かんじがないと、
ぶんしょうはとてもよみにくくなります。
でも、あまりに身近すぎて、
漢字の便利さや、漢字がどのように生まれたのか、
どうしてこの形なのか、など
考える機会は少なくありませんか?
たとえば「馬」の字。
ウマの姿からできたことは想像できても、
たてがみを示す横線は、
なぜ2本ではなく3本なのかご存知ですか?
漢字が生まれた中国では、古来、
「三」は数としての「3」だけでなく、
「数えきれないほどたくさん」という
意味でも使われていたのだそうです。
なので、馬のたてがみは「3本」ではなくて、
数えきれないほどたくさん。
このように漢字の成り立ちを知ると、
ふだん使っている漢字が
少し違って見えてくるかもしれません。
古代中国の甲骨文や金文を研究し、
独創的な文字学を切り開いた故・白川静さん。
その教えを広く伝える活動をおこなう
立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所の
後藤文男さんと久保裕之さんに、
漢字のおもしろさの「さわり」を
聞かせていただきました。
10月16日(土)に行うおふたりの授業は、
いずれほぼ日の學校アプリでご覧いただけます。
白川静(しらかわしずか)
中国最古の文字資料である殷・周の甲骨文字や金文(きんぶん)の研究を行い、中国と日本の古代文化について独創的な研究をまとめた。数万件の甲骨資料を写し書きするなど、身体を通した研究で、漢字の成り立ちとその背景に迫った。3部作の字書『字統』『字訓』『字通』をほぼ独力で編纂。内外から髙い評価を得て、2004年文化勲章を受章した。
後藤文男(ごとうふみお)
岐阜県生まれ。18歳で京都へ。妙心寺・真如堂塔頭等で下宿。京都教育大学国文科卒業。24歳で立命館中学校高等学校に教師として就職。以来、45年間「立命館人」として生きる。その間、中学校高等学校校長、小学校校長、教育研究研修センター長、白川文字文化研究所研究員などを経て、現在、大学院教職研究科准教授。57歳で「白川文字学」を再発見、以後「白川文字学をベースとした漢字教育」の普及に努めている。
久保裕之(くぼひろゆき)
香川県出身。1987年立命館大学法学部卒業後、オリックス株式会社、公益財団法人日本漢字能力検定協会等を経て、40歳の時に学校法人立命館入職。現在は立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所文化事業担当職員。50歳の時に放送大学大学院文化科学研究科文化科学専攻修了。修士(学術)。漢字教育士、全国通訳案内士(中国語)。日本漢字学会評議員。文化勲章受章者である故・白川静博士の研究を基礎とした漢字知識の普及活動を行う。体験型漢字講座「漢字探検隊」を全国で200回以上開催。
ものごころついた時から漢字が好きで、
漢字教育士として漢字のおもしろさを伝える活動を
展開中の久保裕之さんにつづき、
「57歳で白川静を再発見した」と語る
元立命館小学校校長で現同大学院准教授の
後藤文男さんのお話をうかがいます。
●白川漢字のことを「知ろうとは思わなかった」
- ――
- いきなりですが、
後藤さんには「いま白川静」の異名があるとか。
- 後藤
- 年を経るごとに「似てきた」と言われます(笑)。
- ――
- 国文科ご出身の後藤さんは、
白川静さんのお弟子さんですか?
- 後藤
- いや、そういうわけではないんです。
1978年に立命館中学校・高等学校の国語教員になって、
以来、45年間、立命館にいますが、
白川さんのことは「名前は知っている」程度で
詳しくは知らなかったし、知ろうともしなかった。
白川先生の本が大きな話題になった時、
『漢字』(岩波新書)を読みはじめましたが、
難しくてよくわかりませんでした。
- ――
- けっこう難しいですよね。
- 後藤
- そうなんですよ。ですが、
立命館が中等教育の先生方の力量をつけるために
教育研究研修センターを立ち上げて、
私がセンター長になってから、
そこで改めて白川先生に出会ったんです。
- ――
- 再発見された、ということですか。
- 後藤
- 研究研修センターで、
立命館で学ぶ子どもたちが立命館の歴史――
誰がつくったか、どういう人がいたかなど――を
学べるような本を作ろうと考えたんです。
そのプロセスで、この学校の歴史から
白川先生を抜くわけにはいかないことに気付いたんです。
- ――
- へえぇ、そこで、ですか。
- 後藤
- 78年に立命館に国語教師として入ったとき、
当然、子どもたちに漢字を教えていました。
白川先生は健在で、もちろん名前は知っていました。
さっき言ったように、先生の本は買って読み始めたけど、
とても難しくて、授業に間に合わないんですよ。
それで先生のことはひとまず横に置いて、
本格的に勉強しようとは思わなかったんです。 - だけれど、センター長になって、
立命館中学の先生だった時代の白川先生のことを
調べはじめると、先生の研究の意義がわかってきて、
先生が作り上げた白川文字学という財産を
子どもたちに伝える仕事を、ぼくらは
「やらなあかんのちゃうか」と思ったんです。
立命館の中で誰もそこに手をつけていなかった。
そして、その仕事をやりたいと思ったときに、
久保さんと出会ったんです。
- ――
- コンビ誕生ですね。何年頃のことですか?
