異例の若さで京都に評判の店「飯田」をつくった
日本料理人・飯田真一さん。
魯山人などの名だたる器で料理が楽しめるこの店は、
2018年にミシュラン三つ星を獲得しています。
出発点は、15歳のとき「日本一になろう」と
3人の仲間で約束しあったこと。
金沢・京都での修業を経て、
夫婦で自分たちの店を持つまで。
静かに語るその道のりは、聞いていてやめられません。
飯田さん、料理が好きじゃなかったって、本当ですか?
動画で配信中の「ほぼ日の學校」の授業
一部を読みものでご覧ください。

>飯田真一さんプロフィール

飯田真一(いいだしんいち)

日本料理店「飯田」店主。
1975年生まれ。埼玉県出身。金沢にて修業後、
懐石料理を極めるため京都へ。
和久傳」「祇園丸山」などの名店で修業を重ねる。
2010年「飯田」をオープン。
魯山人など本物の名品で料理が味わえる店として
瞬く間に評判になる。
2018年にミシュラン三つ星を獲得。

  • 料理人になったきっかけ

    糸井
    飯田さんは、どんな子だったんですか?
    飯田
    ヘンですね、たぶん。
    変わっていたと思います。
    糸井
    どのくらい、ヘンだったんですか?
    飯田
    料理人になる」と言う人は
    だいたい
    小さい時から料理が好きで、とか
    作ったら親がよろこんでくれて、とか
    そういうことを言うんですけれど、
    僕の場合、
    料理が好きで料理人になったわけでもないんです。
    それを話すと、
    みんな「え?」ってなりますね。
    糸井
    取材に来た人は困るよね。
    でも、ほんとは好きなんですよね?」とかね。
    飯田
    笑)
    まったく興味がなく、包丁も持たず、
    みたいなところからスタートだったので。

    糸井
    小さい時は、何がしたかったんですか?
    飯田
    何がしたかったんですかね‥‥。
    糸井
    勉強はしたんですか?
    飯田
    してないです。
    糸井
    漫画は見てましたか?
    飯田
    はい。
    勉強が嫌いなので、料理人というか、
    職人さんという選択肢は早くからありました。
    糸井
    それは、中学生ぐらいから?
    飯田
    そうですね。
    中学生の時には、料理人になろうと思ってたので。
    糸井
    へぇーー!
    飯田
    そのへんは早かったですね。
    糸井
    好きじゃないのになろうと思った。
    飯田
    そうです。
    高校に行けない」と言われたんで。
    糸井
    ‥‥つまり、ワルかったんですか?
    飯田
    はい(笑)。
    糸井
    で、高校には行かないとなった。
    飯田
    僕は行くつもりなかったんですけど、
    母がどうしても、
    何かしらの学校には行ってもらいたいと。
    一度社会に出たら、死ぬまで働かないといけない。
    そうなると長いから、
    あと3年ぐらい遊んでもいいんじゃない」
    と母に言われて、
    ああ、そっか」と思って。
    母が制服を作ってる会社に勤めていたのですが、
    そこの紹介という形で、
    調理師の3年制の専門学校に行くことになりました。
    糸井
    遊んでてもいいから」ということで。
    飯田
    そうです。
    糸井
    飯田さんが前に話してくれた、
    俺は美容師になる」みたいな友達がいたという、
    まるで『スタンド・バイ・ミー』みたいな話。
    あの話、ちょっと聞きたいんですけど。
    飯田
    中学校の時の話ですね。
    糸井
    中学の悪い子同士が。
    飯田
    中学の時に、
    僕は料理人になる」と決めて、
    一人の友達は美容師になる、
    もう一人の友達は大工になると。
    その時は夢しかないんですよ。
    現実を知らないんで。
    糸井
    根拠ないしね。
    飯田
    俺はこういう美容師になるんや、
    俺はこういう大工になるんや、
    僕はこういう料理人になるんや、
    って、そういう話を、明け方まで、
    ずーっと話してる感じなんですよ。
    糸井
    根拠もなければ、情報もない。
    飯田
    ただの夢ですね。
    糸井
    思い出せますか?
    その時どんなことをしゃべったか。
    飯田
    日本一の料理人になる」って、
    大きなことを言ってましたね(笑)。
    糸井
    日本一」というのがどういうものかは‥‥
    飯田
    わかってないです。
    埼玉からも出てないぐらいの
    小さな範囲でものを考えてますから。
    糸井
    美容師になりたい子も、
    その子はその子で、そういうことを言ってたんですね。
    今それぞれの方は?
    飯田
    みんなそれぞれの職業で独立して、
    大工になりたかった子は工務店を立ち上げて、
    美容師になりたかった子は美容室を経営して。
    だから、それがすごいなと。
    糸井
    うん、すごい。
    飯田
    僕もそうですけど、
    友達も夢物語からはじまって、
    いろいろあったと思うんですよ。
    現実でいろんなものにぶつかって。
    でも、やめずに、
    この歳になってふりかえると、
    みんな結果を出してる。
    どうしようもない風貌してましたけど、
    ブレずに、ここまでになったというのは、
    みんな大したもんだなって思いますね。
    ふつうはあきらめる人が多いと思うんです。
    方向性が変わったり。
    糸井
    なんの情報もないのに
    夢だけ語ってた中学生が、
    何十年後に会ったら「やってたよ」というのは、
    ちょっといいですよね。
    飯田
    そうですね。
    ちょっとした自慢ですね。
    糸井
    いまでも会いますか?
    飯田
    会います、会います。
    地元帰ったら、
    その頃に戻るぐらいキャッキャ言って。
    糸井
    もう社会人ですから
    それぞれにちゃんとしてますよね。
    ワル」ではないですよね。
    飯田
    そうですね。
    糸井
    どこかから、ワルじゃなくなるんだね。
    飯田
    そうでしょうね。
    糸井
    いまの飯田さんを知ってる人だったら、
    昔、ワルだった」
    っていうのは信じないと思いますよ。
    飯田
    僕もそう思います(笑)。

