ほぼ日は創刊27周年をむかえます。
27年間、1日も休むことなく、
大きいものから小さいものまで、
たくさんのコンテンツをとどけてきました。
そこで、みなさんにひとつ質問します!

これまでに公開したコンテンツで、
「あ、ほぼ日っておもしろいかも」と、
最初に気になったものはなんでしたか?

偶然見つけた記事、誰かのことば、あの商品‥‥。
ほぼ日の27年におよぶアーカイブのなかで、
あなたが最初に「いい!」と思ったコンテンツを、
わたしたちにおしえてください。
ご協力くださった方には、
抽選でかわいいアクキーをプレゼント!
アンケートの結果は
創刊記念日にどどーんと発表しちゃいますー!

※募集は締め切りました。
たくさんの投稿をありがとうございました!

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ほぼ日読者の、 わたしの入口。結果発表

 
数回にわけて掲載してきた
「わたしの入口」という企画も、
このページが最後の更新です。
 
ほぼ日が創刊してから27年の間で、
多くの人の興味を引いたのは、
どんなコンテンツだったのでしょうか?
 
きょうはアンケート結果をもとに、
トップ10に入ったコンテンツを
ランキング形式にして発表していきます。
 
ふだんは順位をあまりつけないので、
こういう発表の仕方は新鮮な感じがします。
一応、順位はついていますが、
「だいたいこのへんが上位なのね」と、
ざっくり眺めてもらえるくらいが
ちょうどいいのかなと思います。
 
きょうもテキスト主体の
長いページになりそうなので、
前置きは短く、さっそく発表していきましょう!
 
ご挨拶が遅れました。
ページの担当は、ほぼ日の稲崎です。
どうぞよろしくお願いします。
 
まずは第10位から第6位まで、
いただいた投稿とともに、
一気にごらんいただきます。
それでは、おたのしみください。

自分が会社で普通に話している言葉が
こんなにおもしろがられるネタになるなんて、
爆笑しながら読んでいました。

覚えているなかで衝撃だったのは、
「大人は山折や谷折を折り返さない。
大人が折り返すのは電話だ」
というフレーズでした。

折り返すものを、
山折や谷折だと思う人間がこの世にいるのか!
‥‥いや、まて、私も子供の頃は
山折しか折り返せなかったじゃないか‥‥。
いつから電話を折り返せるようになったのか。

それは成長なのか、堕落なのか、
真面目に考えさせられながらも、
日々の会話で利用している言葉の、
いかに曖昧にさせるか合戦。
それを笑いにしてしまうことで
人に気付くきっかけを作ってくれている。
ものすごく爆笑しながらも、
考えさせられたコンテンツでした。

(広海)

 

いまほどネットに多くのコンテンツがない中、
笑いをもらったコーナーのひとつでした。
そのあと書籍化されたときは、
片道4時間かけて本屋を探した記憶が鮮明にあります。
「オトナ語の昔話」は、
笑いと実感のミックスで大笑いしました。

(バンちゃん)

 

「オトナ語の謎」が新聞に紹介されていて、
書籍を購入したのがきっかけです。
すでに社会人となっていた私は、
なんて面白いんだと。
普段意識せず使ってる言葉を集めたら、
こんなに面白くなるのかと。

それから芋づる式に
いろんなコンテンツを読むことになるのですが、
「何気ないことでも見方を変えたら面白くなる」
ことに気づかせてもらったのは、
オトナ語かな、と思います。

好きなオトナ語は‥‥直行直帰。

(つわぶき)

いま高校生の私にとって、
このコンテンツは未知との遭遇そのものでした。

山ほどあるテレビの年末特番の中から、
どれを見るか決めるという
トーク内容も腹を抱えるほど笑えるのですが、
現在放送されていない
年末特番がわんさか登場してきて、
2003年にまだ生まれてすらいない私には
非常に新鮮な話ばかりでした。
なにより糸井さんが寝落ちするという
オチが大好きです。

(はなな)

 

「新選組!」が好きで検索していた時に、
ほぼ日にたどり着いた記憶です。
当時好きすぎて印刷して読んでいました。
ものすごいテキスト量で、
すごい枚数になってました。(至福)

(シカ)

 

ドラマを見て泣き、
ほぼ日を見てまた思い出し泣きをする日々でした。
あれ以来、糸井さん永田さん西本さんのことを
同志だと思っております。

(ミルキー)

 