- 後藤
- 2010年です。調べはじめてわかったことは、
白川文字学という財産は、いわばエベレストくらい高い。
ちょっとかじったくらいでは、とても追いつかない。
もっと本格的に学ばせてもらいたいと思いました。
そこで、立命館中高を60歳で退職したとき、
残りの人生、白川先生の勉強をして、
普及のためにがんばろうと思って、
白川東洋文字文化研究所の研究員のような形で
4年間、研究所にこもって勉強しました。
5年めに入ろうとするとき、
立命館に教職大学院を作ることになって、
そちらに移りました。ですから、
白川文字学を本格的に勉強しはじめたのは9年前です。
- ――
- そうだったんですか!
●頓挫した研究会を復活
- 後藤
- 実は、こんなエピソードもあるんです。
立命館に「土曜講座」というのがあって、
白川先生が亡くなった後のあるとき、
「白川先生の漢字教育の理想」みたいなタイトルで
四天王寺大学の矢羽野隆男先生が講演されて、
最後の方に「立命館の中学高校では、
白川先生が考えられた文字学をベースにした
漢字教育を取り入れておられます」と言わはった。
僕は立命館の中高の国語の教員だったのに、
「そんな漢字教育してないぞ」と思ったんですね。
それで、講演が終わったあとに先生のところにいって、
「僕らの学校ではそんな漢字教育をやっていません。
どうしてそうおっしゃったんですか?」と聞くと、
「え? やってないんですか?」とびっくりされたんです。
- ――
- そんなことが!
- 後藤
- なんでそんなことになったかというと、
白川先生が亡くなる前、
立命館付属の初等中等学校の先生たちが
白川文字学に基づいた子どもの漢字教育の
研究会を立ち上げた。ところが、
2年たったところで白川先生が亡くなって
研究会は頓挫してしまっていたのです。
矢羽野先生は研究会の立ち上げを
ご存知だったというわけです。 - それを聞いて初めて、白川先生が晩年、
子どもたちに教えるためのテキスト(素材)を
作っておられたことを知りました。
「どんな素材なのかを知りたいです」と言うと、
「それは白川研の人が保管しているはずだから、
そこに行けばわかりますよ」と言われました。
誰に聞けばいいかなと思って久保さんに電話すると、
「ありますよ」と(笑)。
- ――
- 同じキャンパスなのに共有されていなかった。
- 後藤
- 当時はそうでした。ともあれそれで、
白川先生が子どもに教えるための漢字の素材集を
がんばって作っておられたことがわかったんです。
それを見て、「これをやろう」と思ったのですが、
そう簡単には進みませんでした。
- ――
- 何が問題だったんですか?
- 後藤
- 常用漢字の枠を超えて漢字が並んでいたんです。
学校教育で教える漢字は常用漢字の枠内ですから、
そのままでは使えませんでした。
だけど、素材集からヒントをもらいました。
つまり、同じパーツを持つ漢字を6つくらい並べる。
これは、言ってみれば「一系の漢字」。
このベースを学べば、いろいろな漢字が
つながっているのを教えることができる。
それを常用漢字の枠のなかで考えてみたらどうだろうか、
ということで、頓挫した研究会をまた独自に立ち上げて、
「成り立ちとつながりで学ぶ漢字シート」という冊子を
作りはじめました。
- ――
- それは、白川静さんの出身地の
福井県がやっているものとは違うものですか?
