんだねと話した記憶があります。
みなさんおっしゃるように、
想像より小さい絵だと思いました。
私が好きな古代エジプトの美術品も、
ここはフランスの美術館だよね?と思うほど
沢山展示されています。

ルーヴルと聞くと、あの時彼女が
一緒に行こうよ、今しか出来ないよと誘ってくれたこと、
自分たちが行きたいところ見たいものだけ巡る
自由な旅の貴重な体験を、一緒に思い出すのです。
英語も苦手で引っ込み思案で勇気のない私に、
時に厳しく自分で何とかするということを教えてくれた彼女は
私の一生の友人です。

今は彼女はアメリカに住み、
お互いに3人の子供を持つ親になりました。
年に一度彼女が帰国したとき会って話すのですが、
今度はもう少し贅沢な旅行を一緒にしたいねと言っています。
その時にはまた是非ルーヴルに、
できれば何日か通いたいです。

(こざるまま)

2月28日(金)に募集を呼びかけ、
3月3日(月)より、
みなさんの思い出を掲載してきましたが、
いよいよ、明日でラスト。

どうぞ、明日の最後の発表まで、
たのしんでいってくださいね。

※思い出の募集は終了しました。
 たくさんのご投稿、ありがとうございました。

投稿はメールで。

本文にあなたのルーヴルの思い出をつづってください。
掲載されたときのためのハンドルネームもお忘れなく。
件名を「ルーヴルの思い出」にして、
postman@1101.com 宛に送ってください。
(下記の「投稿する」ボタンを押すと、
 宛先と件名が入った新規画面がたちあがります)
締切は3月6日(木)午前11時までです。

字数制限はありません。

1行だけの短い内容や長文におよぶ内容も、
どちらも大切な思い出です。
ですから、書いていただく思い出に
字数制限は特にありません。
けれど、あまりにも長文になると
読むだけでたいへんになってしまいますので、
「常識の範囲内」ということで
ひとつ、よろしくお願いいたします。
また、掲載するときに、
少し編集させていただくことがありますので、
あらかじめご了承ください。

できるだけ思い出は掲載する予定です。

できるだけ多くの思い出を
掲載していきたいと考えています。
ただ、メールの数によっては
すべてを掲載することは難しいので、
「載ったらいいなぁ」くらいの気持ちで
更新をたのしみにしてくださいね。

印象深い投稿には、すてきなプレゼントを。



ご投稿いただいた思い出は、ほぼ日乗組員と
「ニンテンドー3DSガイド ルーヴル美術館」の
開発者のみなさんで話し合い、
印象深い投稿、心に残る投稿、ユニークな思い出には、
ニンテンドー3DSLLや
「ニンテンドー3DSガイド ルーヴル美術館」の
パッケージ版ソフトなどをプレゼントします!
パッケージ版ソフトはダウンロード版ソフトと
内容は同じなのですが、
ルーヴル美術館のみでしか販売していないので、
なかなか手に入れることができない
とくべつなソフトなんですよ。

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2014-03-08-SAT