みなさま、おひさしぶりです。
2000年(まだ20世紀!)に始まった
「新宿二丁目のほがらかな人々。」。
連載の3シリーズ目「ゴージャスって何よ?」から
2015年の68シリーズ目「結婚って言われても。」まで、
ジョージさん、つねさん、ノリスケさんの3人で、
ほがらかなトークをお届けしてきました。
その後、ジョージさんとは「ほぼ日」で
いろんなお仕事をご一緒してきましたけれど、
最近はめっきり3人での登場がなく、
「どうしているかなぁ」なんて思ってくださったかたも
いらっしゃるかもしれません。
また、あのトークが聞きたいな、と、
「ほぼ日」も思っていたのですけれど、
残念なおしらせをしなければいけなくなりました。
2020年4月23日、木曜日の朝、
ジョージさんのパートナーであるつねさんが、
亡くなりました。
56歳でした。
そのときのこと、そしてつねさんのことを、
この場所でちゃんとおしらせしたいと、
ずっとそばにいたジョージさんが、
文章でお伝えすることになりました。

イラストレーションは、ジョージさん、つねさんと
とても親しかったイラストレーターの
おおたうにさんが担当してくださいました。

なお、「ほぼ日」には、これまでの、
アーカイブも、たーーーーっぷり、残っています。
ほがらかにおしゃべりする3人に、
いつでも、ここで会えますよ。

文=ジョージ
イラストレーション=おおたうに

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その5 おそろいの指環。

彼と出会ったときのこと、思い出してみました。

きっかけはインターネットのお見合いサービスでした。
30代半ばという年齢で、
それまで誰かとちゃんと付き合ったのは1度きり。
20代半ばに日本に住む台湾系のアメリカ人と
親密な関係になったことがありました。
5年ほど付き合って、
彼がどうしても国に帰らなくてはいけなくなった。
別れたくはなかったけれど、
日本を捨ててまで彼についていけるかというとそれは無理。
しょうがないネ‥‥、と結局別れたのでした。

さみしかったなぁ‥‥。
男と男の恋愛というものは、
あまりに不確かで流動的で、
気持ちをどんなに込めてもそれが一瞬にして
無に帰してしまうことがある。
そう思うと、特定の人と付き合うことが面倒くさく、
しばらくボクはプレイボーイとして
新宿二丁目で名を馳せました。
友人もたくさんいたし、
決してさみしいなんて思うことはなく、
どうせ結婚なんてできないんだから、
ゲイであるとはこういう自由を満喫すること、
って思うことにしました。

当時、ボクの仕事は順調を極めました。
収入は増え、
5年前に贅沢と思っていたものが今の日常。
好奇心の分量だけ世界は広がり、
生活するのが楽しくて楽しくて、
誰かとその楽しさを分け合いたくてしょうがなくなる。

なのにボクには恋人がいない。
それでお見合いサービスに登録しました。
どんな種類の情報を、
どんな内容でそのサイトに登録したのか、
今となってはまるで思い出すことができないけれど、
この人があなたのことを気に入っていますと、
そんな連絡が1週間ほどでやってきました。
そして顔写真とプロフィール、
簡単な自己紹介のメッセージが送られてきました。
それが彼でした。
どんな文章だったか、やっぱり思い出せないけれど、
淡々とした語り口調で、
控えめで誠実な印象があり、
愛らしい顔写真もあいまって、
ボクはたちまち会いたくなりました。

会いませんかとメールを送りました。
すると彼から
「ボクもお会いしたいと思っています」と返事が来る。
いつにしましょうと、
せっつき気味に書いた返事がいけなかったのか、
何日待っても彼から返事が来ることはありませんでした。

何度もメールを書きました。
毎日では嫌われるかもと、
2日とか3日おきに1通ずつ。
ボクの好きなこと。
ボクの仕事のこと。
もし付き合うことになったら一緒にしてみたいこと。
どのメールにも「あなたはどう思いますか?」
の言葉を最後に添えて〆としました。