「ほぼ日」の皆さんと一緒に
大河ドラマ「新選組!」を見ている気持ちで
夢中になりました。
みなさんの感想や考察を読むのが面白く、
勉強になりました。
みなさんが京都まで旅行された時は、
本当に羨ましかったです。

今、SNSでドラマの考察や
聖地巡礼が話題になりますが、
まさにその最初のようなものではないかと
思っています。

(reiko)

約半年前、どうぶつの森シリーズに登場する
村や島を色々調べていたところ、
糸井重里さんがお作りになられた
村に関する情報がたまたまヒットしました。

「恐怖の部屋?どんな村だったんだろう?」と、
さらに検索してみるなかでほぼ日を発見。
そのコンテンツがきっかけで
ほぼ日に興味を持つようになりました。

読み進めてみると楽しくて、面白くて、
ずっとスクロールし続けていました。
乗組員の皆さんのありのままのプレイ日記や、
糸井さんの恐怖の村‥‥。
私ももっとどうぶつの森を楽しめる、
もっと楽しもうと思いました。

それから「樹の上の秘密基地」、
「おいとし」の特集コンテンツ、
「今日のダーリン」を読み進める日々がはじまり、
いまに至ります。

今日も楽しく読ませていただいています。
ほぼ日創刊27周年おめでとうございます!

(お気持ち)

「ニンテンドーDS」が発売されるとき、
いろいろ情報収集をしていましたが、
完全新規のタイトルを特集するところは、
当時そう多くありませんでした。
プレイ動画を見て「おもしろそう!」となり、
そこからほぼ日のゲーム関係の過去記事を読み、
岩田さんの対談記事や、
その他のさまざまな連載記事を読み、
少しずつ「ほぼ日」にハマっていきました。

(んば)

 

当時中学生だったのですが、
まだこの世で見たことのない
革新的なゲーム機「Wii」の
発売前レビューを楽しんでいました。

この記事以外にも
岩田さんと糸井さんの対談記事など、
ほぼ日さんの記事はどれも面白くて、
夢中になって読んでいました。
ほぼ日のアプリをひらく今日があるのも、
そこがきっかけだったと思います。

(ツロ)

 

みなさんが「どうぶつの森」を
やってる様子がめちゃくちゃ楽しそうで、
私もやりたくなって、
「ニンテンドーDS」を買おうにも
当時人気でなかなか手に入らず、
だいぶ遅れてはじめたことを思い出しました。
記憶に残る一番古いコンテンツです。

(りえぽん)

ほぼ日自体を初めて見たのは
もう少し前だと思うのですが、
ほぼ日を毎日見るようになったのは、
昨夜、オレは観た!(アテネオリンピック)
のときからです。

当時はまだオリンピックを
夜間に起きて見るほどではなかったので、
ドラマチックな金メダルとなった体操も、
翌日のニュースと録画放送を見たのでした。

結果を知っているのに
一緒に見ていた弟とすごく盛り上がって、
その直後にほぼ日を見たら、
興奮とワクワクと皆さんの熱い思いが
そのまま詰まっていて、
一緒にライブで観戦したくらい
楽しかったのを覚えています。

その後のオリンピックからは
深夜の大一番のライブ観戦をしたり、
逆にマイナーな種目を新鮮な目で観戦したり、
オリンピックを何倍にも楽しめるようになりました。

(カサネコ)

 

読み出すとドハマリしてしまって、
更新されるのを心待ちにしていました。
期間後半には五月雨更新になるので、
1日に何度もリロードして
ワクワクしながら読んでました。

しまいには自分でもオリンピック見ながら
小ネタ探して投稿して
2回くらい採用してもらったこともあります。

永田さんの名コメント
「結婚しちゃえ!」ももらいました(笑)。
(本当にそのネタの彼氏と結婚しました)

(イツカ)

 

ただひたすらに楽しかったんです。
自分のまわりには若干アホなくらいの
オリンピック好きっていなかったので、
たくさんの読者の皆様と
一体感をもって観られたのが最高でした。

永田さんをはじめスタッフの皆様も
大変だったとは思いますが、
唯一無二の参加型コンテンツだったと思います。

また、送信した感想を掲載していただくと
ラジオの深夜放送でハガキを読んでもらったくらいの
喜びがあったものです。
いまでも大切な思い出です。

(A_suke)

