テレビ東京『ハイパーハードボイルドグルメリポート』は、
業界の常識を軽くひっくり返した番組でした。
恐怖や危険が待つと思われている現場に、
単独で入って取材する低予算番組のディレクター
上出遼平さんが考え抜いた人間の「欲望」とは。
動画で配信中の「ほぼ日の學校」の授業
一部を読みものでご覧ください。

>上出遼平さんプロフィール

上出遼平(かみでりょうへい)

テレビ東京プロデューサー、ディレクター。
1989年東京生まれ。2011年テレビ東京入社。
世界中のギャング、マフィア、少年兵、
カルト教信者などを訪ね、
どのような食事をして生きているかを伝える
ドキュメンタリー
『ハイパーハードボイルドグルメリポート』の
プロデューサー兼ディレクター。
同番組2019年7月放送分は第57回ギャラクシー賞受賞。
2021年1月には、がん闘病するバンドマン、
イノマーさんを追った密着映像が
『家、ついて行ってイイですか?』内で放送、
同放送はギャラクシー賞月間賞受賞。

著書に『ハイパーハードボイルドグルメリポート』
(朝日新聞出版)。
現在、「ハイパー」の国内版となる音声ドキュメンタリー
『ハイパーハードボイルドグルメリポート no vision』が
Spotifyで配信中。

Twitter
『ハイパーハードボイルドグルメリポート』公式サイト
『ハイパーハードボイルドグルメリポート no vision』公式サイト
書籍『ハイパーハードボイルドグルメリポート』

  • あなたの飯、見せてください。

    上出遼平と申します。
    テレビ東京でプロデューサーとディレクターの
    業務を行っています。

    いわゆるテレビマンと少し違うのは、
    自分で企画してカメラを持って
    ロケして編集して放送する、
    なぜか自分で全部作業するスタイルで
    番組を作るようになっていますね。

    ドキュメンタリーとバラエティの間の狭いところを狙って
    番組を作ってきた人間です。

    誰も知らないであろう代表作は
    『ハイパーハードボイルドグルメリポート』
    という、誰も覚えられないタイトルの番組です。

    今の時代だと、リポートが「レポート」になって
    検索に引っかかりません。
    これは本当に大問題なんですけど(笑)。

    簡単に言うと、
    「ヤバい世界のヤバい奴らは何食ってんだ」
    という、非常に俗なキャッチコピーを掲げて
    世界中の色んな人のご飯を見に行く番組です。

    「飯を見せて」 という切り口で取材をしていき、
    その人の日常や本当に思っていることを聞きに行きます。

    アフリカの少年兵、ギャング マフィア、
    ゴミ山で暮らしている方、
    ボートで国境を越えようとしている難民の方々、
    カルトと言われる宗教の村で暮らしている方々、
    を取材してきました。

    一応グルメ番組と標榜しているので、
    そういった方たちの「メシ」を取材してきました。

    これが僕の人となりです。

    普段はメディア論などでお話をさせていただくのですが、
    今日は「欲望」についてお話をさせていただきます。

     

    ものを造る欲望

    「欲望」について考え始めたきっかけを与えてくれたのが、
    田中さんという友人でした。
    ここから、田中さんのお話をさせていただきます。

    残念ながら田中さんは、
    2020年の5月に93歳で亡くなりました。
    今は中国とロシアの国境を流れる、
    アムール川沿いの日本人墓地で眠っておられます。

    田中さんは、シベリア抑留の経験者です。
    第二次世界大戦後にソ連兵に連れられ、
    シベリア抑留を経験してから
    なんとか日本に生きて帰ってきました。
    しかし、日本に帰国後も
    再びロシアに行き、終のすみかを構え、
    2020年に亡くなります。

