みなさま、おひさしぶりです。
2000年(まだ20世紀!)に始まった
「新宿二丁目のほがらかな人々。」。
連載の3シリーズ目「ゴージャスって何よ?」から
2015年の68シリーズ目「結婚って言われても。」まで、
ジョージさん、つねさん、ノリスケさんの3人で、
ほがらかなトークをお届けしてきました。
その後、ジョージさんとは「ほぼ日」で
いろんなお仕事をご一緒してきましたけれど、
最近はめっきり3人での登場がなく、
「どうしているかなぁ」なんて思ってくださったかたも
いらっしゃるかもしれません。
また、あのトークが聞きたいな、と、
「ほぼ日」も思っていたのですけれど、
残念なおしらせをしなければいけなくなりました。
2020年4月23日、木曜日の朝、
ジョージさんのパートナーであるつねさんが、
亡くなりました。
56歳でした。
そのときのこと、そしてつねさんのことを、
この場所でちゃんとおしらせしたいと、
ずっとそばにいたジョージさんが、
文章でお伝えすることになりました。

イラストレーションは、ジョージさん、つねさんと
とても親しかったイラストレーターの
おおたうにさんが担当してくださいました。

なお、「ほぼ日」には、これまでの、
アーカイブも、たーーーーっぷり、残っています。
ほがらかにおしゃべりする3人に、
いつでも、ここで会えますよ。

文=ジョージ
イラストレーション=おおたうに

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その6 唯一の約束。

彼が死んで8日目のこと。
葬儀の準備が始まりました。
時節柄、参列者は呼ばず、
ボクひとりで送ると決めていました。

案内などの手間はありませんが、
実際に葬儀を取り仕切るに際して、
決めなくてはならないことがあまりに多くて戸惑いました。
この年ですから葬儀に出たことは沢山あります。
父を数年前に亡くしているから、
喪主を務めたこともあります。
けれど父の葬儀に際しても、
葬儀そのものの準備をしてくれたのは母だったから、
葬儀の準備は初めて経験したわけです。

まず、警察で紹介してもらった葬儀社と打ち合わせ。
斎場を決めました。
4年ほど前に知人を送った斎場と偶然同じで、
大体のイメージはつきました。

そして葬儀の形態やお花に棺。
打ち合わせの段階では、まだ遺体は警察にあり、
葬儀社の方も見ていませんでした。
どんな体型の方でしたかと訊かれて、
身長は163センチくらいで背は低かったけれど、
恰幅は良かったんですと答え、
ボクのiPhoneにある彼の写真を彼らに見せました。
彼の顔をみたら思わず涙がでてきて、嗚咽になりました。
「大切な方だったんですね」と言われ、
本当に大切な人だったんですと答え、
打ち合わせを必死に続けました。

葬儀の書類には、
どこにもボクの名前はありませんでした。
立会人の欄にも、喪主の欄にも。
ボクはただただ「葬式を出す彼の知人」という扱いです。
法律的には赤の他人なんだからしょうがないなと、
また泣きました。

そういえば、警察の人が事件の直後にやってきたとき
ひと通りの質問の後でこう訊きました。

この部屋は分譲ですか、賃貸ですか。
借りていますと答えると、
誰が家賃を払っているんですか。
ボクが全額払っていますと、
賃貸借契約書を見せると、
「なら問題はないですね」。
もし彼が家主だったら、
あなたは即刻退去でしたよ‥‥、と。

確かにそうでしょう。
ちょっと考えてみればわかりそうなことを、
ボクはすっかり見落としていました。
もしボクが先に突然逝っていたら、
彼はたちまち路頭に迷ったに違いない。
社会の中で、ボクらは「ふたり」ではなく
「ひとりとひとり」だったのです。

それと同時に、
死ぬってこんなに大変なことなんだ‥‥、
としみじみ思いました。
ボクも、死んだときにボクが何者で、何をしていて、
誰とどのようにつながっていた人なのか、
発見してくれた人に一目瞭然にしておかなくちゃと、
書類を作ることにしました。
もしものときに、まずボクの身分をあきらかにし、
さまざまな問題に対処してくれるであろう
妹の電話番号を書いた札を、
部屋の目立つ場所に貼ることにしました。