ほぼ日手帳を知ると同時に、
ほぼ日そのものに興味を持ったのですが、
とくに食い入るように読んだのが
「おとなの小論文教室。」でした。

当時は
「どうしてこんなに上手く行かないの」と
思う事ことが多く、
苦しい日々を送っていました。
読んでいるうちにあらゆる人を否定せず、
それでいてちがう方面からの考えを提示してくれる
大事な道しるべのように感じました。

まず「他人のせいにする」ことが減り、
それから少しずつ物事が
上手くまわりはじめた気がします。
もちろんいまも読み続けており、
誇張抜きに
「私が生きやすくなった理由のひとつ」
だと思っています。

(ぼたねこ)

 

大学2年の頃、ある講座で
同じ大学・学部の5年生の先輩に出会いました。

毎週の講座に通いながら、
課題についておしゃべりするようになり、
ある日帰りの電車で
「ほぼ日って知ってる?」と教えてもらいました。

「ほぼってなに?およそ、ってこと?」と
根掘り葉掘り聞くうちに、
当時の私より年上の大人たちが好きな
読み物サイトなのだなと理解したのでした。
その中でも特におすすめされたのが、
「おとなの小論文教室。」で、
自分自身のことをどう文章化するか、
連載を遡って読み、
最新の記事については
講座のたびにふたりで話し合いました。

連載を読むたびに、いまでも当時を思い出します。
そして、なんと、この春から、
住まいの自治体でボランティアをはじめたのですが、
その研修の一環で、
ズーニーさんの文章の書き方講座を受講しています。
あの頃から早、25年以上。
連載の中身を全部覚えてはいませんが、
読み重ねた内容が、年を重ねた経験と反応して、
私なりの文章化ができるように
なっているような、いないような。

これからも連載をたのしみにしています。
これからも思い出を時々、
振り返らせていただきます。

(あやこ)

 

私の思考の礎を作ってくださったのが、
山田ズーニーさんの
「おとなの小論文教室。」でした。
毎週水曜日、11時になると
仕事中にこっそり見に行き、
共感したり、感動したり、ときには涙をこらえたり。

憧れだった編集という仕事に就いたけれど、
まったく成長できずやる気も起こらず、
腐っていた私を引っ張り上げてくださいました。
感謝の気持ちでいっぱいです。
これからもどうぞよろしくお願いします。

(J)

 
第10位から第6位まで、
一気にごらんいただきました。
いかがでしたか?
 
ハマったコンテンツは人それぞれですけど、
いやぁ、おもしろいですね。
普段のコンテンツにいただく感想とは違う
その人のドラマを読ませてもらっているようで、
じんわりと引き込まれます。
 
どのコンテンツにも言えることですが、
途方もない数の「ことば」を通して、
みなさんとつながってきたというのを実感します。
ことばのやりとりで、
笑いあったり、励まされたり、元気になったり。
 
手前味噌になってしまうのですが、
こんなにも日常に溶け込むメディアって、
他にはなかなかない気がします。
 
ああ、すみません!
つい口を挟みたくなってしまいました。
思えばまだまだランキングの途中でした。
ここから先はトップ5です。
もったいぶらずに
最後までノンストップでいきますよ。
 
ほぼ日読者が選んだ、
ほぼ日にハマったきかっけコンテンツとは?
第5位から第1位はこんなラインナップでした。

私がほぼ日を知るきっかけになったのは、
2000年8月に公開された
MOTHER3〜待っていてくださった皆さまへ〜
からです。

「MOTHER2」が大好きな当時中学生だった私は、
「MOTHER3」の開発情報を生きがいにし、
発売をいまかいまかと待ち望んでいました。
そんなある日、突然の開発中止発表!

当時家でインターネットを
見ることができなかった私は、
この座談会をどうしても読みたくて、
父に会社で印刷してきてもらいました。
想像以上のボリュームで1〜2cmの紙の束。
糸井さんの
「事実を事実として受け止めて」
ということばが心に刺さり、
締め付けられる思いで読みました。

その後もネット環境がなく、
ほぼ日のことは忘れ、
そのまま大学生・社会人と過ごす中、
「MOTHER2」の手帳カバーの発売を知りました。
そこから毎年発売される手帳カバーを追いかけ、
真のほぼ日ファンになったのは、
5年前の「MOTHERプロジェクト」からです。
歴の浅いファンですみません。

悲しい記憶で封印していましたが、
25年ぶりに開発中止座談会を読み直しました。

25年後は「MOTHER3」も
Switchでプレイできて、
こんなにMOTHER溢れる未来なんだよ!
‥‥って、当時の私に教えてあげたい。
昔のコンテンツを読めるのも、
ほぼ日さんのとってもいいところですよね。

