出版界にとってひとつの事件といって
過言ではないでしょう。
1400ページ近い超大作が9月24日に発売されました。
函入り、1.7kg、究極の“鈍器本”です。
惜しまれながらも2019年に亡くなった橋本治さんの
評論から小説、エッセイ、イラスト、そして
ギャグ好きなところまで、あらゆる要素が詰め込まれた
まるで橋本さんの頭の中をのぞくような小説です。
別冊としてつけられた15枚の手描き地図の
緻密な書き込みと美しさ、
30ページ以上もつづく茶目っ気たっぷりの目次、
さらには巻末100ページにおよぶ
「人名地名その他ウソ八百辞典」。
そこらじゅうから橋本治さんの笑い声が
聞こえてくるようです。
この本に特典をつけた「ほぼ日の學校セット」は
当初の予定数をはるかに超えて
完売しましたが、
本そのものは、この先も書店でお買い求めいただけます。
どんな本か興味をもっていらっしゃる方、
まさに読もうとしていらっしゃる方、
いつか読もうと思っていらっしゃる方、
読んでいる真っ最中の方、
どなたにもきっと参考になる
スペシャルトークをお届けします。
ご登壇いただいたのは、
橋本治さんへのロングインタビューを基にした
『橋本治の小説作法(仮)』を執筆中の
フリーライター・編集者の矢内裕子さん。
『人工島戦記』の発行人で、雑誌連載時の
担当編集者だった遅塚(ちづか)久美子さん。
そして、この本の担当者である
ホーム社文芸図書編集部の髙木梓さん。
この本が生まれるまでの物語をお楽しみください。

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「これを読者に届けないのはあり得ない」

雑誌連載から28年――。
橋本治さんが気にかけつづけた『人工島戦記』が
立派な本になって世に出るまでのお話の
つづきをうかがいます。

●「橋本治さんは恩人」

──
未完の作品を刊行するのは勇気のいることだと思います。
しかもこの厚さで、著者が亡くなっている。
ハードルが高かったのではないですか?
遅塚
最初に申し上げたように、
橋本治さんという人を私は学生時代から知っていました。
「今度出版社に入るんですよ」って報告したら、
「ああ、大変だね。いひひひ」みたいな、
そういうところから知っている人でした。
その後も、私はまったくファッションに興味ないのに
女性誌に配属されて、「どうしたらいいんでしょう」
みたいな人生相談をしていたんですね。
「こんな上司がいて……」なんて愚痴を言うと、
すぐに「ああ、その人はね、きっとこういう人。だから、
そういうことをするのよ」と答えが返ってくるんです。
「意地悪に対して無敵の武器って知ってる? 
無邪気ってことだよ(笑)」なんていうふうに。
あとは、芸能ゴシップの話とか、
バカ話ばかりしてましたけど。
ものの見方、考え方をたくさん教えていただいた。
私にとっては恩人なんです。
集英社の文芸関係の部署にずっといたわけですが、
『人工島戦記』が中断したままになっている、
ということはずっと気になっていました。
私はいま、ホーム社(集英社の関連会社)という、
ある程度小回りの利く、
意見の通しやすい会社に在籍していますが、
これは集英社にいるときの仕事で、
遅塚と髙木がいただいてきた原稿ですから、
出すなら集英社だろうと思っていたんです。
そしたら、橋本さんが病気で急逝された。
このままお預かりした原稿を放っておいたら、
あっちの世界で橋本さんに再会したときに、
「あんた、何やってんの?」って言われると思ったんです。
そんな申し訳ないことできない。
本当にこれは「天才・橋本治」の
頭の中を覗くような作品なんです。
今まで橋本さんが書かれた小説、評論、
そうしたもののすべての要素がここには入っている。
これを読者のみなさんに届けないなんて、
あり得ないと思ったんです。
「だったらホーム社で出そう」と思って、
集英社に相談したら、
「遅塚がこの作品に思い入れがあるのはわかってるから。
いいよ」と言ってくれたんです。
ありがたいことに、最後まで髙木君が手伝ってくれて
こういう形で出すことができました。
だから今回、出版することに関しては、
そんなに苦労したという感じはありませんでした。
業界内に橋本さんのファンは多いし、
集英社にももちろん「橋本さんすごいね」って
言ってくれる人もたくさんいたので、
たとえたくさん売れなくても、
出すことに価値があると思いました。
やっぱりこれを出さないのは
文化的損失だろうという意味では、
集英社とホーム社の意見が一致していましたね。

●そもそも原稿はどこにどんな形であるのか?