    年配の先生が教えてくれたこと

    飯田
    調理師学校に入った時は、
    料理人になる」と言っても、
    うなぎ屋さんやったんですよ。
    糸井
    料理人のイメージが「うなぎ屋」。
    飯田
    料理が好きでもなんでもなかったんで。
    糸井
    まだ言ってる(笑)。
    飯田
    でも、うなぎは大好きだったんで、
    自分の好きなものを
    作れるような料理人になろうと思った。
    それで、「うなぎ屋さんになる」と決めたんです。
    調理師学校に入って、
    好きな言葉に「うなぎ」と書いたぐらいなんで。
    糸井
    好きな言葉は「うなぎ」。
    飯田
    みんなは「努力」とか「夢」とか
    一期一会」みたいな感じでしたけど、
    僕は「うなぎ」。
    糸井
    ほんとに「うなぎ」って書いたの?
    飯田
    はい(笑)。
    糸井
    うなぎは今でも好きですもんね。
    飯田
    大好きです。
    変わらないです。
    糸井
    命かけてうなぎ焼いてますよね。
    飯田
    焼いてます。
    糸井
    うなぎが好きで、
    うなぎ屋になろうと思って学校に入って。
    習うことはもっといろいろなことですよね。
    飯田
    そうですね。
    うなぎ屋になるんや」と、
    ブレずに思ってたんですけど。
    商売として考えた時に、
    うなぎ一本ではたぶん
    これからの時代やっていかれへんね」
    というふうに言われたんですよ。
    糸井
    ああー。
    飯田
    頭ごなしに言う先生じゃなくて、
    うなぎをやりたいんやったら、
    うなぎもやれて、
    ほかのこともやれるようにした方いい、と。
    つまり、割烹的な感じですよね。
    そっちのほうが、将来、
    商売として考えたときにいいんじゃないかと。
    割烹の中で、
    うなぎだけやりたいんやったら、
    うなぎを中心にやったらいいと思うし、
    というふうに考え方を変えていってくれた。
    糸井
    16、17の子が、
    本当に独立したいと思ってるとしたら。
    飯田
    そこだけは強く思っていたので。
    自分のお店をやるぞ」という。