(のんち)

 

「MOTHER3」の情報が出たときに、
ほぼ日のことが紹介されていました。
実際にサイトに読みに行ったら、
ありのままかつ、すごい内容の濃さで、
とても満足した記憶があります。
そこからほぼ日の他の連載を読んだり、
グッズを買いはじめたりしました。
「MOTHER」のおかげです。

(まめまめ)

 

まだ自分のパソコンもなく、
ガラケーも持っていない、小学生の頃。
それでも「MOTHER」というゲームを
「ゲームボーイアドバンスSP」で
やっていた自分は、
父のパソコンを借りて、
なにかの拍子に
ポケットにMOTHER。』を見つけました。

ゲームソフトを買うところから、
クリアするところまで。
攻略でもなければ紹介でもない、
それでも「MOTHER」という
ゲームの魅力が胸の芯にせまってくるような文章を、
無我夢中で読み漁りました。

幼い自分にとって、
国語の教科書にある文章よりも
ずっとわかりやすくておもしろい。
音楽もセリフもじっくりと味わい尽くす記事を
何回も読み返して、何回も
『ポケットにMOTHER』がある世界に浸りました。
あれから15年は経ちますが、
いまでも時折読み返します。

スマホの時代でも
Switchの時代でも色褪せない、
『ポケットにMOTHER。』大好きです。

(konomo)

 

色々と記憶が混在していますが、
『MOTHER』の気持ち。」が、
本格的にほぼ日を意識した
最初のコンテンツだったと思います。

今も昔も変わらず任天堂のゲームが好きで、
開発者の話を読むのも好きだったなか、
公式ホームページのリンクから
ほぼ日へと飛んできた記憶があります。

糸井さんが「MOTHER」について語るのを読み、
『樹の上の秘密基地』などの
ゲーム系コンテンツを読み、
ゲームと関係ないコンテンツを読み、と、
ほぼ日の読者になっていきました。

糸井さんが「MOTHER」を作ってなかったら、
小学生の時の友達と「MOTHER2」を遊んでいなかったら。
もしかしたらいまの自分は無かったのかもしれません。

自分の入口を思い出す中で、
様々な偶然が重なったおかげで、
いまもほぼ日を興味深く読ませてもらえていることに
あらためて感謝の気持ちが湧いてきました。

28周年、29周年、30周年と
走り続けるほぼ日を
今後も一読者として楽しませてもらいます。

(北極羆)

入口は「言いまつがい」、それも本からでした。
今でも手に取るたびに
新しい発見がある白い装丁のものです。
たしか、神保町の三省堂か
池袋のジュンク堂かで買ったと記憶しています。

元がオンラインコンテンツだと知ったのは、
何度目かに読んだときでした。
関係がこじれて縁が切れてしまった人から、
郵送で返却された何冊かの本の中にこれがあり、
こういうユーモアを
ケラケラ笑って分かち合ってたときもあったなと、
しみじみ眺めていたら
「ほぼ日刊イトイ新聞」とあったのです。

それから20年以上が経ちましたが、
おかげさまで細く長くほぼ日とのご縁は続いています。
ときどき「言いまつがい」関連コンテンツを目にすると、
律儀に本を返してくれたひとは
どこかで元気にやってるだろうかと思い出します。

(ぱんこ)

わが家では常にデジタル系
(に関わらず、何に関しても)最先端を行く
母(現在74歳)が、
何やらくすくすぷっわははと
笑い続けているのが気になり、
教えてもらったコンテンツが、言いまつがい。
ほぼ日にはまるきっかけだったように思います。

一時期、特に気に入った投稿を
家族でシェアして楽しんでいました。
読み始めると止められなくなり、
次々と遡っていくと、
「あ、これもう読んだエピソード」と
気づくことがよくあり、
もっともっとという欲求を満たすために
何日分かためて読むのがお気に入りとなりました。

ほぼ日は、自分がどこにいたとしても、
世界を広げ、深め、色づけ、
美味しくかつ心地よくしてくださる
あたたかい場所として大好きな居場所です。
今後もたくさんの楽しみに期待しています。
感謝とともに。

(ハナペコ)

 

もう20年以上前のことでしょうか。
腹がよじれるくらい笑い、
息ができなくて命の危機をかんじました。

(ぷにっと)

 

