糸井重里が1975年からいまも所属している
コピーライターやCMプランナーの団体、
「東京コピーライターズクラブ(TCC)」。
その60周年を記念したトークイベントの
ゲストとして招待いただきました。
TCC会長の谷山雅計さんが進行役で、
2022年に新人賞を受賞した
若手コピーライターのみなさんから
糸井重里に聞いてみたいことをぶつけ、
なんでも答えるという90分間でした。
広告の世界からは離れている糸井ですが、
根本には、広告で培った考え方をもとに
アイデアを考え続けています。
若いつくり手のみなさんに届けたい、
エールのような読みものです。

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(2)現役のコピーライターのこと、どう見えていますか?

糸井
きょうは若い人たちと何かやる場なんで、
どんどん行きませんか。
谷山
そうですね、じゃあ次に行きましょう。
次の質問は都竹玲子さん。
都竹
糸井さんは売るためのお手伝いをする
広告屋から引退されて「ほぼ日」を立ち上げて、
売れるものを作る仕事に軸を置かれています。
そんな糸井さんから、
私たち現役のコピーライターはどう見えていますか。
糸井さんはもうコピーライターと広告に
興味がないんだろうなって勝手に思っていたので、
なんでこのイベントに来てくださったんでしょう。

糸井
これはね、そのまま答えるのは難しくて、
コピーライターで「売るための手伝いをしている」
つもりはなかったんですよ。
もちろん、売るための手伝いになるから
ギャランティがもらえるわけだけどさ。
たとえばね、迷惑になるようなものの
コピーを頼まれたとしたら
その手伝いはしないじゃないですか。
昔の広告の教科書では、
「アラスカで冷蔵庫を売るのがいいセールスマン」
という言い方をされていました。
つまり、要らないかもしれないものでも、
なんとか売ってみせる仕事なんだと。
頼んできた人の欲望を満たせば、
ギャランティがもらえるっていうことですね。
アメリカの広告業界のほうが
日本よりも進んでいたって言われます。
昔のアメリカの広告業界を描いたドラマでも、
競争に次ぐ競争が描かれていました。
クライアントが来たら夫婦でもてなして、
ライバルを追い落として、
社内の競争でも勝ち抜くような物語が続いていく。
でも、日本の場合って、
わりとそういう展開じゃなかったんですよ。

糸井
自分がユーザーである立場から、
「どういうものであったら受け入れやすいかな」
ということを考える仕事だったんです。
ぼくはコピーライターの仕事を説明するとき、
劇場の形を想像してもらうんですよ。
ステージの上にクライアントがいて、
最前列の席にいいコピーライターがいて、
後ろの席にはいろんな人が座っています。
そのとき、檀上にいるクライアントが
言いたいメッセージに対して、
お客さんはいろんな文句を言うんです。
「そんな言い方じゃ聞こえないんですけど」
「そう言われても買う気になりません」
「それは迷惑にならないですか」とか、
そういう声をかけられる場所にいるのが
ステージ上の人たちなわけですよ。
じゃあ、どうなると後ろの人も前の人も
満足するんだろうって考えるのが
コピーライターの仕事なんです。
その意味でぼくは、
ユーザーの先頭にいる人みたいな気持ちでいました。
いまだったら笑い話みたいだけど、
クルマの広告をするたびにクルマ買ってたからね。
ぼくもちょっとバカだなって思うけど、
本気にならないとやっぱり乗れなかったんです。

糸井
それでも、広告の仕事が
つまらなくなってきたなと思ったのは、
クライアント側の強さが増していったから。
つまり、景気が悪くなったんですよ。
その広告が効くか、効かないかを
数字で問われるようになりました。
今のことばでいう、エビデンスですよね。
マーケティング的に、この層に向かって
こういう要素で言うことが大事だから、
それでコピーを書いてください、
という風潮になっていきました。
そうすると、ぼくが得意なことは
もうやれないなって思ったんですよね。
それだったら、もっと得意な人がいるよっていう
気持ちがだんだん出てきたんです。
理想の広告というのは、
黙っていても売れる商品の広告なんですよ。
逆算して考えてみると、
最高にみんなが喜ぶポスターを作って、
そのポスターに出ている商品はなんだろうって
考えたら、それがいちばん売れる商品。
そうやって考えているうちに、
作っていく側に向かっていったほうが
本当はおもしろいなと思ったんです。
谷山
はい、はい。
糸井
で、ぼくも途中でいくつか失敗してますね。
サントリーの仕事をしているときに、
「ペンギンズバー」というライトビールを作りました。
あれは、“ライトビールの広告”というものを
先にイメージして、そこから遡って作った商品です。
それから、もっと売れなかった
「サスケ」という商品がありました。
「コーラの前を横切るやつ」とか
「謎の冒険活劇飲料」とか言ってみたの。
あれはね、ちょっとまずいものが
売れないかなと思って相談して作ったら、
ほんっっとうに売れなかった!
会場
(笑)
糸井
そうやって失敗もしたけど、
もっとこういうものがあればいいのになって
関われるような広告を作るのが、
これからの広告だろうなと思ったんですよ。
そっちのほうに行きたくなったら、
自分がクライアントになっちゃうのが早かった。
そこで、今「ほぼ日」でやっている
仕事のしかたになったんですよね。
広告の仕事ではいつからか
競合プレゼンがものすごく増えて、
広告代理店の人は1週間に6日ぐらい
競合プレゼンの用意をしてるわけです。
ボツになるのが10分の9で
そのうち1個だけ採用されるとしたらさ、
それって日本の生産性の邪魔ですよね。
それまでは社長決裁で「いいですね」って
言われたところでスタートできたんですよ。
10分の1じゃなく、1分の1で仕事できた時代は
とっくに終わっちゃったんだなと思って、
ぼくは広告の世界から身を引いたんです。
広告を作る仕事はやめちゃったけれど、
人が何をしたら喜ぶんだろうとか、
どう伝えられたら嬉しいんだろうとか、
それについて考えることは
一回もやめたことはありません。
その意味でぼくは
「コピーライター」って名前じゃないけれど、
コピーライターとして別の道に
泳いでいったような気がしているんです。

