COLUMN

ぼくの、
帽子にまつわる
三つのはなし
[2]ボロボロ帽子

画と文 牧野伊三夫

画家で、文筆家でもある牧野伊三夫さんに、
帽子をテーマにした三編のエッセイを
書いていただきました。
どうぞ、ゆっくり、お読みくださいね。
各回に掲載する画も、牧野さんによるものです。

まきの・いさお

画家。1964年福岡県北九州市生まれ。
多摩美術大学卒業後、広告制作会社サン・アドに
デザイナーとして入社。
1992年退社後、画家として活動を開始、
油彩、水彩、コラージュ、壁画、
音楽家とのコラボレーションなどの作品を
全国各地で発表する。

1999年、美術家たちと美術同人誌『四月と十月』を創刊、
現在も刊行中。

サントリー広報誌『WHISKY VOICE』
(1999~2006年)アートディレクター、
飛驒産業株式会社広報誌『飛驒』
(2011~2022年)編集委員。

著書に『僕は、太陽をのむ』『仕事場訪問』
(港の人「四月と十月文庫シリーズ」)、
『かぼちゃを塩で煮る』(幻冬舎文庫)、
『画家のむだ歩き』(中央公論新社)、
『牧野伊三夫イラストレーションの仕事と体験記
1987-2019 椰子の木とウィスキー、郷愁』

(誠文堂新光社)、
『アトリエ雑記』(本の雑誌社)、
絵本『十円玉の話』『塩男』(あかね書房)。

アトリエでの活動のほか、旅や料理、友人との交流など
日常の暮らしを題材に執筆。酒場と銭湯めぐりが趣味。
現在、雑誌『POPEYE』
エッセイ「のみ歩きノート」連載中。

2012・13・17年東京ADC賞、
第66回朝日広告賞、第34回読売広告大賞、
2022年原弘賞(2022年)ほか受賞。
日本文藝家協会会員。東京都在住。

2023年7月17日まで
東京・世田谷文化生活情報センター「生活工房」にて、
「牧野伊三夫展 塩と杉」開催中。

もう、いつどこで買ったか思い出せないが、
ひとつ好きで手放せないバケットハットがある。
もしかしたら、もう三十年くらい
かぶっているのかもしれない。
いくつかこの手の帽子を持っているが、
たぶんこれが一番安いはずだ。
他のものに比べて、布の感じがヘロヘロと薄く、
つくりもどこか弱々しい。
微妙な頭のふくらみ具合、ツバの長さ、
布地の柔らかさ具合が自分になじんでいるように思う。
古くなって新しく似たようなバケットハットを買っては、
鏡の前でかぶってみるのだが、
なんとなく違和感があって、
けっきょく、このボロボロ帽をかぶって
出かけることになる。
とはいえ、ボロボロ具合はなかなかのものである。

外側の濃い象牙色の布がくたくたしている様子は、
なかなか味わい深く、むしろ古くなったことが好ましい。
ところが裏返すと、ツバに貼られたチェック柄の裏地が、
まるで白波の立った海のようにケバケバと、
かすれはげている。
そして、内側の頭の部分の内布とちぎれて分離している。
ここは一度、妻にあて布をしてつないでもらったのだが、
その後またちぎれてはがれそうになっている。
このままかぶりつづけていると、
いつか脱いだときにチェック柄の裏布だけが、
ペロリと髪のうえに残ることになるやもしれぬ。
自分では直せないので、
また妻にあて布をしてつなぎ直すか、
全部張替えてくれないかと頼んでみたのだが、
なかなか手間がかかるので、まだそのままになっている。
それでも僕は、長旅に出るようなときにも、
これをかぶっていく。

洋服や靴でも、気に入ると同じものばかり身につけて、
すぐボロボロにしてしまうので、
あるときから、二、三買って使うようにしたが、
残念ながらこの帽子はそれができない。
でも、この帽子を手放せないのは、
もはや形やかぶり心地というようなことだけでは
なくなっている。
妻の手も入っているかけがえのないもので、
なんというか、お守りのようで、
かぶっていると心落ち着くのだ。
仕事でスケッチをするときなども、
自分らしい絵が描けるような気がする。
酒場では、もし酔っぱらってなくしては大変と、
脱いだらすぐにカバンにしまう。

もうひとつ、このボロボロ帽子の相棒がいる。
もう二十五年以上昔、
パリのポンピドゥーセンターのそばの古着屋で買った
コーデュロイのジャケットだ。
古着とはいえ買ったときは新品とそう変わらず、
ダークブラウンの美しい色をしていた。
いまでは色あせてラクダ色をして、
コーデュロイの凸凹も擦り切れ、
ガーゼのような芯材がそこここにのぞいている。
とくに袖のところは痛みがはげしい。
このジャケットも、
秋のおわりから春のはじめの寒いときに
スケッチなどの旅行に行くときは必ず着ていく。

あるとき、郷里に帰省するのに着ていくと、
ボロボロさを見かねた母からそっとお金を渡され、
「もっとちゃんとした服を買いなさい」
と言われたこともあった。
でも僕は、これでなくてはならないのだ。
いつだったか内側の布が破れ、
手を通すときビリビリと破れるようになってきたので、
仕立て屋で直してもらった。

着ていると、自分の好きな昔のモンマルトルの
画家たちの仲間になったような気がして、
絵描き魂のようなものが高まってくる。
新品の上等の服では気分がでない。
ほころびて、ちょっと淋しく貧しい感じの服の方が、
絵を描くときの心にしっくりなじむのである。
それでいつからか、こちらのほうは
「画家ジャケット」と呼ぶようになった。

(牧野伊三夫)
2023-06-06-TUE