    糸井
    そうだね。
    日本一の料理人」になりたいんだもんね。
    飯田
    そうです。
    子どもながらに、
    必ず自分で独立してお店を持つ」と決めて
    学校に入った感じだったんで。
    糸井
    だからこそ先生のそういうお話を
    本気で聞けた」ってことですよね。
    飯田
    そうですね。
    糸井
    よかったですねぇ。
    飯田
    ある時、日本料理にはこういう
    お茶の懐石料理があるということを教えるために
    何かのご褒美ということで、
    先生がそういうお店を
    僕に見せようとしてくれたんです。
    糸井
    はぁー。
    ご褒美で連れて行ってくれたんですか?
    飯田
    そうなんですよ。
    埼玉の立派な料亭に、はじめて。
    糸井
    先生のおごりなんですね。
    飯田
    おごりです。
    糸井
    かわいがられてたわけですね。
    飯田
    たぶん。
    真面目だったんだと思います、料理に対して。
    糸井
    元ワルだった子が。
    飯田
    はい。
    糸井
    先生に連れて行ってもらって、
    これか」と思ったんですか。
    飯田
    そうですね。
    数奇屋造りで、離れが一軒一軒、
    敷地の中に5軒ぐらい建っていて、
    そのうちの一軒に入った時に
    お香の香りがしたのが印象深くて。
    お線香の香りは知ってましたけど、
    あの「お香の香り」は、
    はじめてのことで、なんとも印象深くて。
    玄関に香りをさせるのはどういうことなのかと、
    単純な疑問が湧いてきて、先生に訊いて。
    もてなしの形なんですよね。
    お茶の考え方から来てると思うんですけど、
    昔だと、招かれた人の中には、
    お風呂に入れない人もいると。
    そういう人たちも気にせずに
    一緒の場を作れるように、お香を焚く
    みたいな話を聞きました。
    懐石料理とはそういうもの、
    お茶の料理とはそういうもの、
    という話を食事をしながら先生に聞いて。
    こんな世界が日本料理にあったんや」と、
    はじめて懐石料理というものを知って、
    学ぶなら、懐石料理を学びたいと思いました。
    その時が、はじめてです。
    それまでは「舟盛り」が
    日本料理というものだと思ってましたから。
    糸井
    調理師学校の通常の授業では、
    懐石料理はくわしく学ばないんですね。
    飯田
    そうですね。
    糸井
    先生がこの子にそれを味わわせてあげたいと
    思ってくれたんですね。
    飯田
    そうですね。
    おじいちゃん先生やったんで、
    僕らが卒業したあとに退職されたと思うんですよ。
    いま思うと、たぶん、
    最後に教えておきたいと思ったんでしょうね。
    僕は「ご褒美や」と思って、
    よろこんで行きましたけど。
    糸井
    優等生で、よかったですね。
    飯田
    ほんとですよね。
    糸井
    その経験がなかったら‥‥
    飯田
    たぶん、懐石料理は知らないままだったでしょうね。
    糸井
    お香について聞かれて、
    いい香りだからいいでしょう」じゃなくて、
    人がコンプレックスを感じないで、
    その場にいられるようになんだよという教え方。
    飯田
    料理だけじゃないということですよね。
    お客様のために、おいしいものをつくり、
    いいお茶を用意するというのも、
    もちろん大事だけれど、
    もてなす人を思って、
    細部にまで気を配るもてなしをする。
    その時はじめて、先生に教えてもらいました。
    糸井
    それを「いいな」と思えるようには
    なってたんですか。
    飯田
    なってましたね。
    そのためには、
    3年間必要やったんですよね。
    どうしようもない風貌してた時だったら、
    なんかお線香みたいな匂いやな」
    ぐらいしか思わなかったと思うんですよ。
    糸井
    大きな転換点ですね。
    飯田
    はい。

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