こんにちは、ほぼ日の奥野です。
以前、インタビューさせていただいた人で、
その後ぜんぜん会っていない人に、
こんな時期だけど、
むしろZOOM等なら会えると思いました。
そこで「今、考えていること」みたいな
ゆるいテーマをいちおう決めて、
どこへ行ってもいいようなおしゃべりを
毎日、誰かと、しています。
そのうち「はじめまして」の人も
混じってきたらいいなーとも思ってます。
5月いっぱいくらいまで、続けてみますね。

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第17回 病気とコロナで絶望していました。でも、やっぱり歌が力をくれた。[神野美伽さん(演歌歌手)]

──
こんにちは、お久しぶりです。
神野
はーい、お久しぶりです。

2020年5月7日 東京都世田谷区←ZOOM→東京都のどこか 2020年5月7日 東京都世田谷区←ZOOM→東京都のどこか

──
ありがとうございます、
「オー・シャンゼリゼ」を歌った動画を、
お送りいただきまして。
神野
見てくださって、うれしいです。
──
とっても元気をもらいました。
歌の力はすごいなあと、あらためて。
神野
お返事みたいにして、
奥野敦士さんのインタビュー記事を、
送ってくださいましたよね。
なんというタイミングで、
ああいう記事を、
教えてくださったんだろうと思って。

奥野敦士さんインタビュー「終わりのない歌を歌ってるぜ。」(ほぼ日刊イトイ新聞/2013年) 奥野敦士さんインタビュー「終わりのない歌を歌ってるぜ。」(ほぼ日刊イトイ新聞/2013年)

