ふとしたきっかけで手にした
『椿井文書──日本最大級の偽文書』
という本がおもしろくて、
著者の馬部隆弘さんにお会いしてきました。
椿井文書のことをもっとくわしく、
という趣旨だったのですが、
ご本人のエピソードがいろいろ興味深く、
取材冒頭から予想外の展開に‥‥。
人生を変えた事件から戦国時代の権力論まで
(本の内容もときどき挟みつつ)、
貴重な話をたっぷり語ってくださいました。
「椿井文書ってなに?」という方は
こちらのページ(第0回)もあわせてどうぞ。
聞き手は「ほぼ日」稲崎です。

>馬部隆弘さんのプロフィール

馬部隆弘(ばべ・たかひろ)

歴史学者。
大阪大谷大学文学部歴史文化学科准教授。

1976年、兵庫県生まれ。
1999年、熊本大学文学部卒業。
2007年、大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。
枚方市教育委員会、長岡京市教育委員会を経て、
大阪大谷大学文学部准教授。
専攻は日本中世史・近世史。

著書に『戦国期細川権力の研究』
『由緒・偽文書と地域社会──北河内を中心に』
『椿井文書──日本最大級の偽文書』など。

2020年3月出版の『椿井文書』は、
「紀伊國屋じんぶん大賞2021」第6位、
「新書大賞2021」第3位のW受賞。

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第7回 後世に「歴史」を残すために

──
いまから200年後の未来では、
いまの写真や映像が「史料」になるんですよね。
馬部
まあ、そうですね。
──
ということは、未来の歴史学者たちは、
かなり鮮明に「いま」を復元できそうですね。
馬部
いや、一概には言えないと思います。
というのも、史料が増えれば増えるほど、
使える史料と使えない史料が出てきます。
結局、それを分別するのが歴史学なんです。
──
使えない史料も出てくる。
馬部
過去につくられたものから
正しい情報を引っ張り出すには、
いろいろな方法論があります。
それを正しく身につけていないと、
まちがって「椿井文書」のようなものを
論文に使う人が出てきます。
もちろんあとの時代になったら、
いまの時代を分析する方法も
またいろいろ変わってくると思いますが、
そういう正しい知識が大事というのは、
いまもこの先もそんなには
変わらないんじゃないでしょうか。

──
史料がたくさんあれば
いいってわけでもないんですね。
馬部
そうですね。
あと、国や市の「公文書」を
ちゃんと保存するというのも、
歴史学の大事な仕事ですね。
──
あー、いまの記録も。
馬部
わたしが枚方市の職員をしていたとき、
前任の方からいろんなことを教わりました。
その方はこう言ったんです。
「過去の人が史料を残していたから、
わたしたちは歴史の研究ができる。
だから、これからはわたしたちが、
後世の人に史料を残さないといけない」って。
──
後世の人のために。
馬部
現代の史料を残すという発想は、
大学や大学院でも一切教わらなかったので、
ほんとうに目から鱗だったんです。
それでじぶんの勉強不足を痛感して、
公文書についても勉強するようになりました。
──
未来の人が使えるものを、
ちゃんと残す必要があるわけですね。
馬部
はい。
──
江戸の人たちが古文書を残していたのも、
そういう理由だったりするんですか?
馬部
いや、それはまた別ですね。
昔は「センレイ社会」だったんです。
──
「センレイ社会」
馬部
先の例ですね。先例。
昔は先例をふまえて、
あとのことを判断する社会でした。
なにかあったときの判断材料として、
村の庄屋さんなんかが代表して、
村人の文書を保管していたわけです。
──
「なにかあったとき」というのは?
馬部
例えば、急に殿様が
ありもしない税金をかけてきた。
そこで先例が調べられると、
「こんな税金、いままでありません!」
と対抗することができます。
そういうときのために、領収書なんかを
記録として大事にとっておくんです。
──
いきなり知らない人が村に来て、
「ここはわたしたちの土地だ」とか、
そういう言い争いもありそうですもんね。
馬部
最初に話した「津田山の山争い」は、
まさにそのパターンですよね。
「ここはわれわれの山だ」と思っていたら、
急に隣村から
「もっと古い時代にさかのぼると、
この山はわたしたちの支配下にあった」
と主張してきたわけですから。
江戸時代はそういう先例社会だったからこそ、
「椿井文書」のような偽文書の
入り込む余地があったともいえます。