糸井
あとは、もうひとつの質問ですね。
現役のコピーライターがぼくからどう見えているか。
お伺いを立てる技術ばっかりが
磨かれていったんじゃないかなと思います。
クライアントがいて、その前に上司がいる、
マーケティングがいる、テストがある。
そんな環境でどういう表現をしたら
クリアできるんだろうかっていう練習を
ものすごくさせられていると思うんです。
ここにいるみなさんは
大きな会社に所属していますから、
就職試験を受けたと思うんです。
採用者が何を選ぶかわからないから、
どんな採用基準でも自分が受かるように、
やみくもな勉強をさせられていますよね。
その勉強によって自分が持っていた
いいものが壊されていったとしても、
一回入ればなんとかなると思って就職試験を受ける。
コピーの作り方も、ほかのいろんな企画も、
建物なんかでも、みんなそうなんですよ。
「個性」に見えるような引っかき傷をつけておいて、
あとは全部の条件が通りますよ、
というものを作る練習を、
みんながやっている気がします。
それは表現でも、アートでも、技術でもなくて、
「調整」じゃないかなと思うんですよ。
いまの時代ってやっぱり、
説明の一番上手な人が出世する時代ですけど、
説明からは新しいものって生まれないんですよ。
説明を超えたところに、次のものが用意されます。
「あなたも見たことがあるようなあれですよ」
と言えちゃうような企画はもう、
右から左に場所を動かした説明にしか過ぎません。
広告が持っていた、
新しい何かを開拓する部分がありますよね。
「遊び場はもっとあるぜ」って見せる、
「その商品が活躍できる場所はもっとあるぜ」って
見せるおもしろさがあるはずなんですよ。
それを出さないように
させられているんじゃないかなって思うと、
若いコピーライターはちょっと気の毒だなと思う。
花田
ひとつ聞いてもいいですか。
「調整」がメインになっている空気は
感じているんですけど、
昔は調整じゃない仕事のやり方が
なぜできたのかなって気になりました。
糸井
昔の意味の調整はね、
同じになり過ぎちゃうってわかってたから。
気をつける場所が少なかったんです。
「クライアントはあのタレントが好きだから」とか、
少ない情報のなかでやっていたから、
みんなが考えることがふつうになったの。
それじゃダメだろうってなって
ちょっと変なこと入れたほうがいいよってなりました。
今は、どんどん細かくなっていますよね。
変な案を出せる人よりも、
調整がいっぱいできる人のほうが
総合点で勝てるようになっているんじゃないかな。
でも、本当に重要なことは
調整が得意になることじゃなくて、
新しい質問と答えが見つかるかどうかだと
ぼくは思っているんですけどね。
都竹
こういうイベントに来ていただけたのは、
そういう期待も込めてですか?
糸井
そうですね。
何十年もやっていて懲りちゃっている人だったら、
調整のほうがうまくいくって信じているから。
「現実ってのはこうツラいんだよ」って
言いたがる人は山ほどいますし、
ぼく自身も半分はそうなってますからね。
若い人だと、そこのところをもっと野放図に、
おもしろさを優先したバカな企画が出せるんです。
いろんなことを考えると無理なんだけど、
その「バカ」が次の何かのヒントになります。
「やっぱりダメだったね」って
言われるかもしれないんだけどね。
ほら、さっきの谷山くんの
新人賞のコピーとか見たじゃない?
谷山
えっへっへ。
糸井
ぼくだって、もっと知っていれば、
「とうさん、あんたは不幸な人だ!」っていう
コピーは書かなかったと思うんです。
あのコピーってじつは技術でできていて、
そんな言い方をする青年はいないんですよ。
アメリカの翻訳文学のパロディーで、
おそらく若いみなさんがつくる広告も、
やっていることはほとんどパロディーだと思います。
そこに、パロディーじゃなくて
何か新しいものが見えるきっかけというのは、
「バカ」がやったことの中に大体入っています。
今だったら、若い世代の人たちが、
ダンスのグループを作って
BTSみたいなことをやるわけじゃない? 
あれ、ぼくらの世代にはできないわけですよ。
お父さんやお母さんの大好きな
「勉強好きのいい子」になっていたら、
ダンスよりも勉強して、
紺のスーツを着て就活すればいいんだから。
でもそうしたら、みんなに求められるような、
おもしろいもの、うれしいものの
ほとんどはなくなっちゃうんだよ。
若いうちに、どんどんバカをしたらいいと思うんだ。
そういう人たちと会うチャンスがあるんだったら、
ぼくも、いい意味での発展が作りたくて
こういうイベントに来ているんです。
谷山
いや、いきなりこんなに
しっかりとお話しいただけるとは。
糸井
まじめだろ、おれ。
谷山
いやあ、はい。
糸井
谷山くんとふたりなら、こうじゃないよね。
谷山
新人相手だとこうなるんだなあと
ちょっとぼく、驚いています。
もっと軽い話になるんじゃないかと、
実はちょっと思っていたところもあって。
糸井
軽い話にしましょうか?
谷山
いやいや、本当にいい話です。

(つづきます)

2023-02-04-SAT

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