COLUMN

チェコのカムナ。

shino

ウールのハラマキが発売となる今週の「weeksdays」。
3人のかたに「あたためる」をテーマに
エッセイをおねがいしました。
きょうは、プラハ在住のチョーカー作家、shinoさん。
石畳の街の暖のとりかた、どんな工夫があるんでしょう?

シノ

1961年生まれ。
1980年よりガラスに携わり、
シアトルのピルチャック・グラス・スクールで学ぶ。
仲間と立ち上げたガラスのスタジオ「ARTHOLIC」、
「美麻遊学舎」でのワークショップ運営を経て、
雑誌GLASSWORK誌に携わりつつ、
1992年、民主化されてまもないチェコへ渡る。

数年の製作中断期間を経て、
1995年より現地で活動を再開、
当初は仕事にするつもりがなく始めた
チェコのガラスビーズを使ったチョーカーが評判に。
あわせて磁器の器など、実用品の製作を始める。
やがてチョーカーはプラハ国立装飾美術館の
パーマネント・コレクションに選ばれ、
磁器のマグカップはプラハのキュビズム博物館で
チェコのキュビズムを継承する作品として販売されるなど、
チェコ国内での評価も高まる。

日本では年に2回個展を開催、
コレクターがうまれるほどの人気になっている。

チェコというと、「寒いんでしょう?」と
まるで極寒の地のように勘違いされることがあるけれど、
わたしの住むプラハにかぎって言えば、そんなことはない。

もちろん凍ったブルタヴァ川越しに見るプラハ城の眺めは
寒さを忘れるほどの美しさではあるのだけれど、
そんなことも最近ではごく稀。
プラハでは、雪が積もっても
根雪になることは滅多にないのだ。

25年ほど前、ここに暮らし始めた当初は、
冬の石畳は冷たく、
寒がりのわたしは紐靴の穴からすら冷気を感じたりもした。
最低気温がマイナス10度を下回る日もあり、
街ではマダムたちが毛皮のコートに身を包んでいる。
わたしも下着をすべてシルクで
揃えたりしたこともあったけれど、
やがて慣れてくるにつれ、
湿気のない寒さは防寒しやすいことを理解し、
今では湿気の多い日本の冬より
格段に過ごしやすいと思うほどだ。

なにより家の中は24時間いつでもポカポカ。
さすがに石炭によるセントラルヒーティングは
環境問題から廃止の方向にあるとはいえ、
温水をラジエーターに送り住まい全体を暖めるという
暖房システムが主流なことに変わりはなく、
この方式だと、居室も全体の空気がじんわりと暖まり、
局所的に寒かったり、暑すぎるということはない。
この快適な暖のとり方を経験して以来、
送風系の暖房はすっかり苦手になってしまった。

ただ、残念なことに今のアパートはこれではなく、
古いタイプのガスヒーターである。
それでも冬の部屋をいつも暖かに保つことはできるし、
ドライフルーツをつくるのには最適だ。
ヒーターのそばに、厚めにカットしたフルーツ
(たとえば、りんご)をざるに並べて置いておくと、
1週間もすればみごとなドライフルーツができる。
これをガラス瓶や友人のつくった器に盛って
食卓に置いておくのがわたしの冬の楽しみだ。

と、いまのチェコはそんなふうだけれど、
じつはこの国では「カムナ」という竃(かまど)が
長い歴史のなかで使われてきた。
家の中にしつらえて、調理から暖房まで、
必要な火力をこれでまかなうおおきな器具である。
竃だから一年中使うものなのだけれど、
冬には竃・兼・暖炉にもなる。
いや、冬はむしろ
暖炉・兼・竃と言ったほうがいいかもしれない。

わたしがカムナと出会ったのは、
プラハに住み始めて間もない頃。
友人の誘いで
モラビアの田舎家で夏休みを過ごしたときのことだ。

列車を乗り継いで着いたのは南モラビアの小さな村。
普段は誰も住んでいないという一軒家はとても古く、
まずは窓を開けてホコリを払い、井戸で水を汲み、
ロウソクを用意して‥‥。
そう、ここの家には電気もガスも、水道もない。
水は井戸から、照明はランプかロウソク、
そして料理はカムナを使ってつくるのだという。
お伽話にでてくるようなこんな家では、
冬はカムナのすぐ脇に寝床をつくったり、
煙突の這わせ方で家中の暖房を担ったりと、
その役割は様々だと知った。

竃には、薪をくべる口、灰をためる引き出し、
そして調理用のオーブンのドアがあった。
トップ(天板)は鉄製の一枚板で、
どこに鍋を置くもよし。
薪をくべるところに近ければ火力が強く、
遠ければ弱火での調理が可能。
この時は、夏とはいえ夜になると冷え込んだので、
一日中弱めに火を炊いて、
洗濯できるくらいの大鍋
(チェコではシーツを洗ったり、保存食をつくるための
巨大な鍋が各家庭に必ず常備されている)に
お湯を常に沸かし、ついでに暖もとるという使い方だった。
薄暗いキッチンに入ると、大鍋から湯気がたち、
焚き口の窓からはチラチラと炎が揺れて見えた。

完全に一目惚れだった。

「いいな、いいな」と思いつつ、
街のアパート暮らしではカムナを使うのは夢のまた夢。
カムナを使うにはそれなりの規模の部屋、
というか一軒家が必要である。
‥‥と、あきらめていたのだけれど、
昨年、ひょんなご縁でカムナをつくる会社から取材を受け、
またしても自分の中の
カムナへの想いが強くなってしまった。
そう、わたしにとってカムナは
まるで望郷のような憧れなのである。

そういえば、昔から薪をくべるのが好きだった。
アウトドアの焚き火やバーベキューではなく、
家の中の薪ストーブである。
子供の頃から実家のお風呂が薪窯だったことが
そもそもの始まりで、
東京で借り住まいをしていたころは
火鉢を使っていたこともある。
ガラスや焼きものに惹かれたのも
窯を使う仕事だったからなのか。

今でもストーブを見たら、
薪をくべたくてうずうずしてしまう。
なーんて言うとちょっと危ない人のようだけれど、
わたしのこの趣味は、
仲の良かった父親が消防士だったということと、
今となっては
不思議と繋がっているような気もするのである。

2019-01-14-MON