不思議な魅力の物体でギュウギュウで、
同じくらい魅力的な店主がいて、
ダンジョンみたいにワクワクするお店。
おもしろいもの好きな人たちの間では、
すでにすっかり有名な、
大阪のEssential Storeを訪問しました。
英語がしゃべれないのに、
たったひとりでアメリカへ乗り込んで、
個人のお家で買い付けをしてきたり、
国内外の倉庫に眠る古い生地を集めて、
アパレルブランドに紹介したり。
人生を自由自在に躍動している
店主の田上拓哉さんに話を聞きました。
担当は、ほぼ日の奥野です。

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第4回 生地というものの、おもしろさ。

──
yuge fabric farmについて、
もう少し、詳しく教えていただけますか。
生地屋さんの倉庫でずーっと眠っている
デッドストックの生地を
集めて循環させているそうですが、
いつくらいから、そういった活動を‥‥。
田上
はい、1970年代から2000年代前半、
くらいまでの、
服飾インテリアファブリックをメインに、
いろんな生地を扱ってますが、
7年から8年くらい前までは、
古い生地を集めては
服につくり替え売っていただけなんです。
そのうちだんだん生地の量が増えてきて、
友人のアパレルブランドに
卸をするようになったんですよね。
そのあたりのタイミングで、
yuge fabric farmを立ち上げたんです。
──
なるほど。
田上
ここには、比較的短い
10メートル以内の生地を置いてまして、
切り売りしています。
もっと長い生地は兵庫の倉庫に。
最初は、50年くらい前から
デッドストックの状態で保管してある
生地があるので、
引き取ってくれないか‥‥と話が来て。
──
50年!
田上
そう。その生地が素晴らしかったので
引き受けたら、
もう、次から次へいろんなところから、
うちにも古い生地があります、と。
全体のメーター数がわからないものは
一回巻き直して、
汚れていたら洗いに出して、巻き直す。
そういった作業を経て、
スワッチつまり素材見本をつくって、
卸先へ営業へ行って‥‥
みたいな感じで生地を循環させてます。

──
古い生地って、
どういうところが、おもしろいですか。
田上
古い時代の空気感が出て、
ヴィンテージみたいになるんですよね。
古い生地で服をつくると。それだけで。
でも、かたちは現代のデザインなので、
何十年も昔の空気をまとってるのに、
着た感じは、いまの時代に合っている。
そのハイブリッド的な組み合わせが、
すごくおもしろいなあって思ってます。
──
ものとしては‏、何があるんですか。
田上
シャツやパンツなど、
ベーシックなアイテムが多いですね。
インテリアファブリックもあるので、
ソファーのカバーをつくったりも。
服は「HEALTH」ってブランド名で
やってるんですけど。
──
グラフィックデザインの会社も
やってたんじゃなかったでしたっけ。
田上
ENIMA DESIGNという会社を、
23のときに立ち上げました。
でもグラフィックデザインだけでは
食べていけないと思って、
見様見真似でTシャツをつくったら
いいのができたんで、
アメリカへ持っていったんですよ。
それが「HEALTH」という、
洋服のブランドのはじまりなんです。
──
すごい行動力。
田上
その後、MOMOって
ロサンゼルスのお店に置いていたら、
日本のバイヤーさんが見つけてくれ、
連絡してきてくれたんです。
展示会やったほうがいいですよとか、
いろいろ教えてくれて。
そうやっていろんな人に聞きながら
手探りで展示会をしたりして、
いきなりはじまったみたいな感じで。
値段設定とかもわかってないから、
最初の1年くらいは
ずっと赤字でやってたと思いますね。
──
冒険家みたいだなあ(笑)。
教わってはじめるとかじゃないんだ。
田上
材料の仕入れ代で、
明後日までにお金いるけど、
どうしよう、ヤバいヤバい、とか。
20代って、
いま思うとすごいなあと思いますね。
──
田上さんは、古いものって、
どうして魅力があると思われますか。
田上
ああ‥‥何でなんでしょうねえ。
言葉にすることが難しいのですが、
先人からのパス? 置き手紙? 
のような、
豊かさのヒントがあるように思っています。
──
ここにある「50年前の生地」って、
50年が過ぎなければ、
50年前の生地はできないわけです。
あたり前ですけど。
絶対的な時間が、どうしても必要。
どんなに技術が発達しても。
それって本当にすごいことですね。
大木が育つようなものだから。
田上
そう思います。
──
生地って、すごく不思議だなあって、
昔から思っているんです。
ものすごく身近なもので、
絶対になくてはならないものなのに、
手ぬぐい1枚、タオル1枚、
自分ひとりじゃつくれないですよね。
田上
そうですね。
──
写真家の石内都さんが、
原爆で亡くなられた人たちの服など、
いわゆる「遺品」を撮ってるんです。
たとえば、焼けて、破れて、
ボロボロになったブラウスなんかを。
田上
ええ。
──
それって、お母さんが、
娘さんのためにつくってるんですよ。
名札が縫いつけてあったり、
戦争の時代ではあるんだけれども、
フリルをつけたりして、
精一杯かわいくしてあげたりしてる。
現代のぼくらは、
「吊るし」を買うのがふつうですが、
そもそも洋服って、そうやって、
誰かが
誰かのためにつくるものだったんだ、
ということに気づかされるんです。
田上
なるほどなあ。
──
それ以来、洋服とか生地とかって、
ありふれたものだけど、
何か、
ものすごい力の宿したものだなと
思うようになったんです。
田上
パワーありますよね。感じます。
何十年も前につくられた生地が、
処分されることなくとっておかれて、
ぼくらみたいな引き取り手が
いると知ったら、ご連絡をくれてね。
捨てるのは簡単だけど、
捨てることができなかったんです。
そういうものなんですよ、生地って。