生きるということは、
死ぬ準備をすることなんだ‥‥。

葬儀の打ち合わせをつつがなく終え、その翌日、
葬儀社のスタッフと落ち合って、
警察まで司法解剖を終えた彼の遺体を引き取り、
そのまま斎場の霊安室に運んで、
葬儀の準備をお願いしました。

それから家に取って返し、
ボクはボクで準備です。
礼服にスティームをかけシワをとる。
お数珠がどこにあるのかと、
箪笥、クロゼットをすみずみ探し、
いつもは履かぬ黒い靴を磨いていたら、
電話が鳴りました。
番号を見るとついさっきまで一緒にいた
葬儀社の担当者の携帯番号でした。
なにごとか‥‥、といささか緊張して電話をとると。

「伺っていた身長にあわせて
用意していた棺なのですが、
想像以上に恰幅がよくてらっしゃって、
ご遺体がいかにも窮屈そうなのです。
追加料金がかかってしまうのですが、
ワンサイズ大きなものに
交換してもいいでしょうか」

担当の人もびっくりしたろうなぁ‥‥。
足を痛めていたりもしたからずっと運動不足だった彼。
かなり太っていたから、
身長で判断しないほうがいいと思いますと、
打ち合わせのときにした心配が、
現実のものとなったわけです。
ワンサイズでもツーサイズでも、
彼が寝心地よいものを、
どうか用意してくださいと電話を切りました。

葬儀は2日後でした。

その日はにくたらしいほど晴れていました。
雲ひとつない青い空。
タクシーで斎場に向かいました。
電車を乗り継いで彼の元へと行くエネルギーは、
到底絞り出すことができませんでした。

30分ほどの距離でした。
窓からぼんやり外の景色を眺めながら、
なぜなんだろう‥‥、
こういうときに限って
街角に男性同士のカップルを見つけてしまう。
あからさまにゲイカップルという格好や
仕草をしているわけではありません。
男同士にしてはちょっと距離感が近いとか、
着ているもののセンスが似ているだとか、
そこはかとなく親密な関係を感じさせる、
そんな仲良きふたりが信号待ちをしていたり、
スーパーマーケットの
大きなショッピングバッグを下げて歩いています。

あぁ、この世の中には、
こんなに沢山のしあわせが満ち溢れているのに、
ボクは‥‥。

早く着け。
早く斎場に到着しろと気持ちは急いて、
やっと車は斎場に着きました。

静かでした。
前に来たときにはロビーにも斎場にも
人と哀しみが溢れていたのに、
その日、広い斎場にいるのはボクともうひと家族。
ボクはひとりで、あちらは4人。
斎場や葬儀社のスタッフの方が多い、
不思議な状態でした。

大きな棺にゆったり、体を横たえる彼。
お髭はどうしましょうか‥‥、
普通は剃ってスッキリしていただくのですけれど、
と言うのを、
髭は残してください、
それが彼らしい顔なんだからとわがままを言いました。
だからいつも見慣れた寝顔のようで、
名前を呼べば「あぁ、よく寝た」って
起きてきそうに見えるほどでした。

きれいで穏やかなお顔ですよね‥‥、と、
ボクは付添の葬儀社の人に言います。
言いながらその後半は声にならず、しばらく泣きました。
花を散らして体を飾り、
彼が描いた思い出の絵、
彼とボクの肖像画を1枚ずつ、
胸の上におき棺を閉じました。

待合室でお茶を飲み、
お金を払って領収書や書類を受け取ります。
骨を取り上げる時間となって、
彼のすべてが白い壺の中におさまりました。
車で家に帰る途中、壺はボクの膝の上。
それはずっとあたたかく、
家についてお祀りをするその直前まで、
まるで人肌みたいに感じました。

緊急事態宣言が解除されるまで、
しばらくボクのところで
預かっていただけませんかという
ご遺族からの依頼に甘えて、
彼はボクのところに
しばらくいてくれることになりました。
ありがたい。
写真を飾ると泣いてしまうから、
ボクの会社で彼が出版した本を遺影の代わりにし、
彼の大好きなお酒に果物、
バラの花を飾って彼の居場所を作りました。

