ノーベル賞は、アルフレッド・ノーベルの遺志に基づき、
1901年より連綿と続く国際的な賞です。
「日本人が受賞するかどうか」
という話題にもなりますし、
その名称を聞いたことのない人は、いないのでは。

ただ‥‥なぜ、ノーベル賞はこれほど有名なのでしょう? 
そもそも、どんなところが「スゴい」のでしたっけ?
そんな素朴な疑問を
2人の専門家に、問いかけました。
ひとりは、研究振興などに行政の立場から長く携わり
いまは「日本学術振興会」の理事長・杉野剛さん。
もうひとりは、ときに「役に立たない研究」とも
報じられるイグ・ノーベル賞で、
日本担当ディレクターを務める
サイエンス・コミュニケーターの古澤輝由さん。
話題はさまざまに巡ります。
語られたのは、日本のサイエンスに対する希望。
そして「(研究が)役に立つ」とはどういうことかまで。
聞き手は、ほぼ日の松田です。

加えて、スウェーデンのノーベル財団と
日本学術振興会が開催する一般向けのイベント
「ノーベル・プライズ・ダイアローグ東京2025」も訪れ、
来日したノーベル財団のエグゼクティブ・ディレクター、
そして賞の選考委員長経験者にも、
古澤さんといっしょにインタビューしてきました。
そのインタビューは第5回めでお届けします。

「ノーベル・プライズ・ダイアログ東京2025」には、
ノーベル財団で働く方々も来日しました。
世界有数の財団で、どんな仕事をされているのか?
ノーベル賞の選考って、どうしているのか?
この機会に聞いてみたい!
古澤さん(イグおじさん)と一緒にイベントを訪問し、
来日したノーベル財団のエグゼクティブ・ディレクターの
ハンナ・シャーネさん、そしてノーベル生理学・医学賞の
選考委員会を担うカロリンスカ研究所教授の
ジュリーン・ジーラスさんのお二人に、お話を伺いました。
この読みものシリーズの一環として、お届けします。

youtubeで、ご覧いただけます。
ほぼ日の學校で、ご覧いただけます。

>杉野 剛さん プロフィール

杉野 剛(すぎの・つよし)

独立行政法人日本学術振興会 理事長(2022年4月〜)。
1984年に旧・文部省(現・文部科学省)に入省し、
研究振興や高等教育に行政の立場から長く携わっている。
文部科学省研究振興局長(2020-2021年)、
国立文化財機構常務理事(2017-2020年)、
国立教育政策研究所長(2016-2017年)などを歴任。

>古澤 輝由さん プロフィール

古澤 輝由(ふるさわ・きよし)

立教大学 理学部 共通教育推進室(SCOLA)特任准教授 / サイエンスコミュニケーター。
通称「イグおじさん」として、イグ・ノーベル賞の日本担当ディレクターを務める。
専門はサイエンス・コミュニケーション。
『わらって、考える! イグ・ノーベル賞ずかん』(ほるぷ社、2024年)を監修。

>ハンナ・シャーネさん プロフィール

ハンナ・シャーネ(Hanna Stjärne)

2025年1月よりノーベル財団のエグゼクティブ・ディレクターに就任。
スウェーデンの著名なジャーナリストで、スウェーデン公共テレビ放送の前CEOを務めた。

>ジュリーン・ジーラスさん プロフィール

ジュリーン・ジーラス(Juleen Zierath)

ノーベル生理学・医学賞を選考するカロリンスカ研究所教授。
同研究所ノーベル委員会の委員長経験者。
分子医学・外科学部および生理学・薬理学部の統合生理学室長を務める。

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第10回 「役に立つ」に注意報。

──
今日お話ししていて、
「研究者の好奇心を大事にする」という点では
イグ・ノーベル賞委員会も日本学術振興会も
通じてるところなんだな、というふうに感じています。
杉野理事長
いや、本当にそうで、実は
私、今回古澤さんとご一緒させていただくことが
とてもうれしかった理由があります。
イグ・ノーベル賞関連のネット記事を読んだんですが、
日本の研究者の方がコメントを寄せていて、
「イグ・ノーベル賞を今、継続的に獲ってるといえば
日本とイギリスだ。いろいろ言われてるんだけど、
結局、日本という国はまだ、やりたいことはやれるという
環境が学術界にあるという、その証だということで、
前向きに評価したいんだ」
という内容だったんです。
それって、うちがやってる仕事と
まったく同じじゃんと思ったんですよね。
──
「研究したいことを支援する」というのが
日本学術振興会の方針ですものね。
杉野理事長
イグ・ノーベル賞を十何年連続で獲っていることは、
日本の学術の世界がどうあるのか、
どういう歴史を積み重ねてここまで到達したのか、
ということを考える
一つの手がかりなんじゃないかと大真面目に思って、
僕は勝手に日本学術振興会のスタッフに、
「ね? ね? ね?」とかって(笑)言って回ったんです。
──
同意を求めて回ったんですね(笑)。

