メガネの「JINS」の創業者が、
じぶんの生まれた街の再生をやることになってしまった。
むつかしいから、おもしろいし、
やってるうちにあちこちから芽が出てきた。
典型的な地方都市に人が集まりだした。
動画で配信中の「ほぼ日の學校」の授業
一部を読みものでご覧ください。

>田中仁さんプロフィール

田中仁(たなかひとし)

株式会社ジンズホールディングス代表取締役CEO、
一般財団法人田中仁財団代表理事。
1963 年群馬県生まれ。
1988 年有限会社ジェイアイエヌ
(現:株式会社ジンズホールディングス)を設立し、
2001 年アイウエア事業「JINS」を開始。
2013 年東京証券取引所第一部に上場。
2014 年群馬県の地域活性化支援のため
「田中仁財団」を設立し、
起業家支援プロジ ェクト「群馬イノベーションアワード」
「群馬イノベーションスクール」を開始。
現在は前橋市中心街の活性化にも携わる。
慶應義塾大学大学院政策メディア研究科 修士課程修了。

田中仁財団

  • 地方創生のきっかけは起業家の世界大会

    私は、「JINS」っていう
    眼鏡ブランドをやっていまして、
    こう見えても、一部上場企業の社長です。
    2013年に地元の群馬県・前橋市の
    地域活動をはじめて、もう8年が経ちました。

    8年前は、上場企業の社長が本業以外に
    エネルギーを注ぐなんて、けしからん!
    という風潮だったんです。

    そんなことに使うエネルギーがあるなら、
    会社の業績を上げて、
    売上利益で株価を上げてほしい、というような
    そういう世の中のムードだったんです。

    だからはじめは、
    隠れてこそこそやっていました(笑)。

    でも最近は、SDGsの高まりとともに
    世の中の空気が変わってきました。
    地域活動も、最近は「良い」とされて
    見直されていますよね。

    「こういう田中みたいな起業家が、
    もっといた方がいいんじゃないか」
    っていうような、
    そういう論調のメディアも出てきました。

    地域活動をはじめる
    最初の大きなきっかけになったのは、
    2011年にモナコで開催された
    起業家の世界大会に参加したことです。

    偶然というか、運良く、
    私が日本代表になったんです。

    モナコに世界50カ国の起業家の代表が
    集まったわけですが、その中で
    「起業家個人の地域や社会への社会貢献について」を
    記入しなきゃいけないことが、結構ありました。
    私には、そこに書けることがまったくなかったんですよ。

    それは、2011年6月の世界大会でした。
    日本では、3.11があって
    地震・津波で被害に遭われた方に対しても、
    会社として、売上の何パーセントを寄付するとか、
    自分個人のお金を寄付するようなことはやっていましたが、
    それは、もう全然微々たるもので。

    欧米の起業家の方の社会貢献に比べると、
    まったく話にならないんですよね。

    そろそろ50歳を迎えようとしていた、その時に、
    欧米の起業家の社会貢献意識に大きなインパクトを受けて、
    「何か自分もしたい!」って思ったんです。

    群馬で起業家を育てる。

    じゃあ、何ができるのか?って考えた時に、
    「何の取り柄もない自分が、
    ビジネスに一歩踏み出したから、今がある」という、
    この「起業家」というところに焦点を合わせたら、
    自分も地域の人たちに、
    何か夢が与えられるんじゃないかと考えました。

    それで、『群馬イノベーションアワード』という
    起業家を表彰するアワードをはじめたんです。
    起業家、あるいはビジネスプランを、
    広く公に表彰しよう、というものです。

    それにあわせて、「ビジネスがどういうものか」
    っていうことを教えるために、
    地域の若者たち、毎年30人が無料で受講できる
    仕組みを作ったんですね。
    それが、『イノベーションスクール』です。

    これらの
    『群馬イノベーションアワード』と
    『群馬イノベーションスクール』を
    立ち上げただけでも、結構苦労しました。

    前橋生まれの糸井さんもご存知のように、
    地域というのは、新しいことをやると
    本当に、地元のみなさんから反対されるんです。
    非協力的な声が、いっぱい聞こえてきました。

    でも、それに負けずにがんばってやり続けたら、
    今では二つとも、かなり大きなものになりました。

    今、高校生部門で入賞すると、
    慶応大学のSFCに、勉強の試験なしのAOで入学できる、
    というルートもできて。

    初年度は、十何人しか高校生の応募はなかったんですけど、
    今では、もう500件近くの応募があるんですよ。
    群馬県にある高校各校のプログラムに入るぐらい、
    大きな社会的な動きになってるんです。

    当時、安倍政権の時に「起業率を増やそう!」っていう
    動きがありました。

    イノベーション・アワードとスクール、
    この二つをやる前の群馬県の開業率は、
    全国の本当に平均以下だったんですが、
    やった後は、開業率は全国でも上位になったんです。
    ある年なんて、伸び率が全国1位ってこともありました。

    一周遅れて、先頭を走っている!?