やっぱり返事が来ることはなく、
それでもボクはあきらめませんでした。
どうあってもボクはこの人に会わなくちゃいけないんだと、
不思議な使命感をもって1ヶ月ほどメールを出しつづけ、
そしてとうとう、もう書くことがなくなっちゃいました。
どうしようか‥‥。
悩んで空を見たら、
その日はたまたまびっくりするほど青い空でした。
その写真を撮ってメールに添えて、
「あなたにもこの空が見えていますか」
と書きました。

返事が来ました。
「同じ空を見ていました」と。

それでやっと会うことになりました。

当時ボクは、
都心だけれどちょっと不便なところに住んでいました。
JRや地下鉄の最寄り駅がなく、
ターミナル駅から出るバスに乗り10分ちょっと。
どこかで待ち合わせようか? と訊くと、
ちょうど駅の近くで打ち合わせがあり、
終わり時間が不確実なので、
直接そちらに伺います、
バスに乗ったら連絡します‥‥、と。

その日の夕方は、雨が降りました。
突然、稲光が窓の外を明るくしたかと思うと、
地面が避けるような音とともに雷が近くに落ちました。
それが何度か繰り返されるような激しい雨でした。
それまで着ていた半袖では
部屋の中でも寒くなるような荒れた夕刻。
新宿あたりで待ち合わせしておけばよかったなぁ‥‥、
と、ちょっと心配していたところに、
ショートメールが届きました。

まもなくそちらのバス停に着きます。

こりゃ大変と急いで部屋を出て、
つっかけを履いてバス通りに向かって走りました。
通りを目前にして
彼が乗っていたはずのバスが通りすぎるのが見えました。
しまったと全速力で走って表通りに出てバス停を見ると、
キャップをかぶり、
大きな図面ケースを持った彼が立っていました。
手を振ります。
彼は気づいて、ゆっくりボクの方に歩いて近づく。
その姿が一向に大きくならないことにびっくり。
ボクが彼に一番最初に言った言葉は、
「思ったよりも小さいんだネ」ってひとことでした。
そのことを、彼はことあるたびにボクに言い、
ボクは「だって本当に小さいなぁって思ったんだもん」
と、言われるたび、居直りました。

はじめて会うのに、
なぜだかなつかしいような気がして、
そのときボクはこの人と
付き合うことになるんだろうなと直感しました。

いまも、雷は、
ボクと彼が会った日のことを思い出させます。
雷がやみ、雨が上がったら、
彼がそこに立ってるような気がするのです。

彼と会ってボクの家まで歩きながら
「スゴイ雷だったね、雨には濡れなかった?」
と訊きました。
彼はニッコリ笑いながら
「雨上がりの空はあんなにきれいだよ」
って空を見上げました。
雨で洗われくっきりとした空に大きな雲が浮かんで
その雲の縁が赤く色づいていました。
夕焼けどきの赤い雲でした。

長い間、メールの返事をしなかったことを彼は謝ります。

彼にもつらい別れがあって、
もう恋なんかしないほうが自分らしく生きられる。
とはいえ、本当にひとりでいるのは寂しくて、
それでお見合いサイトに遊び半分で登録したというのです。
仕事の話や趣味の話、
儚い夢や未来の話や約束、
いつもの駆け引き。
そんなボクからのメールを最初は暑苦しいと思って、
しばらく様子をみて、
返事をするのを控えていたと。

でも、空の写真が送られてきたとき、
あぁ、この人、困り果てちゃったんだなぁ‥‥、
今までのいろんな経験が全然通用しないことに、
絶望しないで、あきらめもせず、
一生懸命なにかを伝えたくてしょうがないんだって思って、
それで会う決心がついたんだと言う。

空が仲人みたいだね。

そう言ったら彼がくすっと笑って、
その笑顔をずっと見ていたいとボクは思いました。
付き合おうよとは言いませんでした。
けれど別れるときには、自然と、
次はいつ会おうと聞くようになり、
最初は週に1度、週末にボクの家に彼は来ました。
そうでなければどこかで会って食事をしたり映画を見たり。
つまりデートのようなことを頻繁にくりかえし、
3ヶ月ほどした頃には、
平日には彼は、彼の仕事相手の会社に近い
ボクの家で生活することが多くなり。
週末になるとボクが彼の家に行くようになりました。