杉野理事長
結局のところ「遊び心」だと言われるんだけど、
遊び心というのは好奇心につながる話です。
やりたいこと、自分が関心を持ったことを、
資金面とか自分の立場とか、
いろんな面で制約があるかもしれないけれども、
それでも、ある程度、
「じゃあ、やってみろよ」と言ってもらえてる環境を
やっぱり大切にしなきゃいけない、
というのをいつも、つくづく感じるんですよね。
それはイグ・ノーベル賞もノーベル賞も同じだし、
広く学術研究そのものがそうだと思います。
──
挑戦させてもらえる環境が大切。
杉野理事長
日本学術振興会の立場で言うと、
日本の学術研究が世界の中で
どれほど優れた業績を挙げてきているか、
日本の研究者が優れた業績を挙げていて
それが評価されてるということ、
そういった情報を、
ちゃんと国民の皆さん、日本の社会に対して
わかりやすくお届けしなきゃいけないというのを
つくづく感じるんですよね。
そうじゃないと、どうしてもこういう世界というのは
それは役に立つのかとか、
何の役に立つのかとか、
そういう話になる恐れがあるし、
油断するとそうなってしまう。
──
「役に立つ」に、苦しんでいる雰囲気も感じられます。
杉野理事長
役に立つ研究も、もちろん必要なんだけども、
そうじゃない研究がそのベースになければ、
役に立つ研究もできなくなるわけなので。
何というんですかね、
直ちには役に立たない、
もっと言えば役に立つかどうかわからないけれども、
それが大切なんですということを
やっぱり説いていかなきゃいけない。
古澤(イグおじさん)
そこは本当に、まさに通底してました(笑)。

杉野理事長
これは納得いただけるかどうかわかんないけれど、
僕は建築が好きで、大学とか学術研究というのは、
日本建築でいうならば「床の間」みたいなものだ、と
たまに例えてるんです。
床の間って最近もう見なくなってきてますけども、
わざわざ1畳とか2畳のスペースをつくって
切ってるんだけど、正直、ほとんど「役に立たない」。
温泉旅館とか行くと、そこに金庫なんか置いてたり、
あるいは荷物置き場みたいになったりしてるんだけども、
本来はそういうことではなくて(笑)、
何も置かないか、花を生けるか、掛軸を掛けるか
というだけの話のために
わざわざああいうスペースをとってるんです。
建築学的にいうと、
そこにどういう床の間を切るのか、
数寄屋でつくるのか書院でつくるのか、
広さはどうするのか‥‥、
その床の間一つでその部屋、その家の
品格が決まるらしいんですよね。
──
いわゆる「役には立たない」けども。
杉野理事長
つまり、無用のものかもしれないけれども、
それ一つで全体の空気を決めてしまうぐらいの
力を持つのが床の間だ、というふうにいわれています。
たまに大学に行って講演するときには、
「私は、大学というのは
床の間みたいなものだと思ってるんです。
役に立たないかもしれないけども、
大学のあり方一つで、学術のあり方一つで、
社会の品格が決まるというものです」
とやると、拍手する人もいるんですけど、
「そんなに僕らって役に立ちませんか」みたいに(笑)
言う人もいたりするんだけども、
本当に僕はそう思ってて。
そこを理解してもらう努力を
日本学術振興会はやっぱり繰り返し繰り返し
やらなければいけない。
その結果、科研費の予算も倍増したいし、
ノーベル賞の数も、国民の皆さんが喜んでもらえるように
これからも増えていくといいなって思いますね。

