シンクーが時間をかけて大切に作ったのが、
ハローウォッシュとセラム ウォッシュ、 2種類の洗顔料です。
自分たちが本当に欲しい商品を求めるうちに、
「こう洗いたい」と「こうありたい」は
よく似ていると感じるようになりました。
洗うって、肌のことだけじゃない。
モノやコトを清潔に保ち、心にまで働きかける。
その人らしさが、見えてくる。
さまざまな分野のプロたちが習慣にしている
「洗うこと」を、ミニエッセイでお届けします。

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06 麻生綾さん   美容編集者 ツルツルな私でいるために。

顔を熱心に洗いすぎて、
肌の調子を崩したことがある。
以来、洗い過ぎないようにしていているけれど、
じゃあ、どう洗うべきかは悩ましい。
シンクーのセラム ウォッシュを初めて使ったとき、
汚れたぶんだけを落とし、
潤いは守ってくれるというコンセプトに
「すごくわかる!」と思った。

きれいにするという行為は、
自分を清潔で美しくすると同時に、
ほかのものを汚すことだ。

たとえば洗濯物。
私をきれいに保ってくれた
汚れ物を放置しておきたくないから、
私はしょっちゅう洗濯機をまわす。
きれいになるための化粧筆やスポンジを
まめに洗わない人がいるなんて、
本当に信じられない! とも思う。
ある意味、潔癖症なのかもしれない。

私にとっての一番の「洗う」は、心だ。
これだけ世俗にまみれた生活をしていると、
定期的に心を洗いに行きたくなる。

ここ3、4年凝っているのが、お伊勢さん。
年に2回はお参りに行っているし、
少し前には熊野那智大社へもでかけた。
都内でも神社を見かけたら寄ることにしている。
無視しちゃいけないものだと思うから、
急いでいるときでも、黙礼だけは欠かさない。

神社に通いはじめたのは4、5年前。
とにかく、なにかしら悩んでいた時期だった。
新月の願いごとなんかも熱心にやった。
そんな中で、ああ、神社に行ってみようと、
ふと思うようになった。

熊野の那智の滝。有名な一の滝のさらに奥にある二の滝。必死の沢渡りの後にたどり着いたこのお姿が世俗を洗い流してくれた。
熊野の那智の滝。有名な一の滝のさらに奥にある二の滝。必死の沢渡りの後にたどり着いたこのお姿が世俗を洗い流してくれた。

いま、悩みはない。
そりゃもちろん、小さいのはある。
原稿の締め切りだとか、
目尻にシワの予兆を見つけたとか。
でも、大きな不平不満は、ない。

家にはロフトで買った神棚を置いていて、
毎日お水を替えるし、
毎月1日と15日には塩とお米とお酒も替える。

神職の友達から、こんな話を聞いた。
神様は神棚の数だけいるって。
あなたのことを一番分かってるのは、
あなたの家の神様だから、話しかけてって。
それ以来、昨日のお礼と
「今日もよろしくお願いします」と
ご挨拶をするのが日課だ。
はたから見たら、ブツブツ言ってる変な人。
でも、声に出さないと神様には聞こえない。
音にしたり、ときには書いたりすることで、
自分自身に言い聞かせてもいるのだろう。

洗うと聞くと、汚れを落とすことを
連想されることが多いのかもしれない。
でも私にとっては、
常に透明な状態にしておくこと、
という表現がしっくりくる。
ツルツルなものは汚れにくいから、
心だって
明るく澄んだものにしておきたい。

それでも、汚れるときは汚れてしまう。
だからこそ、ツルツルを心がけていられる
余裕のある自分でありたいと思う。

余裕があること。
幸せであること。

私が幸せだと思える状況は、
愛と仕事とお金と健康がちゃんとしてること。
もちろん、愛が一番前にくる。
仕事と健康を自分で整えたうえで、
「大切な人たちに愛を与えられますように」
毎日、こう祈っている。

こうして考えてみると、
神様っているとかいないとかじゃなく、
人には必要なものなのだ。
心を育てていくために、なくてはならない存在。
向き合って、祈ることで、心が洗われていく。

 

(Text by HOBONICHI)

あそうあや・美容編集者

美容編集者、ビューティコンセプター、
ビューティエッセイスト。
女性誌の美容ページ担当歴は30年以上。
モードからサイエンスまで、
縦横無尽な切り口で「美しさ」を編集する。
25ans』『婦人画報』
VOGUE JAPAN』で副編集長を、
etRougeでは編集長を務めた。

 

2021-10-20-WED

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