くるりの音楽を聴いて
自由とか旅とか宇宙とか広い空を
思い浮かべる人は、きっと多い。
でも、くるりという音楽の集団は、
さまざまに形を変えてきました。
岸田繁さんご本人も、
スリーピースからクラシックまで、
いろんな「楽団」から、
多様な音楽をとどけてくれました。
でも「真ん中にあるもの」は、
ずっと変わらないといいます。
くるりが、くるりでいることの証。
そのことについて、
全6回の連載にしてお届けします。
担当は「ほぼ日」奥野です。

>岸田繁さんのプロフィール

岸田繁(きしだしげる)

1976年、京都府生まれ。作曲家。京都精華大学特任准教授。ロックバンド「くるり」のボーカリスト/ギタリストとして、98年シングル「東京」でメジャーデビュー。代表作は「ばらの花」「Remember me」など。ソロ名義では映画音楽のほか、管弦楽作品や電子音楽作品なども手掛ける。

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第2回 心のどっかでファンなんだ。

──
たとえば、ブルーハーツの音楽って、
自分より世代が上で、
具体的に
助けてもらった記憶があるんですね。
岸田
あ、リスナーとして?
──
はい、中学生のころ、
学校に行きたくなかったんですけど、
毎朝『TRAIN TRAIN』を聞いて、
グッと玄関のドアを開けて、
最初の一歩を踏み出すというような、
ある時期、しばらくそんな感じで。
岸田
はい、はい。
──
もうひとつ、日曜日の夜には
『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』
を必ず観て、
一週間分の元気を出してたんですが。
岸田
ええ、いいですよね(笑)。
──
そういう意味で、ブルーハーツには
「本当に、お世話になった」
という気持ちがいまもあるんですが、
くるりは、
自分とは同じくらいの世代なんです。
岸田
はい。
──
大学を出て就職して辛い‥‥みたいな、
その年が、2001年でした。
ようするに、くるりで言ったら
「ワンダーフォーゲル」「ばらの花」。
岸田
あー‥‥。
──
だから、お世話になったっていうより、
くるりの場合は、
いつもとなりにいてくれたなあ‥‥と。
岸田
そうなんですね。
──
そうやってずっと見てきて、
途中「え、解散しちゃうのかも」とか
心配になったこともあるけど、
幸いなことに、
くるりは、解散しないでいてくれて。
岸田
はい。
──
その選択肢はなかったんですか、実際。
岸田
まあ、脱退するからじゃないですかね。
その‥‥人が。
で、その代わりに加入してきますしね。
だから、コロコロ変わってるって
見られてるのかもしれないんですけど。
やりたいことは、変わってないんです。
ぼくらとしては、ずっと。
──
なるほど。
岸田
だから、まぁ‥‥そうですね。
それをやろうって人が1人でもいたら、
解散する理由はないですよね。
──
それを聞いて安心しました。
岸田
ありがたいことに、
めちゃくちゃ
大ヒットを飛ばしたりしているバンドでは
ないんですけど、
それでも聴いてくれる人たちはいますから。
恵まれているなあと思います。
まあ、でも、長いツアーとかやってたらね、
嫌になったりもするんだけど。
──
ええ、そうなんでしょうね、それは。
岸田
そういうことは誰でも‥‥ね、
どんなバンドさんでもあることやと思うし。
ただ、なんやろ、解散‥‥は、なかったな。
「もう解散じゃ!」とか言って、
そういうことを、
言うたことがないわけではないですけどね。
──
えっ、そうなんですか。
岸田
本気で言ってないしね。
──
いいなあ(笑)。本気で言ってない、って。
岸田
だって、私が生きてきた時間の半分以上を、
くるりが占めているんです。
だから、それを解散するっていうのは、
よっぽどじゃないですか。
ちょっと想像もできない、いまはまだ。
──
相当の価値観の転換が起こらなければ、
解散という選択はないだろう、と。
岸田
そう‥‥やりたいことが