    これだけでも、頭にかなりハテナが浮かぶかと思います。
    9年前に「なんでやねん」を聞きに、
    アムール川沿いまで訪れ、お話を聞いたのが出会いでした。

    なぜ田中さんがこのような人生を歩むことになったのか。
    説明をするために、まずはシベリア抑留の話をします。

    田中さんは、18歳のときに
    満州鉄道に勤めるようになりました。
    満州に渡ると、まもなく兵に捕らえられます。

    兵に捕らえられたわずか3ヶ月後に終戦を迎えると、
    田中さんはそのままソ連兵に拘束され
    悪名高きシベリアへ連れて行かれ、抑留を経験しました。
    彼にとっては、シベリア抑留が
    その後の人生を大きく変えたそうなんです。

    抑留時は、凍てついた大地で、
    大の大人が雑魚部屋のような場所で寝泊まりをしながら、
    さまざまな作業を行いました。

    印象的だったのは、
    建材のために行う、斧で木を伐採する作業が
    夏は大変だが、冬は楽だったと言っていたことでした。

    なぜだか分かりますか?
    分かりませんよね。

    木には「粘り」があるそうなんです。
    真冬のシベリアは木の細胞が凍っているので
    パリパリ伐採できるらしいとのことでした。

    おもしろいなぁと話を伺っていましたが、
    「おもしろい」なんて
    言っていられない世界がそこにはあります。

    シベリアでは、あまりの寒さと飢え、
    労働の過酷さなどが重なり、
    筋骨隆々の男たちが次から次へと亡くなってしまうのです。

    シベリアの土は、凍っているため
    遺体を埋めることはできません。
    亡くなった人の上に土をかぶせ、
    土饅頭(どまんじゅう)のようにして埋葬していました。
    それがどんどん連なる世界だったのです。

    田中さんはものすごく小柄でしたが、生き残りました。
    彼はシベリアで目を見張るような
    発見をいくつもしてきます。

    シベリアの世界は、日本の軍隊とは雲泥の差です。
    田中さんは、地位や階級が
    完全に無効化された世界に投じられました。

    今まで常識だったものが常識ではなくなり、
    生き延びることだけが目的になります。
    シベリアではむき出しの人間ばかりで、
    色々な学びがあったと言っていました。

    もうひとつ印象的な話は、
    男たちは、作業時間以外は
    エネルギーを消費しないようにしているため、
    身動きや会話をしない生活を送っていたそうです。

    そのくらい追い込まれた状態で日々を送っていた中、
    田中さんは、後に大きな気付きを
    与えられた光景を目にします。

    ある男性が木を削っていました。
    皆が黙り込んでる中でなぜか木を削っていたので、
    「何を作っているんだ」と聞くと
    「タバコを吸うパイプを作っているんだ」と答えました。

    恐らく田中さんは
    「こいつどうかしちまったんじゃねえか」
    と思ったのではないかと思います。

    できるだけエネルギーを消費しないようにしている状況で、
    わざわざ木を削るといった、
    リスクでしかない行動をとっているので。

    最初はその行為に対して「命に関わるリスクになる」
    と思ったそうですが、
    段々とムーブメントととして
    パイプを削る行為が広まっていきました。
    房の中の別の人たちも作るようになったのです。

    あの木は香りがいい、とか
    この川のコケで磨くとツヤが出るんだ、とか
    そういった情報交換がなされ、
    みんなが生気を取り戻していきます。

    最終的にはパイプ削りのコンテストが内々に開かれて、
    優勝者になけなしのパンが供出される光景を、
    彼は見たのです。
    その光景は、彼の人生をがらっと変えました。

    田中さんは、18歳から22歳までの4年間
    シベリアに抑留された後、日本に戻ると
    『造』(つくる)という名前の建築雑誌を刊行するなど、
    ものづくりを人に知らせていくさまざまな活動を行います。

    ただ、彼の中には
    どうしても日本にいられない理由が生じてしまって、
    再びロシアに渡ることになりました。
    彼の中でシベリア抑留は、
    「人生の大学」だったそうなんです。

