
みんなの記憶に残る夏でした。
2006年、夏の甲子園決勝。
引き分け再試合を制した早稲田実業で、
マウンドに立ち続けた斎藤佑樹さん。
その夏から「ハンカチ王子」と呼ばれ、
つねに注目を浴び続ける人生を歩みました。
思い描いていた成績は残せなかったものの
「今度こそは!」と期待させる魅力があって、
糸井重里も、関心を寄せていたひとり。
「株式会社 斎藤佑樹」を立ち上げ、
自身の可能性を模索中の斎藤さんのもとを
糸井が訪ねて対談をしました。
斎藤さんの人生にはいつも、
野球とハンカチが交わっているんです。
斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)
- 糸井
- 斎藤さんが一軍と二軍を100往復する間にも、
そこには、シンボリックに言うと
「ハンカチ」っていうものがあるんですよ。
- 斎藤
- え、そこにもハンカチが?
- 糸井
- ワイルドな野球をやっている最中に、
人から見たらエチケットの道具を
出しているわけじゃないですか。
その交差点が斎藤さんにはあるんです。
「ええカッコさせてくれよ、俺に」
というような見栄があって、
同情されたくないっていう負けん気もある。
一軍と二軍の往復をしながら、
車なのか電車なのかに乗っているときにも
身ぎれいにはしていたんじゃないかな。
ジャージとかじゃなくて、
「俺は斎藤だから。ちゃんとした服着てるからね」
というカッコよさがあったのかなあって。
- 斎藤
- なるほど、おもしろいですね。
- 糸井
- 最初にハンカチをいただきましたけど、
自分の会社でハンカチを作るっていうのは、
商品を超えているんですよね。
「俺はハンカチです」っていう宣言ですよ。
しかも、会社の名前を個人名にしましたよね。
- 斎藤
- 「株式会社斎藤佑樹」といいます。
- 糸井
- それを考えたプロセスを教えてもらえますか。
- 斎藤
- 仲間と考えて、何個か候補はあったんです。
でも、やっぱり最後は
自分の名前で堂々と生きていこうと思って。
「ハンカチ王子」が広く知られましたが、
「斎藤佑樹」という名前は
どれだけ知られているんだろうなぁと。
野球選手じゃない斎藤佑樹が世に出されたら、
どのくらいの価値があるんだろう。
それを早く推し量りたかったという思いもあり、
堂々と、逃げも隠れもしない覚悟を込めて。
- 糸井
- ちゃんとした服を着て、
その中ではマグマを燃やしてるみたいなことが
ずっと続いているんだなって思うんです。
個人名をそのまま会社名にしたってだけでも、
人はおもしろがりますよね。
一部の人からしたら、
ナルシストなんじゃないかって思うはずです。
でも、そう言われることくらいは
わかってやってるわけで、
「こいつ、強い人間だなあ」って
みんなが思うんじゃないかな。
- 斎藤
- はは、たしかにそうですよね。
- 糸井
- 斎藤さんがいま、一番力を入れて
繰り返しやってることはなんですか。
- 斎藤
- 自分の可能性を広げることですかね。
野球を28年くらいやってきて、
野球選手じゃない斎藤佑樹って、
そもそも何者なんだろうと思ったんです。
何が得意で、何が苦手なんだろう。
だから、いろんな方たちと会って、
いろんな事業に挑戦して、
自分は何が得意なのかを考えているところですね。
あとは、写真を撮ることもやらせてもらったり、
テレビのお仕事をさせていただいたり、
あとはハンカチをつくったり、
いろんなことをやらせていただいてます。
- 糸井
- じゃあ、いずれこうなりたいっていうのは?
- 斎藤
- ぼくらの会社のビジョンに
「野球未来づくり」を掲げています。
野球界にお世話になった人間として、
野球界の今後をよりよくしていこうという。
ぼくひとりの力じゃ無理なので、
自治体の方とか企業の方と一緒に組んで、
企業の課題を解決しつつ
野球界の未来を一緒に考えてもらえるビジネスを
いろんなところで掛け合わせてやっています。
- 糸井
- それは正直に言うと、まだわかんないです。
- 斎藤
- そう、ですよね。
- 糸井
- うん、わかんないんですけどね、
たとえば栗山英樹さんは
何の目的があるかもわかんないのに、
「栗の樹ファーム」をつくったじゃないですか。
完成したときにぼくも行って、
木を植えたりしておもしろいと思ったんです。
野球界の今後みたいな説明はもう全部抜きにして、
「野球できる場所を持っちゃったよ」
というものだったんですよね。 - 栗山さんって、一所懸命考えることと、
ポーンって飛び込んじゃうことの
いい矛盾をしている人だと思うんですよ。
斎藤さんにもきっと、
そういうものが生まれるんじゃないかな。
ハンカチもそのひとつでしょうけど、
慌てないで、なにかできると思うんですよね。
- 斎藤
- まさにおっしゃる通りで、
ぼくも野球場をつくりたくて。
- 糸井
- おおっ、そうですか。
- 斎藤
- 少年野球専用の野球場をつくりたいんです。
先日、アメリカ行ってきたんですけど、
アメリカにはリトルリーグ専用の野球場があって、
プロ野球のサイズよりも
ちょっと小っちゃいスタジアムなんです。
ぼくらが小さいころって、
ホームランを打つことイコール、
ランニングホームランだったんですよ。
でも、本当はフェンスオーバーの
ホームランが打ちたかったなと思って。
- 糸井
- ああ、打ちたいですねえ。
- 斎藤
- フェンスを越えたらベースをゆっくり回って、
サヨナラホームランなら
ホームベースに仲間が集まって
ハイタッチするようなことがやりたいんです。
自分の幼少期にもその憧れはあって、
少年時代から本物を見せてあげたいなと。
ところが、日本でそのサイズの球場は
なかなか難しいんですよね。
- 糸井
- 野球する場所が学校の校庭ですもんね。
- 斎藤
- 栗山監督から野球場を作った考えを聞いて、
その答えに共感したんです。
「佑樹、プロ野球選手のOBがひとり1個、
自分の野球場をつくって、それを1000人がしたら、
日本に1000か所の野球場ができるだろう?
