年明けの能登半島震災から
半年ほど経ったころ。
中浦政克さん(「能登のしなやかな人」
連載の二人目でご紹介)に
輪島ではどんな動きがでているのか、
お伺いしました。
すると、
「おもしろいことが起こり始めていて、
好きが高じてサンドイッチ屋をはじめた
漁師の夫婦がいるよ」
とのこと。
ご本人からお話をうかがってみたいと、
9月の中ごろ、
沖崎雅美さんに会いに行きました。
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撮影|ほぼ日
小さなテーブルの上に置かれた保冷ケース。
その中には具材がたっぷり詰まった
たまごサンド、ハムチーズサンド、
焼きそばサンドにカツサンドが並びます。
輪島にある錦川通りで、
お店を広げるのは沖崎雅美さんです。撮影|幡野広志雅美さんの夫、勝敏さんは漁師。
年初の能登を襲った震災が、
いつもの時間を大きく変えました。
夫婦の生業である「漁」を奪ったのです。
「夫は底引網をしていた漁師です。
季節にもよりますが、ズワイガニやカレイ、
ヒラメやメギスなんかを獲っていました。
その生活がお正月に一変しました。
(9月現在の)今も漁に出られません。
ようやく海底調査をして問題なければ、
漁業は再開になるのかも知れませんが、
震災で港は2m隆起したんです。
船から港に水揚げするのもひと苦労でしょう。
さらには、漁協の施設も壊滅的で、
建物前に大きな地割れができています。
たとえたくさん収獲ができても、
どうやって港に揚げて運び込むのか……」撮影|ほぼ日撮影|ほぼ日※11月7日夜、
地震後初めて本格的な漁が再開し、
8日にはズワイガニの水揚げが
輪島港で行われました。本業が大変になってしまった状況にあって、
沖崎さん夫婦は昔から旦那さんが作って
食べていたサンドイッチを売ることにしました。撮影|幡野広志「もとは、震災前に保健所の許可をとって、
7〜8月の休漁期に営業をしていたんです。
被災して本業の漁業ができない代わりに
街中での販売を本格的に始めました」
自宅で旦那さんが調理をして
雅美さんが販売をするというスタイルで
スタートしたサンドイッチ販売です。
漁業がダメなら他の商売で。
まさにしなやかな姿勢と転身です。「始める前は、家族以外の人たちと話す
機会はほぼありませんでした。
本当に毎日悶々とするばかり。
仲の良い人たちも仮設住宅に入ると
離れ離れになったりして、
友人とも会う機会が
なくなってしまいました。
その生活が店を始めることになって、
大きく変わりました。
『どこにおったん?』から始まる
日常の他愛もない話が、こんなに
大事だったなんて思いもしませんでした。
気分が晴れましたね」撮影|幡野広志幸い全壊は免れた自宅の1階で
5時からサンドイッチを販売する雅美さん。
錦川通りでは8時から営業をスタート。
一日あたり40〜50個ほどのサンドイッチを
作るとの話を聞いたあたりで、
遠目からでも漁師さんかなと分かる
夫の勝敏さんが店に到着しました。撮影|幡野広志この方が作るものは
きっとウマい!に違いない
と思わせる雰囲気。
その予想の通り、
サンドイッチはド直球の満足度。
シンプルながら食べごたえがあります。ご夫婦がサンドイッチを
販売をしている場所は、
輪島で百年以上の歴史をもつ
柚餅子総本家「中浦屋」の店舗前。もともと、おもしろいご夫婦がいるよ、と
私たちに沖崎さん夫婦を
紹介してくださったのは、
能登のしなやかな人連載の二人目にご紹介した
中浦さんでした。撮影|ほぼ日「輪島の漁師は漁以外の仕事は
ほとんどしないなかで、
料理までする男なんて、
めずらしい働き者だよ!」と
中浦さんは笑います。
そんなお話から想像していた方と、
旦那さんのギャップにびっくり。「お料理が上手なんですね」というひと言に
「いつも作っていたものを作っているだけです。料理なんて呼べないかも知れませんが」
と笑う勝敏さん。その笑顔に、
本業である漁業の再開を祈ると同時に、
おいしいサンドイッチの行く末を案じる
複雑な輪島の朝となりました。撮影|ほぼ日- 沖崎雅美
漁勝丸の屋号で底曳き網漁をしている夫の勝敏さんと共に漁業を行う。震災後は、輪島市内にて「gyokatsu○」の屋号でサンドイッチ販売を行う。錦川通りにて屋台を開いている。
- gyokatsu○
5時からは沖崎さんの自宅にて、8時からは錦川通り沿いの「えがらまんじゅう中浦屋」(石川県輪島市河井町2−55)近くにてお店を開く。たまごサンド400円、ハムチーズ350円、焼きそばサンド300円、カツサンド500円にて販売中。