彼の家は散らかってました。
片付けようとすると
どこに何があるかわからなくなるから、
了解をとってからものを動かすようにして! と、
まるで大物作家のような注文をつける。
それでもなんとか片付けて、
次の週末に行くと再び散らかっているという繰り返し。

小さな部屋で散らかっていて、
駅から遠くて、
それでも彼の部屋はとても居心地がよく、
不思議なほどによく眠れました。

半年ほどしてボクは彼と
一生一緒にいるんだろうなとぼんやり思い、
それで「指輪を買おうか」とつぶやきました。
彼が「それもいいね」と言うので、
その足で伊勢丹のカルティエに行き、
ホワイトゴールドのLOVEリングを、
それぞれのサイズに合わせて買いました。
そのまま花園神社に行って指輪の交換。
恥ずかしげもなく
「一生よろしくお願いします」って言いながら。

それからボクらは全速力の恋をしました。
今まで30年以上、
彼に出会うことができなかった時間を
取り返すように全速力で。
しかも全速力にもかかわらず
決して息切れすることのない恋を。

今になって思えば、
仲のいいおじさん2人が、
おそろいの指輪をしているというのは、
好奇心旺盛な人にとって格好の観察対象です。
観察結果の選択肢はいくつかしかなく、
最有力候補は「ゲイカップル」。
2人の左手の薬指をかわるがわる見比べて、
見ちゃいけないものを見たような表情になる人がいたり、
あからさまに「ハハーン」と、したり顔をしてみたり。
中には「なんでお揃いの指環をしてるの?」って
素朴に訊いてくる人がいたりと、反応はさまざまでした。

でもボクらはまるで意に介さず。
だってそうなんだもん‥‥、って、
ボクらの左手薬指のことを誇らしくすら思ってました。

ただ「一生よろしくおねがいします」の
気持ちの証に買った指輪も、
1年ほどで2人の指には小さくなっちゃいました。
2人で食べる食事はおいしく、たのしくて、
ついつい食べ過ぎていたのです。
健康のためにと同じフィットネスクラブの会員になり、
エアロビクスやアクアビクスを真剣にやりもしたけど、
体を動かすとお腹がすきます。
結局、消費カロリー以上のカロリーを
たのしく摂取した結果、
指が膨れて、指輪が入らなくなってしまいました。

指輪の構造上、
指の太さに合わせて調整することができません。
永遠を誓うのならば、
先々に対応できる指輪にすればよかったと思うも手遅れで、
ボクらはキーリングに指輪を嵌めました。
指輪の他には鍵がふたつ。
彼の部屋とボクの部屋の鍵が仲良く並んで揺れています。
それはボクらのお守りのようでした。

ところが。
ボクが住んでいたマンションの買い手がついて、
今の部屋に引っ越しが決まったときのことでした。

もうこの鍵はいらないよね‥‥、と
彼がマンションの鍵をキーチェーンにつけたまま
指輪と一緒にボクに手渡しました。
引っ越し費用に困ってるでしょう、
だったら指輪を売ればいいよと、
ニコニコしながら言うのです。
悔しくって哀しくて、
痩せればもう一度はめられるから、
ずっと一緒にいようと言って買ったんだから、
哀しいことは言わないで‥‥、って、
最初は受け取ることを拒否しました。

けれど彼は言います。

指輪なんかなくたって、
ボクはずっと一緒にいるよ‥‥、と。

結局、ボクの指輪も一緒に、
リサイクルストアにいって買ってもらうことにしました。
買ったときには高価なものも、
所詮、時代遅れの中古品。
引越し費用のすべてを贖うことはできませんでしたが、
新しい部屋に必要な細々とした雑貨を買って
引っ越し祝いに、しばらく食べていなかった
フランス料理を2人で食べました。
10年前のコトでした。

(つづきます)

2020-06-16-TUE

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