音楽じゃなくなってしまったとか、ね。
そういうことでもない限りは。
──
じゃあ、逆に言えば、
音楽をやりたいって思ってるかぎりは、
くるりは続いていく。
岸田
と、思いますけどね。
──
そう考えると、
ベーシストの佐藤征史さんの存在って、
じつに大きいですね。
岸田
そうですね。
──
いま、どんなふうに思ってるんですか。
長く一緒にいて、佐藤さんのこと。
岸田
いいミュージシャンになりましたよね。
すごく、彼。
ちょっと、上から目線みたいですけど。
──
ふたりの間柄だから言えることですね。
岸田
うん、なんだか、やっぱり、
心のどっかでファンなんだと思います。
──
佐藤さんのこと?
岸田
そう。
──
わあ‥‥。
それを言えるのって素晴らしいですね。
感動してしまいました、いま。不意に。
岸田
あ、そうですか?
──
いや、ファンって言えばいいんだと。
ずっと一緒にいる人のことは。
家族でも、友だちでも、ファンなんだ。
岸田
私の求めるものをすべて
持ってるってわけじゃないですけどね。
ぜんぜん、そういうんじゃないですが、
ファンなんですよ、たぶん。
──
ファンという言葉には、親しみの他に、
リスペクトも交じってますもんね。
岸田
それだけじゃないですか。
腐れ縁が半分で、リスペクトが半分で。
面と向かって言う機会もないけど、
佐藤さんに対しては、そんな感じです。
──
あの、先日、中野で開催された
小山田壮平さんの弾き語りのライブが、
とっても素晴らしかったんです。
一人で舞台に立ってギター1本で歌う歌が、
全身を突き抜けていくような感じで。
岸田
はい。
──
あるいは、DTMがずんずん進化して、
たったひとりで
パソコンで音楽をつくる、
つくることのできる時代でもあります。
岸田さんも実際、
パソコンで交響曲をつくってますよね。
岸田
音楽って、いまはかなり、
ひとりでやれることが増えてますよね。
──
でも、それでも、
ひとりとふたりとでは、ちがいますか。
岸田
ひとりの時間は好きですし、
楽しんでるほうではあると思いますが、
でもやっぱり、
ひとりよりはふたりのほうが楽しいな。
うん、誰かと何かを共有できるほうが、
ぼくはうれしいという感じ。
──
そうですか。
岸田
小山田君がギター一本で歌ってるのは
知ってますし、
その楽しさもわかるんですよ、当然。
たったひとりでも
音楽はできるということでもあるし、
そこは自分の力が試される、
ヒリヒリする場所でもあるだろうし。
──
そうなんでしょうね。
岸田
でも、私の場合は、
自分ひとりでステージに立って歌う、
自分自身を表現することに、
なんていうんですかね、
小山田君ほど興味がないんだと思う。
まったく興味ないわけじゃないけど、
それよりは、
半分裏方みたいな仕事が好きなんで。
──
岸田さんのもうひとつの印象である
「コンポーザー」という仕事は、
そもそも裏方だったわけですものね。
岸田
そう。でも、くるりでデビューして、
大勢の前に自ら立って、
ドカーンって音を出すカタルシスも、
たくさん味わってきました。
お前らの仕事はそれやって感じで、
やっぱりね、いまでも、
自分らを鼓舞してやってますけど。
──
ええ。
岸田
それだけやっててもね、なんか退屈。
──
退屈。
岸田
うん。ですね。ぜいたくな話やけど。
ずーっとツアーに出てるバンドとか、
ま、ぼくらもそうだったけど、
そういうのは、もう無理かな、僕は。
──
なるほど。
岸田
新しいものをつくる時間、ですかね。
しばらく走り続けてきたら、
やはりどこかで立ち止まって考えて、
現在地を把握して、
過去を参照しながら、未来を考える。
──
そういう創造の時間が必要。
岸田
ひとりでも、佐藤さんとふたりでも、
そういう時間を持つことが
自分にとっては重要だと思ってます。

(つづきます)

2021-02-09-TUE

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    写真:田口純也