写真や映像の分野で
常にかっこいいことをやっている
奥山由之さんが、
このコロナ禍で撮っていたのは‥‥
「東京の窓」。
しかも、その数「10万枚」!
そこから「724枚」を選り抜いて
すごい写真集をつくりました。
それだけの「窓」に向き合ったら、
いろんなことが見えてきたようで。
写真集発売時に開催された
展覧会場で、お話を聞きました。
担当は、ほぼ日の奥野です。
(写真展はすでに閉幕しています)

>奥山由之さんプロフィール

奥山由之(おくやまよしゆき)

1991年東京生まれ。第34回写真新世紀優秀賞受賞。第47回講談社出版文化賞写真賞受賞。主な写真集に『flowers』(赤々舎)、『As the Call, So the Echo』(赤々舎)、『BEST BEFORE』(青幻舎)、『POCARI SWEAT』(青幻舎)、『BACON ICE CREAM』(PARCO出版)、『Girl』(PLANCTON)、『君の住む街』(SPACE SHOWER BOOKS)、『Los Angeles / San Francisco』(Union publishing)、『The Good Side』(Editions Bessard)、『Ton! Tan! Pan! Don!』(bookshop M)、台湾版『BACON ICE CREAM』(原點出版)、『windows』(赤々舎)などがある。主な展覧会に「As the Call, So the Echo」Gallery916、「BACON ICE CREAM」パルコミュージアム、「君の住む街」 表参道ヒルズ スペースオー、「白い光」キヤノンギャラリーS、「flowers」PARCO MUSEUM TOKYO、「THE NEW STORY」POST、「windows」amanaTIGPなど。

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第3回 言葉から、いかに逃げるか。

──
そこに誰も写っていないのに、
それで「東京の人を撮った」と言えるのが、
おもしろいし、すごい発想だと思うんです。
奥山
逆に、物理的に人物を撮っていて、
そこにはたしかに「人間」が写っていても、
「社会」を映し出すこともある。
写真って、そういう特性があると思います。
「シャッターを切る」というのは、
時間に「点」を打つ行為で、
鑑賞者も物理的には
その「点」を見ているのだけど、
本当は、その点の「前後」や背景、
つまり、その点「以外のすべて」を
見ていたりするんですよ。
──
えーと、どういうことでしょう?
奥山
たとえば、ある鑑賞者が、
この人は、どうして、どうやって
この写真を撮ったんだろうと考えたとき、
物理的には
その「点」である写真を観ていても、
脳内ではその点「以外」に
視点や思考をめぐらせているわけです。
つまり、物理的な写真を「視て」いながら、
「見て」いるのは別のものになる。
それが「観る」という行為なのではないかと。
──
なるほど‥‥たしかに。
奥山
「そこに写っているもの」は、
「そこには写っていないものすべて」を、
表現している。
それが「写真」なんだろうと思うんです。

──
いまの話の具体的なエピソードとかって、
何かありますか? 
いや、すごくおもしろいなと思いまして。
奥山
そうですね、ぼくがまだ高校生のときに、
イギリスのテート・モダンで、
ブルース・デビッドソンの展示を見たんです。
70年代のニューヨークの地下鉄を撮った
『Subway』というシリーズで、
ぼくは70年代のニューヨークを知らないし、
その当時の地下鉄も知らないのに、
音が聞こえたし、街の匂いも感じたんです。
実感できた、という意味で
あれが最初の「鑑賞体験」だったかもしれません。
──
つまり、視覚情報としては
時間に打たれた「点」を見ていたんだけど。
奥山
はい、70年代のニューヨークの地下鉄、
その音やにおいを感じたし、
そこに写っていないものすべてが見えた。
その意味で、
写真ほど映像的な表現はないと思いました。
──
映像的。
奥山
写真から脳内に喚起されるイメージって、
すごく「映像的」だと思うんです。
──
「点」の前後を想像させるという意味で。
想像喚起のきっかけは「静止画」なのに。
奥山
映像の場合はシーンを持ち帰りますよね。
反対に。
「あのときのあの表情がよかったな」とか。
「あの映画のラストのあの瞬間、最高!」
みたいな。
──
映画は、逆に写真的‥‥。
奥山
今回も「窓」を撮ってはいるんですけど、
窓そのものを見ているというより、
そこに息づく人々や、
その「窓」以外を見てしまう。
コロナ禍だったこともあり、
窓辺に不織布のマスクが干されていたりして、
そういうのも、洗って使っているのかなって、
意識的に想像しなくても、
その家の経済状態まで見えてきたりとか。
──
人間の想像力ということでもありますね。
奥山
想像力を発動させる装置なんでしょうね。
──
今回のシリーズって、
コロナ禍で撮りはじめたということなんで、
2020年の春くらい、から?
奥山
はい、撮りはじめたのは
2020年の4月とかで、
そこから2年半くらいかけて撮りました。
──
あらためて「10万枚」って、
ちょっとよくわからない数字なんですが。
奥山
そうですよね(笑)。
とにかく
公道から見える「不透明な窓ガラス」は、
すべて撮りました。
なので、撮影時に
「撮る、撮らない」を選択していません。