花を買うようになりました。

自分が身を置く空間は
いつも同じであってほしいと思う気持ちが強くって、
だから日々状態が変わり、必ず枯れてしまう花は
心がざわつくものでした。
だからうちには花瓶もありませんでした。

でも、お骨はしばらく、うちにあるのです。
大切な人がそこに眠っていると思うと
さみしくないよう何かをおいてあげたくなる。
それで花。
それから果物をお供え物にして飾っています。

バラの花が好きでした。
だから必ずバラの花。
ボクらの町の地下鉄の駅の前に小さな花屋さんがあります。
おばさんひとりでやってる店です。
ずっとそこにあったのに、
どんな花が売られてて、
どんな人がやっているのかさえ記憶になかった。
歩ける距離に大病院のある町です。
だから手軽な花束もある。
艶っぽい飲食店が集まるエリアも近所にあるから、
胡蝶蘭の鉢植えなんかも置かれてる。
何度か通って、そのたびバラの花を買うようになり、
お店の人はすぐ覚えてくれて、
先日、店の前を通ると
「明日、新しいバラが入荷する予定ですよ」
なんて声をかけてくれたりするようになりました。

バラ3輪にカスミソウ。
バラは蕾が開きはじめた直後の状態。
蕾がゆっくり開いて咲いてく。
開きかけの可憐なさまが、
徐々にふくよかさを手に入れて
堂々とした満開となる。
香りも強さを増しはじめ、
満開を過ぎた頃から、
むせるような香りをまわりに撒き散らす。
毎日変化が気になって、
今日はどんな様子なんだろうと目を向けた先に、
彼が待ってるような気がして、笑う。

いつも同じじゃないということ。
自然というものは
自分の意思でどうにもならないものなんだ‥‥、
と、しみじみ思います。
そのきまぐれもまたよきものです。
勉強です。

花が変わるたびに、
果物を換えるたびに、
ボクは写真を撮って妹さんにメールを送ります。
ちょうど先日の母の日に
ボクと彼の共通の女ともだちが
お花を供えに来てくれました。
思い出話に花を咲かせて
お花と一緒にみんなで撮った写真を
いつものように妹さんに送りました。

いつも写真をありがとうございます、
という感謝と一緒に、
今年の母の日には、
母と私たちの絵を描いて送ってあげるからと
兄は言っていたんです、
間に合わなかったのがとても残念、
さみしいですね‥‥、と返事がありました。

そういえば、彼のパソコンを立ち上げ、
データを見たとき、
何を描こうとしていたのかにわかに思い浮かばない、
描きかけのデータがいくつもありました。
そのほとんどはタイトルがついておらず、
ただの番号だったり、
名称未設定だとか仮のファイル名がふりあてられていた。
ただ中に「母」というデータがいくつかあって、
多分、それが母の日のプレゼント用の
絵になるはずだったんでしょう。

遺された気持ち。
果たされぬ約束。
なんと切ない。

彼は小さな約束を気づかず破る自由な人でした。
待ち合わせの時間に遅れるのは日常茶飯事。
今日までにしておいてね‥‥、
という仕事をうっかり忘れてしまったり、
早起きしようと決めた朝にも寝坊する。

約束を守れない人は嫌いなんだよネと
何度もボクは彼を叱りました。

ただそういうボクも
また一緒に海外に行こうねとか、
仕事が落ち着いたらまたペットを飼おうよだとか、
結局、できなかった約束をたくさんしたから同じこと。

それは信頼しているもの同士の甘えのようなものでした。
約束したことを守らなかったことで叱られる。
けれどそれでも自分のコトを嫌いにならない、
相手のやさしさに甘える行為。
それもひとつの愛のカタチであったのでしょう。

そういう意味で彼は本当に甘え上手でした。
甘え上手な彼が唯一果たした約束が

「ボクが死ぬまでずっと一緒にいてあげる」

って約束でした。
でもその約束は、果たした瞬間に、
もうそれ以上、一緒にいることができなくなるという
さみしい約束でした。
今、証明する必要なんてなかったんだよ!
怒りを感じて泣きました。

(つづきます)

2020-06-17-WED

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