高校の時に友達が図書館で
「言いまつがい」の本を読んでいて、
面白いよ、と勧めてくれたのがきっかけです。
もう10年以上前ですが、
入口と言われて懐かしく思い出しました。

(ささゆり)

 

2004年の夏前ごろ、
平日の昼休みだったと思う。
当時、新卒一年目のペーペー総務職員であった私に、
隣の島の会計主任が、
何のきっかけだったか
「知ってる? 面白いよ」と
教えてくれたのが「言いまつがい」だった。
だから、最初のうちは「ほぼ日」は知らなかった。
「いいまつがい」しか知らなかった。
いつの間にか、他のページも読むようになったけど。

ああ、そういえば、
最初は手帳を買うのも値段を理由にためらってた。
大人になったなあ、私も。

(弓丸)

 

今から20年前、
コールセンターで働いていた時のこと。
ひとつの仕事が終わり、
次の仕事まで何日か合間があったため、
就業時間中に「言葉に関する本」を
読んでいていいと言われました。

図書館で私が選んだのは、
「金の言いまつがい」「銀の言いまつがい」。
皆が静かに本を読んでいる中、
私は笑いを堪えるのが必死でした。
その本をきっかけに、
ほぼ日にどっぷりハマりました。

(かすみそう)

こんなにユーモアに富んだ、
いきいきとしたひとがいる。
いちどもお会いしたことのない、
所謂「他人」のガンジーさんなのですが、
ガンジーさんがいなくなってしまったとき、
悲しくて、もったいなくて、泣きました。
ちょいちょい登場されていた娘さんも
素敵な方だったなぁ、と、
キーボードを打っているこの瞬間にも涙しています。

(モブ子)

 

ほぼ日は。
谷川さんのお別れに触発されたかもしれません。
他にも、ロボットがあちこちいったり、
突然波乗り兄ちゃんが消えたり、
テレコマンに仮装大賞に出場してもらいたかったり、
思い返せば懐かしいこと枚挙に暇がありませんが、
ガンジーさんの鮮烈なデビュー、
胸を打つお別れ、漲るパワー、
インターネット黎明期ならではの
魂共鳴しあうような市井の人との双方向体験、
ふとしたおりにアイコンとともに思い出すことがあります。
やさしく、つよく、おもしろいコンテンツでした。

ほぼ日の誕生日おめでとうございます。
新たな1年、さらに夢の手足が丈夫に
ふっくらしますようお祈り申し上げます。

(popopo)

 

当時付き合っていた彼氏について
相談のメールをしたら返信をいただき、
ガンジーさんの含蓄に恐縮しまくりました。

(ポンコ大学生)

 

本当の話なのかなと
ドキドキしながら読んでいたことを覚えています。

(にら)

 

最初に「これ、すごい」と思ったのは、
ほぼ日の中で出会った
ガンジーさんのコンテンツでした。

当時、就職活動がうまくいかず、
気分が沈んでいる時期で、
自分のパソコンも持っていなかった私は、
研究室にあった共有の
スケルトンのiMac(懐かしい!)で、
こっそり毎日のようにほぼ日を読んでいました。

就活が忙しくなり、
しばらくほぼ日から離れていたある日、
久しぶりにページを開いてみたら、
ガンジーさんが亡くなったことを知り‥‥
とても悲しかったのを覚えています。

追悼のコメントを書き込めるページがあって、
おそらくそれが私にとって
ほぼ日で初めての「書き込み」でした。
最近ふと思い出して、ページを遡ってみたら、
自分らしきコメントを見つけて、
あの頃の気持ちがよみがえってきました。

自分が何をしたいのか分からずに
もがいていた時期、
ガンジーさんを偲ぶための書き込みを通して、
自分がここにいるんだって
確かめさせてもらったような、
そんな感覚だったと思います。

あの時のビターな思い出が、
いまも私の中に静かに残っています。

(peti0te)

 

ほぼ日を知ってから、
毎日すべてのコンテンツを楽しみに読んでいたので、
きっかけのコンテンツは思い出せないのですが、
よく覚えているのが『ガンジーさん。』です。

会ったこともないおじさんだったのに、
どんどんよく知っている人みたいな感覚になって、
ガンジーさんが亡くなった時は
号泣したのを覚えています。

みんなで花の画像を送って
手向けるページもありましたね。
ぼくも花の写真を送りました。

インターネットが普及し始めた当時、
ネットってなんだか荒んだ
ドライな印象が強かったのですが、
見ず知らずの人たちがこんなに
心を通わせることができるメディアなんだ、
と感動したことを覚えています。