──
人間がつくったものには、
それぞれに固有の歴史がありますが、
別々の場所に、
別々の文脈で保管されていたものが、
「いま、この店に集まってる」
ということも奇跡だなと思うんです。
美術館に行っても思うことですけど。
田上
そうですよね。
いま、ここに集まってきていること。
それ、すごいことです。
50年代の生地と、
20年代の生地と、
80年代の生地と、
別々の時代と場所でうまれたものが、
いま、ここに集まって、
奇跡的な組み合わせで服になったり。
──
時空を超えたコラボレーションだ。
田上
まったく別の時代のものなのに、
同じ人がつくったんじゃないかって
思わざるを得ないような、
絶妙な組み合わせになるときもある。
めっちゃおもしろいなあって思うし、
ここに集まってきてくれた奇跡に
値するだけの意味や価値を、
つくっていけたらなあと思っています。
──
一昨年に、美術家の森村泰昌さんが
開催した個展で
大量のカーテンが使われたんですが、
それ、展覧会の閉幕後に
全廃棄されてしまうのが忍びないと
森村さんがおっしゃって。
それらを再利用・有効活用する
「アート・シマツ」ってプロジェクトを、
やったんですね。
田上
おおー、いいですね。
──
あの素晴らしかった個展の「かけら」で
好きなものをつくってくださいと、
カーテンをちいさくカットして売ったり、
座布団をつくったら
落語会で使いたい人が買ってくれたり、
漫才師のナイツのおふたりに
そろいのスーツをつくって、
プレゼントしたりもしたんですけれど。
田上
カーテンで? へええ。
──
その過程で、カーテンをつくった
川島セルコンさんを見学してきたんです。
そのとき、しみじみと、
生地をつくるのって大変なことだな、と。
田上
そうです。めっちゃ大変なんです。
たくさんの人手が要るし、
大きい機械を動かしてますしね。
──
大きな「緞帳」をつくってる作業場では、
横幅何十メートルもの機械の前に、
職人さんが何人も並んで織っていました。
別のところでは、たしか、
京都の祇園祭の山車の前面を飾る生地を
復元するということで、
職人さんが、
もう何年もかけて織り続けていたんです。
田上
おお。何年も?
──
そう、緞帳ほど大きなものではないのに、
その時点で3年と言ってたかな。
つい最近、5年をかけて完成したという
ニュースになってました。
ともあれ、生地だとか織物というものは、
こんなふうにつくってるのかあ、と。
田上
当たり前の存在のように思われてるけど、
こんなふうにつくられてるのか、
ということを知れば、虜になりますよね。
──
粗末にできないと思いました。
田上
見方が変わりますよね。生地にたいする。

(つづきます)

2024-08-12-MON

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  • 2025年版のほぼ日手帳で yuge fabric farmと 黄金のコラボレーション!

    インタビューの中でも語られますが、
    田上さん率いる
    ENIMA DESIGNのプロジェクト
    「yuge fabric farm」では、
    国内外の倉庫に眠る生地を発掘し、
    活用することで、
    あたらしい価値を生み出しています。
    2025年版の「ほぼ日手帳」でも、
    写真のように
    何ともきらびやかな金襴の生地を
    使わせていただきました。
    広島の工場から出てきた貴重な素材。
    詳細は、こちらのページで。