──
単行本にする上で、難しいことはありましたか?
髙木
2018年の夏に現場復帰しまして、
その年の10月にこの本について
打ち合わせをすることになっていました。
僕も5年ぶりにお会い出来るのを
楽しみにしていたのですが、
橋本さんの体調が改善されないまま、
打ち合わせが何度か延期されて、
ある日突然に亡くなられてしまいました。
ですから、この本を作ることになった時、
まずは最新の原稿を手に入れるところから、
始めなければなりませんでした。
これについては、ご遺族の方に御許可をいただいて、
神奈川近代文学館に預けられていた
『人工島戦記』関連の資料を全て見せていただき、
今回の本に必要なゲラや原稿を
撮影していただくことになりました。
館外には持ち出せませんので。
たしか3ヶ月ほどで、急いで撮影していただきまして、
その写真をプリントアウトしたものを元に、
入稿するための原稿を整理していきました。
例えば同じ箇所でも、
橋本さんが最初に書かれた原稿用紙、
雑誌に掲載されたゲラ、
単行本用に組んだゲラに赤字が入っているもの、
という風に3種類ある場合もありましたので、
それらのうち、どれが入稿に使う
最新のものであるかを探し出して、
入稿する原稿を順番に並べていきました。
通常の分量であればいいのですが、
この分量ですから、数ヶ月かかってしまいまして、
ようやく入稿出来たのは、
翌年の2020年の春頃だったと思います。

矢内
橋本さんご自身が、一度『小説すばる』に載ったものに、
さらに赤字を入れてたんですか?
髙木
そうですね。それとは別に、
遅塚が単行本に原稿を受け取っていた段階で、
ゲラにしたものがありまして、
それにまた赤字が入ってるんですよね。
矢内
じゃあ矛盾する赤字もあったんですか? 
どっちを採るか迷うとか?
髙木
橋本さんご自身は
よく整理された中で書かれていたようで、
そういう混乱は一切なく、中を読めば、
迷うようなことはありませんでした。
翌年の2020年は、原稿との付け合わせや校正が中心で、
今年に入ってからは、装丁や造本上の問題が色々あって、
特に装丁家の川名潤さんには色々ご苦労をおかけしました。
函の表面にある衛星写真は、
橋本さんが描かれた地図を元に、川名さんが
実際の衛星写真に手を入れて作ったものです。
あとこの分量の作品を1冊の本の形にする上での、
造本上の問題もありましたね。
例えばちょうどいい本文用紙、
裏写りせず、あまり厚くならない用紙を
見つけなければなりませんでした。
厚過ぎると1冊にまとめることが出来ないからです。
本文用紙については、
資材や制作の方々が何とか見つけ出してくれました。
──
やっぱり上下巻とかじゃなくて、
1冊でいこうって決められたのですね。
髙木
この小説については、この分量も含めての作品ですから、
1冊の大きな本として見せる方がいいと思ったのです。
──
ぜったい仰向けで読めないですね。
遅塚
いわゆる「鈍器本」(笑)。

●原稿はダンボール箱に入れて入稿

──
造本のことでいうと、矢内さんが以前
「あの大量のゲラがこんなにコンパクトになるなんて、
本ってすごい」とおっしゃっていました。
そこを話して頂けますか。
矢内
『人工島戦記』に関するエッセイを書くために、
髙木さんからゲラを送って頂いたときは、
気軽に読めないというか、まとめては持ち歩けませんでした。
でも、これが二段組で本になると、
誰でも手軽に持ち運べるような大きさになるんだから、
やっぱり本は便利なものだなと思いました(笑)。
この本文用紙は、辞書に使うような紙なんですか。
髙木
辞書よりも少し厚いですね。
矢内
ああ、そうですよね。
私、ちょっと紙マニアなもので
うかがっちゃいますが(笑)、
本文用紙は何ですか?
髙木
「 OKライトクリームツヤ」というものです。
矢内
斤量(厚さの単位)は?
髙木
32kgですね。
──
マニアックな話になってきました(笑)。

髙木
ゲラで読まれた方は皆さんその分量に驚かれたのですが、
入稿段階ではそれよりもずっと多くて、
原稿を積み上げると
高さは60センチを超えていました。
ほとんどは直筆の原稿用紙のコピーでしたので。
置き場にも困ったくらいで、
カバンに詰めて持ち運ぶことなど到底出来ませんし、
ようやくゲラになった時は、
とてもコンパクトになったと思いましたよ(笑)。
──
400字詰めの原稿用紙4000枚ということは、
紙が4000枚あるってことですもんね。
入稿のときに印刷会社の人が取りに来るのも、
箱詰めで運んだとか?
髙木
そうですね。段ボールで(笑)。
──
段ボールで入稿……。
矢内
データで送ればいいというものではないんですね。
髙木
データがなかったので。

●加藤製本の技術

矢内
これだけのボリュームがあると、
装丁家の方にお訊きしたいことも出てきますね。
本を開いた感じとか、開いても壊れないとか、
いろいろな課題があったと思うので。
これだけのページをきちんと保持して、
読み返すことも考えると、何百回もめくるわけですから。

遅塚
たぶん加藤製本?
髙木
加藤製本です。
遅塚
加藤製本さんは、厚い本の製本の開発が早かったんです。
ちゃんと広げることができるんだけど、
バリッと割れないんですよね。
たしか浅田次郎さんの『鉄道員』を作るときに
加藤製本に見学に行ったら、
「今度こんな技術を開発したんです」と
見せていただいた記憶があります。

(つづきます)

2021-10-20-WED

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