あれからインターネットも社会も
ずいぶん変わりましたが、
人生の灯台のような場所として
ほぼ日が変わらずにいてくれることが、
とてもうれしくありがたいです。

(t@ka)

きっかけは、いまから11年前、
中学3年生だったわたしが、
ロフトでほぼ日手帳を見つけたのがはじまりです。

好きなカバーを選べて、下敷きもそろえて、
それも1日1ページの面白い手帳!
その場では買わなかったのですが、
どうしても手帳が忘れられず、
「ほぼ日手帳」という名前を覚えて帰りました。
携帯も持っていなかったので、
頭の中で何回も何回も唱えていました。

家に帰ってホームページで見て、
「やっぱり欲しい!」となって
ほぼ日ストアから一目惚れした
「ローズプードル」を購入しました。

そこから毎年8月の手帳予告は
毎日欠かさず読んで、
カラーズのカバーを買って、
ほぼ日手帳と一緒に過ごしてきました。
11年の間にオリジナルもカズンも
weeksも5年手帳も使いました。

学生時代はお金がなかったので、
ずっとカラーズでしたが、
社会人になってからは
ずっと使えるいいものが欲しくて
「サファリ2」を買いました。

今回のグッバイセールでは、
初めての革カバー「Brilliant yellow」を
仕事用の手帳のために買いました。

大人になって好きなカバーを
買えるようになりました!
わたし、ほぼ日手帳と成長してきました!
本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。

(きさらぎ)

 

ロフトで見かけたほぼ日手帳が気になって、
ほぼ日のサイトで調べたのが最初でした。
見ているうちになんだかよさそうだなと感じて、
2005年版を買ってから、
早20年が経ったのかと思うと驚きです。
大学院への進学を機に、
当時の私にとっては大奮発だった買い物でした。

(おゆき)

大学のゼミ室にあった雑誌に、
ほぼ日手帳のことが載っていて、
当時1日1ページというのに感動し、
そこから大学のパソコンルームで検索したのが、
ほぼ日刊イトイ新聞でした。
そのとき迷わず見たのが「ほぼ日手帳CLUB」。
情報を知るのがうれしかった。

当時はオリジナルの手帳本体しか買えなかったけど、
「ほぼ日手帳CLUB」はそれからもいつも見ていて、
翌年は、バイト代を貯めて、
ずっとそのページで見て憧れていた、
モリカゲシャツの手帳カバーを買いました。
懐かしいです。

その後、他のページも面白いことに気付き、
世界は広がりました。

堺雅人さんに憧れた
「LIFE」の飯島さんごはんのページ。
みんなで作るLIFEのクリスマス。
あと、夏休みの『ゲームの夏、勉強の夏』。
元乗組員のぐっさんさんの
工作アドバイスも大好きでした。
あややさんや奥野さんらの思い出話や
勉強アドバイスも大好きでした。

ほぼ日で知った楽しみは数え切れませんが、
原点は「ほぼ日手帳」な気がしています。

(なかお)

 

初めてほぼ日を知ったのは、
たしか「ほぼ日手帳」からだったと思います。
仕事をはじめて間もない20代の頃、
実家に帰った時に兄に手帳のことを聞いたのが
「ほぼ日刊イトイ新聞」を知ったきっかけでした。

あれから20数年、兄とは会話も減りましたが、
ほぼ日の話題に助けられることはよくあります。
そのときから長年愛用している「ほぼ日手帳」は、
私の人生を伴走してくれています。

余談ですが、今度帰省したときには、
私の子どもを可愛がってくれる兄に、
先日のグッバイセールで選んだTシャツを
プレゼントしようと思っています。
たくさんお世話になっているほぼ日に感謝しています。
これからも楽しみにしています。

(さつまおごじょ)

 

池袋ロフトで
「ほぼ日手帳2005」の売り場を見かけたのが、
私の「ほぼ日」の入口でした。
「1日1ページ」というスタイルが斬新で、
手帳の種類の多さにも圧倒されたのを覚えています。

一目惚れしてすぐに買いたい気持ちになりましたが、
自分の過去の手帳の使い方を思い返すと、
ほぼ日手帳をどう使いこなせばよいのかわからず、
結局そのときは購入を見送りました。

しかしその後、仕事で手帳が必要になり、
翌年の2006年版から購入。
それ以来、毎年欠かさず使い続け、
なんと1日も欠かさず書き続けています。
毎年、素敵な手帳を届けてくださっていることに、
心から感謝しています。