──
首にコルセットをつけた神野さんが
歌を歌っている動画を拝見して、
すぐに、
不慮の事故で首から下の自由を失っても、
ずっと歌い続けている奥野さんの記事を、
思い出したんです。
おふたりの歌う姿からは、同じように、
歌というものが、
聴く人や歌う人に与える力の大きさを、
感じました。
神野
歌ってすごいんです、本当に。
──
いま、世界はコロナのことで大変ですが、
神野さんは、ここ数ヶ月、
ずっと、ご病気で治療されたんですよね。
神野
細菌が頚椎に入ってしまったんです。
それが、骨を腐らせてしまって。
──
神野さんが入院されたということは、
存じ上げていましたが、
そんなに、大変なご病気だったとは。
神野
手術を受けたのが3月5日と9日。
喉の前と首の後ろを同時に開いて、
筋肉も切って‥‥。
これから3ヶ月くらい、
コルセットをはめたまま固定です。
──
そんなに‥‥。
神野
一昨年も両足を同時に手術したんです。
1年間リハビリを続けて、
毎日毎日、
トレーニングして立てるようになって、
去年の暮れ、ギリギリで、
尊敬する
笠置シヅ子さんの舞台に、間に合った。
──
素晴らしかったです。歌も、お話も。
神野
去年という年を乗り越えて、
わたし自身、また次の仕事のことを、
夢中になって考えていたのに、
年が明けたら
すぐに、こんなことになっちゃった。
──
病気と、ウィルスと。
神野
オペのあとHCU(高度治療室)に
3日間、入ったんです。
そのとき、はじめて、
生と死ということを意識しましたし、
コロナの状況も日に日に悪化して、
病院の先生たちも、
とっても大変な状況だったんですね。
──
ええ、ええ。
神野
でも、そんな大変なことだったのに、
「歌えなくなる」なんて、
これっぽっちも思わなかったんです。
喉の前と首の後ろとを同時に開いて、
筋肉も切って、
歌を歌う人間にしてみたら、
リスクの大きなオペを受けたくせに。
──
それは、どうしてでしょうか。
神野
お医者さまからも、リスクがあると
何度も念押しされたけど、
わたしには、歌えなくなることが、
まったく想像もつかなかったんです。
歌いたい、生きたい。ただそれだけ。
わたしにとって、
生きることは歌うこと、だったから。
──
歌えると信じて疑わなかった。
神野
そうなんです。何の根拠もないのに。
でも、やっと退院できたと思ったら、
ウィルスの感染拡大で、
歌を歌う場がなくなってしまったの。
──
ああ‥‥。
神野
そのことに、絶望してしまいました。
──
病気に負けなかった、神野さんが。
神野
はい。
──
でも、そういう沈んだ気持ちのなか、
なぜ、ああやって
『オー・シャンゼリゼ』を
歌ってみようって、思ったんですか。
神野
アコーディオンの桑山哲也さんが、
オンラインで、
ぼくの演奏で歌ってみないかって
誘ってくださったんです。
でも、こんなコルセットつけてるし、
最初は、迷ったんですけど。
──
YouTubeで公開するわけでもあり。
神野
でも、桑ちゃんのアコーディオンを
聴いたら、すごく歌いたくなった。
それで
「こんな格好だけど、いいかなあ?」
って聞いたら、
「やりましょう」って言ってくれた。
──
わあ。
神野
もう何日ぶりだろう‥‥
とても久しぶりに、お化粧しました。
そして、
黄色い華やかな洋服を身につけたら、
歌手の感覚を思い出したんです。
──
おお!
神野
このコロナの生活の中で、
すべてが沈んでしまっていたときに、
お化粧をすることで、
明るい色のお洋服に着替えることで、
前向きな気持ちになれたんです。
──
そして「歌うこと」によっても。
神野
そう。だから、あのときのわたし、
すっごくうれしそうな顔で歌ってる。
──
はい、そうですね。本当に。
うれしそうに、楽しそうに。
ゲストのワンちゃんと、いっしょに。
神野
自分の家で歌を歌うなんて、
それまで、ほとんどなかったんです。
でも、手術をして退院してきたあと、
歌いたくて、歌いたくて。
エアロバイクをこぎながら、
毎日毎日、歌を歌っていたんですね。
──
ええ、ええ。
神野
でも、コロナ生活が長引くにつれて、
いつの間にか、
また、歌を歌わなくなっていました。
音楽さえ、流さなくなっていた。
そうやってふさぎ込んでいた時期に、
桑ちゃんの
アコーディオンの演奏を聞いたらね。
──
はい。
神野
歌ってみようかなあ、自分のために。
そんな気持ちになったんです。
──
自分のために。
神野
そう。誰かのためにじゃないんです。
あれは、自分のために歌ったんです。
──
歌ってみて、どうでしたか。
神野
そのあと、ずーっと、歌ってた。
一日中「オー、シャンゼリゼ」って。
──
一日中。
神野
歌が自分に戻ってきた‥‥という感覚。
この状態で3ヶ月間も固定したあとに、
どれだけの歌を歌えるのか、
ぜんぜんわからないし、
自信ないし、
これからが大変だとも思ってるけど、
でも、あのときの
「あ、歌えた」っていう‥‥よろこび。
──
はい。
神野
何かが「発芽」したような感じだった。
この感覚を、
ずーっと覚えておこうって思いました。
──
すごいです、やっぱり。歌って。
聞く人だけじゃなく、
歌う人まで元気にしちゃうんですもの。
神野
やっぱり、歌が力をくれたんです。
それに、教えていただいた
奥野敦士さんのインタビューを読んで、
そこでも、救われたんです。
──
あの記事のなかでも、
頚椎を損傷して
首から下の自由をなくした奥野さんが、
歌の力について話しています。
神野
彼も、ひとつ頚椎の場所がちがったら
声を失っていたって、
インタビュー中におっしゃってますが、
それ、わたしも同じなんです。
──
えっ、そうだったんですか。
神野
そう。だめになった頚椎のひとつ上に、
声を司る神経があったから。
──
わああ‥‥そこを残してくれて、
「神さまありがとう!」って感じです。
奥野さんにも、神野さんにも。
神野
わたしは身体も声も両方、無事だった。
何をクヨクヨしてるんだって。
ちょっと仕事がストップしてるだけで、
このまま諦めていいのかって。
──
ええ、ええ。
神野
不自由な身体で、
しぼりだすように声を出して、
それでも、歌おうとしている人がいる。
わたしは、
いい手術を受けられて助けてもらえて、
身体も声も残してもらえたのに、
ヘコんでる場合じゃないよって思った。
──
神野さんらしいです、その感じ。
神野
コロナ後、いろいろ変わると思います。
わたしはずっと歌い続けたいと思って
プライドを持って、
こだわりを持って、
これまで、歌を歌ってきたつもりです。
──
はい。
神野
でも、今回の経験を通じて、
手放していいものもあるかもしれない、
そう思うようになったんです。
──
それは‥‥。
神野
歌を歌う場所ひとつにしても、
コロナのあとは、変わってくると思う。
2000人規模のホールで、
当然のようにやっていたコンサートが
コンサートだと思っていたら、
今後は、そうはならないかもしれない。
──
なるほど。
神野
でも、そのときに、
わたしは、
2000人のコンサートがしたいのか、
歌を歌う歌手であり続けたいのか。
──
ああ‥‥。
神野
そう考えたら、答えはもう決まってる。
──
歌を歌う歌手でありたい。
神野
そう。

(つづきます)

2020-05-20-WED

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