    しかし日本国民の間では、
    シベリア抑留に肯定的な意見を言えば
    「非国民」みたいな空気が根強くありました。
    彼のシベリアへの気持ちを許してくれなかったのです。

    18歳から22歳までいたということも
    大きかったのだと思います。
    彼は間違いなくシベリアで大切なものを見ました。

    人生の中で大切な4年間を
    「ただ悲しくて辛かった」記憶だけに留めておきたくない、
    という気持ちが彼の中に強くあると、
    何度もおっしゃっていました。

    どうにかその気持ちを認めたくて
    「自分の大学である」と
    言い切ろうとしたんだと思います。

    それが日本で受け入れられないため、
    母校のあるシベリアへ戻って亡くなったということです。

    僕は8年前にその話を聞きました。
    田中さんは毎年一人で飛行機で東京に来るので、
    その度にご飯を食べて、
    つくる欲望「造欲」(ぞうよく)の話をしてくれました。

    欲望には、性欲や食欲、睡眠欲があります。
    でも、それ以外にも「造欲」みたいなものが
    実は人間に備わっているのではないか、
    という話をいつもしてくれました。

    田中さんと出会ってから、
    僕は「ものを造る」欲望について
    考えるようになったんです。

     

    遺したい欲望

    番組制作を行う自分は
    ものづくりを生業としているので、
    「造る」欲望については結構考えていました。

    ただ、それって当たり前のことじゃないですか。
    木工、レザークラフト、陶芸など
    レクリエーションというのは、
    ものづくりそのものが余興や楽しみになっているけど、
    それが人間の欲望だとは言わない。
    当たり前のことですから。
    もしかして田中さんの発見は
    おもしろくないのではないかと思ったりもしました。

    でも一方で、性欲や食欲が
    人間の中であまりにも大きいから、
    「造欲」みたいなものがないがしろにされてるんじゃないか
    とも思うようになりました。

    そんなことを考えていたとき、
    あるドキュメンタリー映画を観ました。
    その映画は、人類の歩みを
    陶器を通してみていくという、
    斬新でおもしろい内容でした。

    ドキュメンタリー内では、
    縄文土器がなぜ生まれたかが語られます。
    木の実やとちの実などを
    縄文土器に入れ、火にかけて、
    水で煮出し、灰を入れてアクを抜き、食用にします。
    人間の栄養状態を飛躍的に上げた道具です。

    でも実は、縄文土器は
    目的があって生まれたわけではありません。
    縄文人が泥と向き合った際、
    ぎゅっと手を押しつけてみたら
    手形が残ったことが始まりだそう。

    最初は「おや?」と思ったみたいです。
    お気に入りの石や葉っぱを当てると形が残ります。
    「おもしろいぞ」と泥をいじり始めます。
    その結果、器のような造形が生まれて
    土器として使えるようになったらしいのです。

    諸説あるかもしれませんが、
    その話を聞いたときに僕は結構
    がつんと打たれた気がしました。

    元々「欲望」は生存や生殖に
    向かうものに違いない、と思っていました。
    特にプリミティブなものに関しては。

    寒さから身を守るための洋服とか、
    効率的に獲物を取るための矢尻とか、
    すべて、食べることや生きることに
    まつわる欲望が起点となって
    道具が発明されたに違いないと思っていたんですが、
    そういうわけではなかったと。

    土器に関しては、何かを形取ったり、
    写し取って何かを残す‥‥
    「遺したい」という欲望が
    人間に土をいじらせた、ということを知ったんですよね。

    これ、田中さんから聞いたパイプの話と
    一緒だなと思いました。
    田中さんは「造る」欲望だと言っていましたが、
    いろいろな話を合わせると
    「造る」はそのうちの一部であり、
    「遺す」ことに人間の欲望は
    収斂していくのではないかと思ったんです。

    一般的に人間の欲望は、
    自分の命を繋いで生殖をして子孫を残すこと。
    人間の存在意義は遺伝子を繋いでいくことだ、
    という言われ方もしますよね。