(カカオパカパカ)

以前から糸井さんのファンで、
糸井さんの文章が大好きでした。
毎日ほぼかかさず読んでいます。
悩んでいる時、
励まされることばがあります。
あこがれの先生です。

(さとみ)

 

すごい入口だなと思っています。
穏やかな日常的なコラムなんですが、
ちょっとした気付きをもらうことも。
言葉って凄いですよね。

(おめでとうございます)

 

初めてほぼ日を知ったのがいつなのか、
はっきりと覚えていないのですが、
東日本大震災の後だったことは覚えています。
情報の混乱の中でも、
糸井さんは灯台の明かりのように
文章を発信していた気がします。

ほぼ日のコンテンツは
大好きなものがたくさんあって、
どれかひとつではないのは
皆さん同じと思うのですが、
やはり毎日糸井さんが書く
『今日のダーリン』以外には考えられません。

病めるときも健やかなるときも、
その言葉に触れ、日々を生きてきました。
面白いお話、ほっこりするお話、
真面目なお話、素敵なお話、etc‥‥。

考えてみればとても贅沢な話で、
毎日当たり前に糸井さんの
エッセイを読めているということが、
稀にみる奇跡なのかもしれません。

(チャボ)

 

2011年か2012年頃に書かれていた
『今日のダーリン』での
「Only is not lonely」です。

その頃使っていた手帳の最後のページに、
その日の『今日のダーリン』を全部書いていました。
(ちょっと長かったけど)

たったひとりということは、
孤独だっていうことじゃない。

ひとりでいる顔が想像できない人は、嫌いだ。

ひとりずつが自分の足で立っていること、
ひとりずつがつながりがあることが
大事になったように思います。

Only is not lonely.
たまに思い出して考えたりします。
書かれていることプラス、
私には「雲外蒼天」の意味もあるなと
思ってみたりなどしています。

(Uuta)

 

「ほぼにちわ。」

この挨拶がとにかく印象的だったことを、
いまでもよく覚えています。

日常の挨拶をちょっとアレンジしただけなのに、
そこに遊び心があって、ひらがなの優しさがあって、
声に出したときの違和感としっくり感があって。
何よりシンプルでわかりやすいのがよかった。

この言葉からはじまることで、
読み物を通じて「ほぼ日」の価値観が伝わってきて、
それを受け止めたうえで自分との対話がはじまり、
お互いが大切にしていることが
理解できてくるような気がしました。

そういう意味で、人生の苦しいときや悲しいとき、
自分と向き合いたいときには「ほぼ日」を開いて、
心の慰めや希望、勇気をもらっていたように思います。

最近はあまり見かけなくなりましたが、
それも「ほぼ日」が世の中に浸透してきた過程の中で、
ある意味で
「もう不要になった」ということかもしれません。
そう考えると、それもまたよかったのかな、
と感じています。

長くなりましたが、27周年おめでとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いします。

(すみどり)

 

ネットに興味を持ち、
初代iMacを購入した頃、
『笑っていいとも』に出演された糸井さんが
『ほぼ日』についての話をされていました。

徳島の狭い世界で生きていた私に届いた
毎日の糸井さんの文章は、
自分の居場所が広がったように感じました。

(よしこ)

 

もう20年以上、
毎日の更新をよりどころにしています。
昔は11時が待ち遠しかった。
とくに休みの日の午前は長かった。
いまほどネット社会ではなくて、
ほぼ日で買い物をすることで
乗組員になれた気がするものでした。
手帳カバーを母子手帳のカバーにしていました。
その子も成人。ありがとうほぼ日。

(マミオ)

 

2004年に次女を事故で亡くしました。
ずっと自分も含めた周囲の雰囲気が変わらなくて、
でも時間は過ぎているはずなのにと思ったとき、
毎日糸井さんの文章が更新されることに救われました。
昨日と違う今日があり、
明日もあるはずだと信じて過ごす時薬として、
それから20年が経ちました。
本当にありがとうございます。

(あいこ)

 

「今の自分の歳を3で割ってごらん。
それが人生の時間」

確かこんな内容だったと思います。
「今日のダーリン」を読んだときの
しみじみとした気持ちはいまも忘れられません。
それ以来、気がつけばもう15年近く、
ほぼ毎日、欠かさずサイトを訪れています。