──
ちょっと話が変わるのですが、
最近、フェイクニュースというものが
問題になったりしています。
馬部
ええ。
──
ああいうフェイクニュースを、
もし200年後の人が史料として手に入れたら、
いまの常識がわからないだけに、
勘違いする可能性もあるのかなって思ったんです。
そのへんはどうなんでしょうか。
馬部
歴史はひとつの史料だけで
決まることは絶対にありません。
仮に200年後の学者の前に、
書かれていることが矛盾している史料が
ズラーッと並んでいるとしますよね。
──
はい。
馬部
そしたらその中で
どれが正しいかを証明した上で、
「わたしはこの説を採用します」
という手つづきをふまなければいけません。
そのとき辻褄のあわない史料があれば、
それはウソの可能性が高いし、
怪しいものは使わないという判断をします。
まさに「椿井文書」もそうやって、
「これは偽文書です」と判断していったわけです。
──
ひとつずつ真偽を確かめて、
使えるものだけを採用していく。
馬部
そうです。
──
そうなると歴史学者の仕事って、
これからもっと増えていきそうですね。
昔よりも照らし合わす史料が、
膨大に増えているわけですから。
馬部
いや、そんなこともないんです。
歴史学に限っていえば、
明らかにしないといけないテーマって
けっこう限られていますので。
歴史学で明らかにするのは、
何かの事件が起こったり、何かの政策が決定したら、
その事件の経過や政策の決定過程を、
残された史料を駆使しながら分析していく。
あくまで当時の史料を読んで、
その結果にいたった過程を明らかにする。
歴史学とはそういうものです。
だからひとつの例として、
ある公害によって亡くなった方の
データがあるとします。
それがほんとうに正しい数字なのか、
ちゃんと信憑性のあるグラフなのかどうか。
そういうフェイクニュースが
入り込みそうなネタがあるとします。
──
はい。
馬部
そういうものを扱うのは、
どちらかというと歴史学というより、
社会学の領域になってくるんです。
──
あ、なるほど。
扱う領域が違うわけですね。
馬部
すべてとは言いませんが、
フェイクニュースが入り込みそうな
社会の時事問題にかかわるものは
社会学や経済学の領域の話で、
歴史学が明らかにするべき範囲とは
ちょっとちがうような気がします。
そのへんのことは社会学の先生に
聞いてみてもいいかもしれませんね。
──
きょうはいろいろ勉強不足のままでした。
馬部
いえいえ。
──
‥‥というか、先生、
そろそろお時間ですよね?
馬部
ああ、そうなんです。
このあとちょっと用事がありまして。
きょうの取材、こんな感じで大丈夫でしょうか。
椿井文書の話、ほとんどしていませんね(笑)。
──
3時間以上も話していただいたのに(笑)。
馬部
まあ、椿井文書に関しては、
他のメディアでもたくさん話していますからね。
きょうは大阪までありがとうございました。
──
こちらこそありがとうございました。
また、あらためて出直します。
今度こそ椿井文書の話をお願いします。
馬部
もちろんです。
──
ちなみに、椿井文書の研究は、
これからもつづけられるんですよね?
馬部
これに関しては研究というより、
わたしの趣味のようなものなので、
ずっとつづけると思います。
椿井文書のコレクターですから。
──
『椿井文書』の続編は?
馬部
それはないんじゃないかな。
わたし個人としてちょっと思うのは、
椿井文書の研究に関しては、
もっと裾野を広げるべきだと思っているんです。
──
裾野を広げる。
馬部
わたしばっかりが研究するより、
もっとみんなで椿井文書の情報を
共有するべきだと思っています。
まちがった歴史を受け継がないためにも。
──
もっとオープンにしたほうがいいと。
馬部
もっというと、仮に偽文書だとわかっても、
それを黙殺していてはダメで、
ちゃんとウソを証明しないといけないんです。
そうしないといつかどこかで、
また引用する人が出てくるので。
──
ウソの証明までする人って、
やっぱりまだまだ少ないんでしょうね。
馬部
そのためにも「偽文書」というジャンルを、
もっと価値ある研究対象にしていく
必要があるのかなって思っています。
ウソからわかる事実もあるということを、
どんどん示していくべきです。
椿井文書で得た経験というか失敗を、
次の世代にどうやっていかしていくのか。
その課題にどうやって向き合うのか。
それが、これからの歴史学全体に
問われているような気がしますね。

(おわります)

2021-06-08-TUE

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