「ぼく、今日、めっちゃ幸せ。
だって、この時間がもう、ゴールだから」
対談の終わりに、井上慎平さんはそう言いました。
「NewsPicksパブリッシング」の編集長として
「強く、立派な人」であろうとするあまり、
ある日突然鬱を発症してしまった井上さん。
井上さんは、完治することのない症状を抱えながらも、
「もう一度社会に戻りたい」ともがく思いを
著書『弱さ考』にまとめました。
今回お会いすることになって、
糸井重里が決めたことはひとつだけ。
「井上さんが『ああ、居やすかった』と思える時間にする」。
全10回でお届けします。

>井上慎平さんのプロフィール

井上慎平(いのうえ・しんぺい)

1988年生まれ。
ディスカヴァー・トゥエンティワン、
ダイヤモンド社を経て、
2019年、ソーシャル経済メディアNewsPicksにて
書籍レーベル「NewsPicksパブリッシング」を
立ち上げ創刊編集長を務めた。
代表的な担当書に中室牧子『学力の経済学』、
マシュー・サイド『失敗の科学』
(ともにディスカヴァー・トゥエンティワン)、
北野唯我『転職の思考法』(ダイヤモンド社)、
安宅和人『シン・ニホン』
(NewsPicksパブリッシング)
などがある。
2025年、
『強いビジネスパーソンを目指して
鬱になった僕の 弱さ考』(ダイヤモンド社)を出版。
株式会社問い読を共同創業。

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第9回 老いていくこと

今野
そういえば、慎平は今日、
糸井さんにどうしても聞きたい話があるんだよね?
‥‥「老い」についての話で。
井上
ああ、そうだ、たのしくて忘れてました。
そう‥‥あの、ぼく、鬱になったとき、
できることがどんどん少なくなっていったんです。
ちょっと前までバリバリ働いてたのに、
だんだん、本を読めなくなって、音楽も聞けなくなって、
最後はトイレに行くのも大変みたいな感じになって。
下り坂をゆっくり下っていくのが「老い」だとしたら、
そこをいっぺんにジャンプした感覚というか、
本当に、急に、「おじいちゃんになった」みたいで。
それが、すごく怖かったんですね。

糸井
はい。
井上
で、あの、糸井さんっていま、おいくつですか?
糸井
77歳になりますね。今年。
井上
77歳ですか!
今日も糸井さんはずっとばーっとしゃべられてて、
むしろぼくが休憩をもらったりしちゃってるんですけど、
それでも糸井さんもきっと、
「できていたことができなくなる」みたいな、
そういう感覚はあるんじゃないかなと思っていて。
そのなかで、社会的に求められていた
「糸井重里」としての役割みたいなものが
できなくなっていくことに対して、
怖さとか、そういうものを感じないのかみたいな、
本音のところをお聞きしてみたかったんです。
糸井
ぼくはもう、本音でしか話せないんですけど(笑)、
ぼくはわりと、
「死んじゃう」っていうことに対しての重きが、
まだないんですよね。
これは、若いときからずっとなんですよ。

井上
重きがない。
糸井
「重きがない」って言い方が、一番合ってる。
もちろんこれについては、「それ、人は違うぞ」っていう、
「そこを間違うなよ」というところは、
自分でもけっこう注意してるところなんですけど。
でも少なくともぼく自身はまだ、
その感覚が続いている状態ですね。
それはもしかしたら、
「おもしろいことは、その都度やり終わってる」
っていうのも関係あるのかもしれない。
「目的」とか「旗」とか、そういう考え方を
してなかったおかげかもしれないですけど。
贅沢な話ですね。
井上
でも、贅沢っていうのも変な話で。
人間、いつから「目的」なんか考えだしたんでしょうね。
「その日、肉食えりゃいい」みたいなところから。
糸井
それはもう、なんというか、
「共同幻想」みたいなものだと思うんですよね。
「老いたらいろんなことができなくなっていく」というのも、
まわりの人が先にそうなっていくのを見たりして、
「俺もいずれそうなるだろうな」って思っていたんです。
でも同時に、
「意外となかなかならないな」っていうことも思ったりして。
そういうことって、案外たくさんあると思うんですよ。
たとえばぼく、
「娘が結婚します」ってなったときって、
人生の中でいちばんうれしかったんですよ。
ぼくは、「花嫁の父」じゃないですか。
一般的に「花嫁の父」って、
娘の配偶者に対して
「一発殴らせろ!」とか「娘はやらん!」みたいな、
そういう物語だらけじゃないですか。
あれ、全部「嘘」だったんですよ、ぼくにとっては。
まったくそんなこと思わなかった。
もう全然「殴らせろ」じゃないし、
「応援したい」と思ったし、
もしふたりが困ったときには
どうやったらわかんないように応援できるか考えたり、
やっぱり遠くで見守っていようかなとか思ったり。
どのぐらい幸せになっていくかなとか、
もう、楽しくてしょうがないわけですね。
悲しんだり、怒ったりっていうのは、
そういう「決まったパターンの物語」に
自分を当てはめて、感情をつくってるだけなんだって
気づいて、そのとき俺は、もう、超うれしかったんですよ。

井上
なるほど‥‥。
糸井
同じように、「死」や「老い」についても、
「死は怖い」とか、
「みんなこういうもんだ」っていう共同幻想の中に、
自分を当てはめているところがある気がするんですね。
「老いていく寂しさ」とか「できることが減っていく」とか、
いろんなケースを見てるけど、
自分自身はそのどれとも違うような気がして、
そういう気分になるのはもうちょっと先延ばししようかな、
みたいにして、今のところずっと来ています。
そうやって先延ばししながら、
「俺じゃない人がこの役をしたほうがうまくいく」
と感じたらすぐにでもやめようと思ってるのが、いまです。
死があるから、次の生命が生まれるんで。
その役は、おもしろくできるんじゃないかなって。
それも、アイデアですよね。
井上
「みんなこう感じるもんだ」というのは共同幻想だ、
っていうのはすごくわかりやすくて、
やっぱり、自分のボートがその地点にたどり着くまで、
わかんないんだなっていう気がしました。
糸井
そうかもね。
だから、
「これはまだ先だな」と思いながらも手を打ってることと、
「そこはどうでもいいや」と思ってることと、両方あります。
「無理なことをするのは減らそう」っていうのも、あります。
もちろん、この先について考えたとき、
心配性で、不安だらけで、孤独で、
っていうぼくだって当然いますし、
そういう自分も、全部本当ですよ。
そのうえで、バーンって転ぶ可能性があるなかで、
おっとっとって言いながら
ボートの上で立ち上がろうとしてるのが、
いまのぼくの「日々」ですよ。
それは案外、おもしろいです。
そのときに、「ああ思われる、こう思われる」
みたいなことは、ぼくはあまり考えないですね。

(明日につづきます)

2025-07-08-TUE

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  • 井上さんの著書
    『強いビジネスパーソンを目指して
    鬱になった僕の 弱さ考』

    (ダイヤモンド社・2025)

    「強くて立派な人」を目指すなかで、
    あるときふと、足が止まってしまった。
    井上慎平さんがつづったこの本は、
    「強がらざるを得ないで生きている人」であれば誰しも、
    どこかに「自分」を見つけられる本だと思います。
    「がんばれ」だけの本じゃない。
    「寄り添う」だけでも終わらない。
    強い誰かをまねて走りだすのではなく、
    弱い自分と向き合って次の一歩を探していくような、
    そういう「冒険書」を、井上さんは書きました。

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    井上さんが新たなに踏み出した
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