    結構しっかり、お金もエネルギーも使って、
    この二つを軌道に乗せたので、
    自分の中でも「もう、いいかな」と思いました。

    ただ、そのうちに前橋にいることが増えて
    当時「アーツ前橋」という、できたばかりの
    前橋市立美術館のイベントによく参加していました。

    そこで、ボランティア活動をしてる
    何人かの前橋の若い人たちと、知り合いました。
    やっぱり、3.11をきっかけとして
    自分たちの住んでいる町をなんとか良くしたい、
    と考えて活動している若者たちです。

    彼らは、特に何か力があるわけでもなく、
    ネットワークがあるわけでもなく、
    本当に自分たちができることだけを
    愚直にやってるわけです。

    だけど、当時の前橋市は、
    県庁所在地の商業地の価格が、
    47都道府県で一番安かったんですよ。

    都道府県ランキングでも、群馬県は魅力度最下位。
    最下位のネタはいっぱいあるんです(笑)。

    まあそんな町だから、
    社会の教科書に、シャッター商店街の事例として
    写真が載っちゃうくらいなんですよ!

    本当に私がびっくりしたのは、
    一番の目抜き通りにあるアーケード商店街に、
    日曜日でも、人が一人も歩いてないんです。
    いや 本当に衝撃ですよ。

    「もう、この町は終わったんだろうな。」と思いました。

    でも、そんな中で若者たちは、がんばってるわけですよ。
    それをはた目で見ていて、
    私もね、だんだん興味が湧いてきたんです。
    何か力になりたいなと思って。

    「じゃあ何ができるかな、
    でも、この町もう終わってるよな」と思いつつ。

    でも、よーく目を凝らして見たところ、
    「あっ、これって一周遅れて
    トップを走ってるんじゃないかな?」
    と思ったんです。
    ぼくは、やっぱり商売人なんですよ。

    なんでトップかと言うと、
    これまでの都市開発は、ほとんどの場合、
    木を切り、土をコンクリート化してきたわけです。
    だから「箱物行政」って揶揄されてますけど。

    いろんな町が、ソフトがないまま、いろんな箱物を作って、
    経費の無駄遣いをしてるような町が多いんです。

    でも前橋を見てみると、
    その開発をまったくしてないんです。
    だから、昭和の戦後の町並みが残ってるんです。

    「あっ、これはこれからの時代にいいかもしれない!」
    「開発されてないことが、逆に優位に働くってことが
    ありえるんじゃないか!」と思って。

    そこで、すぐ私の商人頭脳が
    ババーっと回転しはじめたんです。

    廃業したホテルを買っちゃった!

    ちょうどその時に、
    前橋の町のど真ん中にあったホテルが廃業してしまって、
    閉じたまま廃墟になっている。
    そして、どうもこのホテルが、
    マンション業者に売りに出されるらしい、
    という話を耳にしました。

    町のど真ん中にあったホテルがなくなって
    マンションになってしまったら、
    さらにつまんない町になっちゃうな、ということで
    ボランティアの若い子たちが危惧したわけです。
    「あれは、マンションになっちゃまずい!」と。

    それで、どういうわけだか私のとこにきて、
    「田中さん、あそこなんとかできませんか?」
    って言うんですよ。

    そんなこと言われても、私は眼鏡屋ですからね…(笑)。
    ホテルなんか、なんともできないわけです。

    「いやあ なかなか難しいよね」って話をしていたら、
    アーツ前橋の当時の館長にも
    「田中さん、あそこ買って何かできない?」
    という話をされて、
    また、違うある建築家の方からも
    「仁さん、あれ、買ったらいいんじゃない?」
    みたいなことを軽く言われたわけです。

    でも、そういうことって、まず一人に言われて、
    さらに3人、4人に言われちゃうと、
    人間って不思議ですね、
    だんだんその気になっちゃうんですよ(笑)。

    その時、イノベーションアワードもスクールも立ち上げて、
    何とかなりそうな時期だったから…。
    ちょっと、かっこつけちゃったのかなぁ?
    「じゃあ、やりましょうか!」
    みたいな感じで、とりあえず買っちゃったんです。

    ホテルを買ったはいいけれど誰かに経営は任せたくて
    ホテルのコンサルタント会社とか、
    ホテルの運営会社に話を持っていったら
    「今の前橋にホテルを作って誰が泊まるんですか?」と。

    ホテルっていうのは、
    人が集まるところにニーズが生まれてホテルができるのに
    前橋がどんな町かイメージがわかないと言われて、
    確かに難しいなって弱ったんですよ。

    そんなやりとりがあったから、
    前橋市がどんな街であるかを明確にするために、
    官民共創でビジョンを作ることになったんです。
    前橋にビジョンがないと、ホテルも再生できませんから。

    そこでドイツでポルシェやアウディの
    ブランディングを手掛ける
    ブランドコンサルティング会社に頼んで、
    前橋市のビジョンを作ってもらったんです。

    ミュンヘンから前橋まで泊まり込みでやってきて、
    出てきたコピーが「Where good things grow」。
    直訳すると「良きものが育つ場所」で、
    抽象的でいろんな活動を内包できる言葉ですけど、
    前橋市民にはハイブローすぎるなと。
    これはまずい。

    そう思って「前橋 言葉」っていうことで
    糸井さんに協力してもらったんです。
    そのおかげで「めぶく。」というビジョンができて、
    ホテルづくりから町づくりから、全部まとまり始めました。

    この、白井屋ホテルのコンセプトは「町のリビング」。
    前橋のリビングであらゆる出会いが生まれて
    刺激し合えるホテルにしたかったんです。
    アートを入れることになり、
    グリーンを豊かにすることになり、
    そしてデザインもすべてがまとまった
    ホテルになったんですね。

    当時、ホテルのコンサル会社から言われた
    「人が集まるところにホテルを作る」の逆で
    人を集めるホテルにしたんです。
    自分で言うのもおこがましいんですけども
    ここ最近の日本のホテル、宿泊業界の中で
    たぶん一番注目されてるんじゃないですかね。

     


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