©️Yoshiyuki Okuyama ©️Yoshiyuki Okuyama

──
撮影の「方針」って何かあったんですか。
奥山
今回は明確なルールを定めていて、
まず「窓に対して水平垂直に撮る」こと。
トリミング位置も
編集段階で調整したかったので、
窓ガラスから外側の範囲を
どのぐらい撮るのかも、大まかに決めてました。
あとは、とにかく「機械」が撮り集めるように、
ただひたすらに。
──
撮りまくった‥‥東京中のすりガラスを。
奥山
自分自身の作為性からいかに逃れるか、
いかに排除するか‥‥
ということに向き合いました。
これまで、
あまりやったことのない撮り方でしたね。
──
不透明な窓ガラス、すりガラスって、
けっこうあるもんですか。街の中に。
奥山
あるんです。気をつけて見ていると、
けっこう目に入ってくると思います。
──
オフィス街なんかにも?
奥山
オフィス街で多く見かけるのは、
「くもりガラス」という
シートを貼った不透明ガラスです。
鉱物を混ぜ込んで光を屈折させている
いわゆる「すりガラス」は、
民家の立ち並ぶような地域に多いです。
──
それにしても10万枚‥‥(笑)。
奥山
かける時間と体力次第では、
できることだと思います。
大前提として、ぼく自身は、
「撮る」という行為に
それほど重きを置いてない作家‥‥
と言ってしまうと語弊があるんですけど、
撮る行為そのものより、
どうやって写真を選ぶのか、
選んだ写真をどう構成して、
どうプレゼンテーションするかのほうが、
ぼくにとっては、
より「写真行為」という言葉に近いんです。
──
おお‥‥。
奥山
今回も「10万枚、撮った」ことよりも、
そこから
写真集のために「724点」を選んだとき、
それらをレイアウトするとき、
本の装丁を考えるとき、
さらにそこから
展覧会のための「25点」を構成するとき、
そういった時間のほうが、
行為としては圧倒的に「重い」んです。
──
「撮ること、そのもの」よりも。
奥山
これにしようと選んだときにはじめて
「シャッターを押している」というか、
現場では
押せるだけ押すのが自分のスタイルで、
その中から「選ぶ」ときに
「本当の意味で押している」感じです。

©️Yoshiyuki Okuyama ©️Yoshiyuki Okuyama

──
「決定的瞬間」は、あとからやってくる。
奥山
もっと言えばシャッターを押すことより、
どういった制作工程を踏むのか、
どう演出するかを考えることのほうが、
作家としてはよっぽど重要だと思ってます。
──
奥山さんの写真家としての仕事の核心は、
そこにある‥‥と。
逆に聞くと「10万枚、撮った」時点で、
なぜやめようと思ったんですか。
そこまでやったら、
えんえんやれちゃいそうじゃないですか。
奥山
まず「量」が必要だろうということは、
はじめから思っていました。
なぜなら「1500万人」近くいる
「東京の人々」を表現するのに、
「100枚」では明らかに足りないので。
人それぞれが
ぜんぜんちがう人間であるように、
窓ごとに唯一無二の個性があると思います。
ただ、永遠に撮っていては
作品としてまとめられないので、
最終的には「東京23区とすべての市」を
撮りきったところで、やめました。
──
うわー、ぜんぶ回ったんですか。
で、そのあとに、
10万枚からセレクトしていった‥‥と。
シャッターよりも「重い」選ぶ作業を、
じつに「半年間」もかけて。
奥山
毎日毎日「窓の写真」を見続けるわけですが、
写真のセレクトって、
言葉でカテゴライズして選んでしまえば、
楽なんです。
たとえば
「○○が写っている写真を選ぼう」だとか。
そのほうが機械的に選べるので、
時間はかからないんですけど、
ぼくは、そうしたくないんです。
──
どうしてですか?
奥山
言葉には、変換しきれないものごとを
伝えたいがために
表現をしているという前提があって、
機械的な選び方をしてしまうと、
鑑賞者が、
その暗黙のルールを認識してしまったり、
作品から「言葉」を抽出して、
その言葉が指し示す範疇から外への拡がりを
持てない作品になってしまう。
矛盾だらけのこの世界や人間という存在を、
あたかも秩序があるかのように、
理解の檻に押し込めてしまう。
──
言葉の呪い、言葉の縛り‥‥。
奥山
逆に、見た人によって、
ぜんぜんちがう受け止め方をされるのが
「いい作品」の条件のひとつだとも思っています。
鑑賞者それぞれの心象風景と共鳴する要素を
持ち合わせている、
根本的に普遍性を獲得していて、
ゆえに自分自身の考えを膨らませていける、
そういう「余白」のある作品が、
ぼくは「いい作品」だと思ってるんです。
「いい作品」というとあれだな、
「好きな作品」ですかね。
──
なるほど。
奥山
自分の中で言語化して選んでしまったら、
そもそも作品として提示する意味を
あまり感じない。
もっと世界や人間の「矛盾」と
格闘しているような、
「わからない」と向き合ったような、
そういう作品が見たい。
だから「言葉から、いかに逃れるか」を、
写真を選ぶ際には気をつけているんです。

(つづきます)

2023-09-23-SAT

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  • 写真家・映像監督の奥山由之さんが、
    コロナの期間、
    東京をくまなく歩きまわって撮った
    不透明な窓ガラス、
    その数なんと「約10万枚」‥‥!
    それらとんでもない量の「窓」の中から、
    半年かけて「724枚」を選び、
    見たことのない作品集にまとめました。
    もう、おかしいです。
    本当に度を越しています。ヘンです!
    (最大級の賛辞です)
    この「ヘンさ、とんでもなさ」には、
    人をひきつける力が宿ってると感じます。
    少なくともぼくは、どうしても
    写真集をめくってみたくなりました。
    インタビューでも語られますが、
    こうして不透明な窓ガラスを撮ることで、
    奥山さんは、
    東京に住む「人」を表現したかった、と。
    「東京のポートレイト」なんだ‥‥と。
    謙虚で丁寧な好青年・奥山さんが
    懐に忍ばす「おそろしさ」が伝わります。
    ぜひ、手にとって見てください。
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