きっかけはこどもが生まれたことでした。
3時間おきの授乳、おむつ替え、沐浴‥‥。
それだけで1日が終わってしまい、
出産のダメージに加えて寝不足でフラフラ。
泣くばかりで会話も成り立たない新生児と
向き合う日々はいったいいつまで続くのか。

お世話で家にこもりっきり、
おでかけもままならない私が、
細切れの自分の時間を見つけてほっと一息つける場所。
外の世界、大人の世界とつながる唯一の窓、
それがほぼ日でした。

(大げさに思われるかもしれませんが、
その頃は動画配信サービスもなく、
SNSもTwitterがあるだけで、
LINEもInstagramもない時代でした)

ちょうどその時、私は36歳。
3で割ったら12時。
一日の中でいちばん日が高く、
燦々と太陽が輝く時間でした。

そうか、私はいま、人生の真っ昼間なのか。
こんなにボロボロの体で、気分は鬱々としていても。
そして生まれたてのこの子は、午前0時なのか。
1日が、人生が、はじまったばかりなんだ。
しみじみと、そんなふうに思いました。

それからも私の人生の時間はどんどん進んで、
いまはもう夕方の5時に差し掛かる頃です。
でも夏なら7時くらいまで外は明るいから、
まだまだ活動する時間はあると私は思っています。

こどもは大きくなりました。
出会った頃は私一人だけが読んでいたほぼ日も、
いまはこどもと一緒に楽しんでいます。

この子が中学校を卒業するときに、
いまの歳を3で割ってみて‥‥の話を
してみようと思っています。

どう感じるのかな。
自分がまだ午前5時、夜明け前だということに。

(大阪から愛をこめて)

 
読者のみなさんにうかがった
第1回「わたしの入口」アンケートで、
もっとも多くの票を集めたのは、
糸井重里の『今日のダーリン』でした!
 
ダーリン、文句なし圧巻の1位です。
ほぼ日手帳、ガンジーさん、
大健闘するも一歩及ばず!
 
こういうアンケートだと、
誰もが頭に浮かぶものは
逆に避けられることもあるのですが、
そんなことは心配無用でした。
今日のダーリン、ほぼ日手帳、ガンジーさん、
言いまつがい、MOTHERと、
しっかり王道なものがトップ5を飾りました。
 
総エントリー数は、約850件。
たくさんの投稿をありがとうございました。
最後はアンケート結果らしく、
円グラフのようなものもつくってみました。
全体における、それぞれの割合はこんな感じです。

 
やはり注目すべきは
「その他」の割合が大きいことでしょう。
全体の65%ほどありました。
これは1票〜数票を集めたコンテンツが、
とても多かったことを意味します。
名前の挙がったものをすべてカウントするなら、
ざっと200件以上のコンテンツが、
この「その他」に隠れていることになります。
つまりは、「その他」ばっかり!
 
でも、ぼくは思うんです。
これはこれでいいことなんじゃないかと。
小さなコンテンツだとしても、
おもしろいものさえつくっていれば、
どこかの誰かはずっと大事に覚えていてくれる。
日々、コンテンツをつくる者としても、
こんなに励みになることはありません。
投稿してくださったみなさん、
ほんとうにありがとうございました。
 
ということで、
今回の企画はこれにて終了です。
きょうもながーーーいページになりました。
ま、たまにはいいですよね?
 
いただいたすべての投稿は、
まぎれもなくわたしたちの宝物です。
乗組員一同、ぜんぶ大切に読ませていただきます。
「古きを温めて新しきを知る」とはまさにこのことで、
みなさんからの「声」といっしょに、
これからの新しいほぼ日をつくっていきます。
 
あ、そうそう、最後にふと思ったんです。
もし仮に、20年後くらい先に、
この企画の第2弾をやるとしたら、
いったいどんなコンテンツが
上位にランクインしてくるんだろうなって。
 
今回と同じようなラインナップなのか、
それともガラッと新しいものに入れ替わっているのか。
 
生意気に聞こえるかもしれませんが、
ぼくはやっぱり、
新しいものがたくさん入ってくるような
ほぼ日をつくっていきたいなって、
そんなふうに思ってしまいました。
というか、そのほうがおもしろそうだなって。
 
きょうから、ほぼ日は28年目に突入です。
 
これからも元気に、たのしいコンテンツを、
毎日たくさんとどけていきますからね。
どうぞ、これからのほぼ日にもご期待ください。
 
最後までお付き合いいただき、
ありがとうございました。
それでは、また!

(おわります)

2025-06-06-FRI

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