- 後藤
- 同じです。福井県の方が先にやっていたんです。
白川先生のお膝元なのに、僕たちがやらないのはおかしい、
ということで、やりはじめました。
白川さんの教えを子どもたちが知らないのはもったいない。
それまでは、立命館の中で久保さんがひとりで
奮闘してはったんです。
白川研には研究部門はあったけれど、
普及させる部門が弱かった。
そこに僕がたまたま入って、付属校にも顔が利いたので、
先生方を集めて動きだすことができました。
- ――
- そんな経緯があったのですね。
それにしても、お膝元すぎて白川文字学の価値が
わからなかったということでしょうか。
- 後藤
- 国語教師だった僕にとっても、
白川さんははるか遠くにいる人で、
先生の漢字学は難しすぎると以前は思っていました。
また、「神への言及が多すぎる」とか「偏ってる」とか、
いろんな人がいろんなことを言っていましたから、
国語教師の中にも拒否反応を持つ人がいたのも事実です。 - 立命館の中でさえ、
白川さんはすごいと言われるけど「何がすごいのか」が、
いまひとつみんなに伝わっていなかった。
理解されていなかった。
あの人は「狂」の人なんです。
それまでの常識をひっくり返して、
漢字の世界に「革命」をもたらす、
そんな情熱に駆り立てられた人でした。
●1900年つづいた「バイブル」に異議
- ――
- 白川さんの漢字学はすぐに世間に
受け入れられたわけではなかったのですね。
- 後藤
- 突飛だったと思います。
中国の許慎(きょしん)という人が紀元100年ごろに
漢字の成り立ちと意味を書いた、『説文解字』という
1900年間バイブルとされてきたものに対して、
白川さんは異議を申し立てたわけですから。
反発も大きかったと思います。
30代後半で研究を発表した時は受け入れられず、
60歳で岩波新書の『漢字』を書いて初めて、
「ちょっと待てよ。
日本にとんでもない学者がいるんじゃないか」
という評価が広がっていったわけですから。
- ――
- あの難しい『漢字』ですね。
- 後藤
- 『漢字』は、2回読めばわかりますよ。
2回読む粘り強さがあるとわかります。
とっつきにくいけど、わかれば、
白川先生の文章はすごくうまいし光っています。
●「イラク戦争は『十八史略』と同じ」
- 後藤
- 白川先生と一度お話ししたことはあるんです。
とんでもない先生やと思いました。
- ――
- どういうことで?
- 後藤
- お話しする機会があったときに、
子どもたちに何を勉強させるのがいいですか?
と聞くと、間髪入れず「そりゃ、歴史や」と。
「どんな歴史を?」
「そりゃあなぁ、『十八史略』を読ませなさい」。
14世紀の中国の歴史書ですよ!
この会話をしたのは、
2003年にアメリカがイラクに侵攻したときでした。
「いま、アメリカがイラクでやってることは、
ぜんぶ『十八史略』に書いてある。
服装は違うけど、考えてることはみんないっしょ。
『十八史略』の時代から変わらへん。
歴史を学べへん奴は未来は語れへん」と。
スパッと言わはったんです。
人柄はやさしいけど、おっしゃる言葉は鋭くて
怖いくらいでしたね。
そんな白川先生のお人柄にも触れながら、
漢字の成り立ちについて授業では
詳しくお話したいと思います。
(終わり)
2021-10-06-WED
-
― ほぼ日の學校収録詳細 ―
漢字のなりたちを知ろう
〜白川静さんの教えに学ぶ〜■収録日:
2021年10月16日(土)■時間:
10:30開場
11:00~12:30 1時間目
講義「人の身体の漢字」後藤文男さん
12:30~13:40 昼休み
(神保町でご自由に昼食をお楽しみください)
13:40~15:00 2時間目
ワークショップ「古代文字の消しゴムはんこ」他
久保裕之さん
※授業開始後、30分以上たってからの
ご入場はできません。あらかじめご了承ください。■料金:
・入場料:無料
・ワークショップ材料費:1500円
(当日会場にて現金でお支払いください。
お釣りのないようご用意いただければ幸いです)■募集人数:
・30名↓参加募集は満席となりました↓
[その他のお知らせ]
■当日の入場について
・当日10:30に開場し、受付を開始いたします。
(それ以前の時間にはご入場いただけません。)・発熱や味覚障害などの症状のある方は
来場をお控えください。
・ご来場時は、必ずマスクをご着用ください。
・受付時に、
非接触型体温計にて
検温させていただきます。
(37.5度以上の方はご入場をご遠慮いただきます。)
・ご入場の際、
除菌用アルコールをご利用ください。■場内撮影について
・当日は映像、写真や音声が収録され、
編集したものが
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・映り込みがNGな方は
チケット購入をご遠慮ください。
・開演後の許可されていない撮影
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・school-event@1101.com宛に
「白川文字学」という件名でお送りください。
なるべく早くお返事いたしますが、
お待たせすることもございますこと、
ご了承ください。