4月から放送がスタートした
NHK連続テレビ小説「おかえりモネ」の舞台は、気仙沼!
FacebookやTwitterを開くと、
気仙沼の人々がああだった、こうだったと、
ドラマへのあつ〜い思いを書き込んでいます。
その視点のマニアックさと熱心さには関心するばかりです。
もっと、オレの「モネ」論を聞かせてほしいと、
漁業・観光・Uターンなどドラマと関係する様々な立場から、
気仙沼のモネ好き5人に集まってもらいました。

>『おかえりモネ』のあらすじ

おかえりモネ

宮城県・気仙沼の島で生まれ育った永浦百音(清原果耶)。
実家は牡蠣の養殖業を営み、祖父・父・母・妹と5人で暮らしていました。
高校卒業と同時に気仙沼を離れ、登米で林業の仕事をすることに。
将来を模索する中で、やがて気象の世界に心惹かれていきます。
「天気予報は未来を予測できる世界」
気象予報士の資格を取るためにもう勉強し、
やがて気象予報士としてさまざまな人の人生に関わっていきます。

くわしくはこちら。

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第2回 子どもだけど、子どもじゃいられなかった。

小松
気仙沼のお祖母ちゃんお祖父ちゃんには、
みーちゃん(蒔田彩珠・モネの妹の未知)が人気だね。
──
みーちゃんはモネの2歳年下の妹。
勉強が得意なしっかり者で、
父と姉に代わって家業の牡蠣の養殖を手伝おうと、
水産高校に通って種牡蠣の研究をしていました。
現在は、水産試験場に就職しています。
千葉
将来の夢もさだまっていないモネは、
みーちゃんが種牡蠣研究に没頭している姿に
圧倒されてましたよね。
サユミ
この町のために、漁業のために、
私が頑張ろうっていう感じが胸打たれますよね。
同じ仕事をしている人たちからしたら、
自慢の孫だと思う。
小松
ほんとにね、自慢の孫だよ。
サユミ
すごい、感情がこもってる(笑)。
千葉
私が勝手に思ったのは、
震災を中学生や高校生で経験した人たちと、
みーちゃんやモネの姿は重なるところが多いのかなって思います。
当時の中学生たちも、みーちゃんと同じように
「大人は頑張っているのに、私たちは何かできないのか」って
いつも言ってたじゃないですか。
小松
そうでしたね。
千葉
みーちゃんが、家業をどうにか支えたくて、
理想だと言われてもお祖父ちゃんと喧嘩しても
「何かの役に立ちたい」と思う姿は、
震災当時、中学生だった子も同じだったから。
鈴木
私はみーちゃんと同い年なんです。
全員
おお。
千葉
震災当時、中学生だったんだね。
鈴木
はい、中学一年生でした。
みーちゃんと全く同い年で、
モネちゃんたちと同い年の先輩の卒業式を
送ることができなかった側です。
なんか、今思えば、
震災前の私は「何かの役に立ちたい」
みたいな責任感なんて
まったくなかったんですよ。
「この街にはイオンしかない」って思ってたし(笑)。
千葉
わかる、わかるよ。
鈴木
だけど、震災を経て、
街づくりをする大人たちがたくさん現れたじゃないですか。
みーちゃんが漁師の祖父ちゃんに影響を受けたように、
私もその時の大人に感化されたんですよね。
大人たちの努力があったからこそ復興したし、
地元への熱い思いに感動することも多くて、
「街づくりってかっこいいんだ」って思いました。
サユミ
そっか、震災がきっかけで。
鈴木
だから、地元のアイドルも続けているし、
こうやって街づくりに関わっているのかなって思います。
サユミ
みーちゃんもりょーちん(永瀬廉・モネの幼なじみの漁師)も、
子どもなのに子どもじゃいられない感じがするんですよね。
すごく、立派というか。
千葉
ああ、わかる。
子どもっぽくないよね。
小松
ほんとにそう。
ちょっと上の世代からしたら、
それが震災を経験した子どもたちの姿だなって
身に染みてわかるから、少し切ない気持ちになりますよ。
武山
あの時はね、しかたなかったから。
小松
まだ、子どもっぽいことを言ってていい年頃の子が、
背伸びしたり、役に立とうとしてくれたりしたじゃないですか。
僕たちもどこか申し訳ない気持ちがありながら、
彼らの力を借りれた方が助かることも多かったので、
結局お世話になってしまった。
当時の中高生たちをみていると、
キャパオーバーなんだろうなって思うくらい、
頑張ろうとしてくれてたじゃないですか。
全員
(うなずく)
小松
もっと自由に、自分の好きな夢を持ってほしかったけど、
そうさせてあげられなかった。
申し訳なさや責任感が、いまだにあるんですよね。
だから、みーちゃんを見ていると、
あの頃を思い出してしまうし、
あのしっかりした感じが、逆に切ないんです。

千葉
うんうん。
鈴木
当時中学生だった私たちは
「何もできなかった」っていう気持ちが、
すごく大きいんですよね。
自衛隊とかボランティアの人たちに
いっぱい尽くしてもらったっていう記憶があって……。
だけど、何もできなかった歯痒さがあって。
しかも、私は家も家族も無事だったから、
何かしなきゃいけないっていう気持ちが強かったんです。
だから、その……
モネちゃんの「何もできなかった」というセリフが
あんまりにも共感できて、
涙腺が崩壊しました。
サユミ
モネのお父さんも、
「自分は何ができるんだ」って言ってたし、
どの世代も同じことを思っていたよね。
千葉
私なんて、震災の時は気仙沼にいなかったんですよ。
だから、もっと無力感がありました。
「何もできなかった」なんてレベルじゃない。
「何もしていないんだ」っていう
罪悪感みたいなものがありました。
サユミ
悲しむ資格があるのか、
みたいに苦しんでしまいますよね。
私も当時気仙沼に居なかったので、気持ちがわかります。
千葉
3月11日を気仙沼で経験していない人が
何かを語っちゃいけないんじゃないかって思いすぎて、
ずっと記憶を封じ込めていたところがあります。
だから、Uターンで帰ってきたのも割と遅くて。
小松
そんなことないんだけど、
いろいろ考えてしまうよね。
鈴木
私、ドラマをリアルタイムで追うのって、
人生で初めてなんです。
録画したものをまとめてみたことはあっても、
ドラマって時間と体力を使うじゃないですか。
気仙沼が舞台ってこともありますし、
たぶん、すごく実感がこもっているんですよね。
こんなに夢中になって見るなんて初めてです。
そして、こんなに毎週目を腫らすことになるとは、
思ってもみませんでした。
全員
わかる!
千葉
朝ドラで泣かされるのは困るよね。
サユミ
特に今週(収録は第8週が放送)は、
泣けるシーンが多かったですよね。
鈴木
今朝も大泣きしてしまって、
一時間くらい「モネ休」をもらいたいと思いました。
全員
(うなずく)

(つづきます。)

2021-08-06-FRI

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