そうしたら、子どもたちがそこで野球ができる。
それだけで野球人口が増えていくと思わない?」
という話だったんですね。
その通りだと思って、必ずひとつは球場をつくろうと、
いま、土地を探してる段階です。
- 糸井
- ああ、それはおもしろいですね。
その話は、ハンカチの領域を
ちょっと飛び出す話じゃないですか。
すぐにじゃなくてもいいやって思えば、
必ず実現すると思うんですよね。
- 斎藤
- ぼくがハンカチをつくったのは、
すごく安直な考えかもしれないですけど、
「ハンカチ王子」がハンカチと改めて向き合って、
ハンカチを売ろうって考えだったんです。
自分が商売をしようとしたときに、
一番成功する確率が高いのがハンカチだと思って。
- 糸井
- なるほどねえ。
- 斎藤
- その収益を、野球場をつくる建設費に回したくて。
いろんなビジネスをしていくと、
その全部が野球場に集約していくんですよね。
お金だけじゃなくて、人とのつながりも。
- 糸井
- サッカーの岡田武史さんは
スタジアムをつくりましたもんね。
そのプロセスもご本人から聞きましたが、
やっぱりおもしろかったなあ。
- 斎藤
- 岡田さんのサッカー場、おもしろいですよね。
ぼくも野球場をつくるとしたら、
地元の方たちの交流の場所が生まれて、
コミュニティーの場所が生まれて、
子どもたちがそこで駆け回るみたいな、
そんな野球場がいいなと思うんです。
- 糸井
- それはきっと、作ろうって決めちゃって、
やり取りするのがおもしろいと思います。
「それは無理ですね」っていわれるものが
山ほど混じりながら、投げっこするんです。
岡田さんはいまでも「無理ですね」ってことを
考えているんじゃないかな。
- 斎藤
- 周りからできないって言われることができる人って、
「やってみないとわかんないじゃん」っていう
精神があって、ぼくも持ち合わせていたいなと。
- 糸井
- それは持ってますよ。斎藤さんは持ってます。
だって、甲子園の決勝で負ける可能性を
知らないわけじゃないのに考えてないんだもん。
負ける想像をしそうなものなのに、
考えてもしょうがないって思っていたわけだから。
それは、鎌ヶ谷と札幌の往復をしながら
さらに鍛えられたと思うんで、強いと思うなあ。
- 斎藤
- ありがとうございます。
- 糸井
- 野球の選手としてのすごさよりも、
その往復する行動に名前がついていたら、
ぼくはそこに憧れるんですよ。
本当に、他にいないと思うんです。
- 斎藤
- そうですか!
- 糸井
- いや、今日はすっごくおもしろかったです。
お会いする前になにを話そうかなって考えていて、
もしかしたら斎藤さんって勝ち負けを
考えてないんじゃないかなと思ったんですよ。
お会いして、負けず嫌いだって聞いたんで、
それが逆にそうさせたのかなって納得しました。
- 斎藤
- ありがとうございます。
- 糸井
- ありがとうございました。
群馬県のことで考えていることがあるんで
またなにか、ごいっしょさせてください。
(おわります)
2024-02-05-MON
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2006年の夏に「ハンカチ王子」と呼ばれ、
ハンカチフィーバー、ハンカチ世代と、
大きな注目を集めた、斎藤佑樹さん。
甲子園の優勝投手であることよりも、
ひとり歩きしていったハンカチと、
いま、改めて向き合ったのだそうです。
斎藤ハンカチ店の店主、
斎藤佑樹さんプロデュースのハンカチ。
うっすらと文字が見えてくるハンカチは
贈りものとしてはもちろん、
じぶんに向けたメッセージとしてもどうぞ。