    それが一般的な認識だとは思うのですが、
    僕がこのとき思ったのは、
    人間はとにかく「何かを遺したい」という欲望があって、
    遺伝子はそのひとつに過ぎないんじゃないかと。

    シベリアで、生存も生殖の可能性も
    限りなくゼロに近い状況になったとき、
    人々はパイプを遺そうとしました。

    実は遺伝子を残すことが人間の存在意義ではなくて、
    欲望の収斂の先でもなくて、
    「遺す」ということがゴールにあるのではないか、
    と僕は思ったのです。

    僕は仮に「遺欲」(いよく)と名づけました。
    音読みするとそれっぽいですよね。
    「すべての欲望は遺欲に通ずる」
    なんて言って喜んでいました。

     

    種を蒔きたい欲望

    しかし「少し足りないぞ」
    と僕は思うようになります。

    僕は元来、 旅が好きで 一箇所に
    とどまっていられないタイプです。
    仕事でもプライベートでもとにかく
    さまざまな場所に出かけています。
    この欲望の進む先は何だろうかと考えた時、
    「遺す」ではないなと思ったんです。

    では何だろうと考えると、
    ふとシベリアの話が再び浮かんできました。
    もしかすると、シベリアの彼らがパイプを作ろうと思った
    「造欲」や「遺欲」を増強したのは、
    日本からの距離だったのではないかと思ったんです。

    日本から限りなく遠い場所だったからこそ、
    「何かを遺したい」という思いが増強されたのではないか。

    例えば、旅先では性的に奔放になる人がいると
    聞いたことがあります。
    真偽はわかりませんが、サラリーマンだと
    ありがちな話だったりしますよね。
    それも、この話に近いのではないかなと思います。
    「ここではないどこかで、何かを遺そうとする欲望」
    があるのではないか。

    例えば、グラフィティアーティストも同じです。
    「落書き」と捉える人もいらっしゃると思いますが、
    「タグ」と言われる自分のマークを描く人たちは
    しばしば海外遠征をするんですよね。
    違法なので認めるのは難しいですが
    上海に行って電車に描いたりとかも、
    同じ欲望に根ざしているのではないかと思います。

    他にも、モラルの持ち合わせのない旅行者が
    海外の世界遺産に行って、自分の名前を彫って
    ニュースになっていることってありますよね。
    あれも同じ欲望なのではないかと考えています。

    「ここではないどこかで、自分の何かを遺したい」と。
    これはあるぞと思いました。

    そう考えたときに、
    これまで自分が勝手に「遺欲」と名づけた欲望は
    「時間的な自分の拡張」で、
    「未来へ自分を遺していきたい欲望」なのだと思います。

    またそれだけでなく、
    そこに「空間的な拡張」もあるなと思いました。
    それが、人間が旅を欲する理由であり
    旅先で奔放になる理由なのではないかと思ったわけです。

    結果、僕は「種蒔き欲」と名づけました。
    ダサくなりましたが「種蒔き」だと思います。

    人間は種を蒔きたい。
    つまり「自分」をどこかに遺して、
    それがいつか誰かの手に渡って、
    そこで芽吹くということを我々は夢想しています。

    アメリカで桜の木を見るとえも言われぬ気分になるように、
    ここではないどこかで自分と関わる何かが芽吹くことを
    より夢想しているんです。

    我々は「種蒔き族」であると思いました。
    欲望について結構考えた結果、
    当たり前のところに到達した感覚です。
    「タンポポと一緒やんけ」と思ったのですが、
    僕はこの考察がすごくおもしろかったんです。

     


    上出遼平さんの授業のすべては、
    「ほぼ日の學校」で映像でご覧いただけます。


    「ほぼ日の學校」では、ふだんの生活では出会えないような
    あの人この人の、飾らない本音のお話を聞いていただけます。
    授業(動画)の視聴はスマートフォンアプリ
    もしくはWEBサイトから。
    月額680円、はじめの1ヶ月は無料体験いただけます。