──
‥‥ふと思ったんですが、ノーベル賞は
もう「役に立つ」の権化ですよね。
古澤(イグおじさん)・杉野理事長
ああ。
──
「人類に貢献」って、
「役に立つ」ってことじゃないですか(笑)。
古澤(イグおじさん)
そうですね。
ただその「役に立つ」の意味合いの
捉え方があるんじゃないですかね。
たとえば、それこそ今回のノーベル・プライズ・ダイアログ
で東京に来られていた、人類学者のスバンテ・ペーボさん。
──
ネアンデルタール人のDNA研究で
2022年、ノーベル生理学・医学賞を受賞された方ですね。
古澤(イグおじさん)
たとえば、その研究に対して、
「われわれ人類のルーツ自体が明らかになります」
という成果が何をもって役に立つと
言えるのかという話だと思うんですね。
「やっぱりそれがわかってこそだよ」
と役に立つ人もいれば、
「ほう。それで? いや、私の生活、
それで何も変わらないんだけれども」
と役に立たないことにもなりえます。
「役に立つ、立たない」について
考えること自体もそうですが、
そもそも「役に立つ」ということについて、
何をもって役に立つというかを考えるのは
重要なところなのではないかなとは思いますね。
杉野理事長
一部の論評で、
近年のノーベル賞、とくに一部の部門では
より「有用性(役に立つこと)」を意識した選考が
行なわれているのではないか、というものも見かけます。
ただ、ノーベル財団や委員会は
そういうふうには一切説明していないし、
実際、有用になったという場合であったとしても、
「20~30年経ったらすごく有用だった」
みたいなこともけっこう含まれてるし。
あるいは、たとえば「ヒッグス粒子」を見つけたというのが
もう文句なしのノーベル物理学賞を獲ったけれど、
「ヒッグス粒子見つけて、何か役に立つんかい?(笑)」
みたいな話もやっぱりあるわけなので。
──
2013年の授賞で、質量の起源とされる発見ですね。
少なくとも、直ちに役には立ちそうにないかもしれません。
杉野理事長
われわれとしては、
あれほどの歴史を重ねたノーベル財団だから、
おそらくいろんなことを考えて選んでるだろうし、
決して有用性をより重視ということでは
ないんじゃないかなと私は想像はしています。
期待も込めて。
古澤(イグおじさん)
「役に立つ」ことになったとしても、
いつだかわからないですよね。
「今」と「きっとこれから先」というものもあるし、
今ある技術にしても、
そのベースになっている基礎研究というものは
当時、そういう形でつながるとは
思われてなかったケースというのも
たくさんあると思うので。
だけれども、近視眼的に役立たないからといって
シャッターを下ろしてしまうと、
「役に立つ」芽を摘んでしまうことに
なりかねないという視点は、大事かなと思います。
‥‥イグ・ノーベル賞の格好をして、
こんな真面目な話をして
いいのかってとこはあります(笑)。
杉野理事長
(笑)。

──
大丈夫でしょう(笑)。
長時間ありがとうございました。
言い残したことがなければ
終わろうかなと思うんですけど‥‥。
古澤(イグおじさん)
ひとつだけご紹介しておいてもよいでしょうか。
今回ノーベル・プライズ・ダイアログに
参加させていただきました。
あのイベントは、ノーベル賞受賞者が
いろんな研究者と、または聴衆の方々と
お話しする機会だったかと思うんですけども、
イグ・ノーベル賞のほうでも、
実はそういったイベントをやっています。
もともとイグ・ノーベル賞って、
受賞のときのスピーチが1分しかないんですよ。
1分過ぎると小さな女の子が来て、
「もうやめて。飽きちゃったから」
と言われて止められるんですけど。
杉野理事長
(笑)
古澤(イグおじさん)
ただし、それだとやっぱり
何の研究をやってたかわからないからということで、
翌日には「インフォーマル(形式ばらない)・レクチャー」
という形で、5分ぐらいで
プレゼンテーションをしてたんです。
それが2020年にコロナ禍でできなくなって、
2023年から本国のほうで新たに始まったのが、
「Ig Nobel Face-to-Face」というイベントです。
このイベントは今度は対談という形で、
その年のイグ・ノーベル賞受賞者と
ノーベル賞受賞者が互いに意見を交換し合う、
その実際の様子を公開していくんです。
それがまさに日本では公式のイベントとして
本国に並行して、2023年、2024年と行われています。
──
両賞の受賞者どうしが語るのはアツいですね。
しかも、日本でも。
古澤(イグおじさん)
賞を獲った人々がどういうことを考えて、
どんな研究をしてるのかを話すひとつの機会として、
すごく私個人としても参考になりましたし、
「Ig Nobel Face-to-Face in JAPAN」を
日本で行っていますので、
そういった意味ですごく、
恐縮ですけど親近感を感じました(笑)。
そして、非常に参考にさせていただければと
思った次第です。
杉野理事長
いや、光栄です。
私からも一つだけエピソードを。
日本の研究力の現状については、
悲観的な論調が目立つんです。
けど、今日はクドクド
申し上げるつもりはないんですけど、
私は、そんなに悲観はしてないんです。
隣国の関係でいうと
中国が今、圧倒的に研究活動が活発で、
論文数も、もうアメリカを抜いちゃって
世界ナンバーワンみたいな感じになっています。
──
アメリカも抜いているんですね。
杉野理事長
それで、中国のファンディング・エージェンシーの
プレジデントとは顔見知りなので、よく会うんですけど、
彼は公の場に出ると、
「中国ナンバーワン!」と
大弁舌をいつも振るうわけです。
「世界の若者、中国に来たれ」とか言ってるんです。
ただ、彼も、それをやったあと降りてきて、
私の横に座ってテーブルで飯を食べ始めると、
私のほうに耳打ちをして、
「でも、結局ノーベル賞は日本だけだよな」
とか
「おまけにサッカーまで強いんだよな」
みたいなことを仰るんです(笑)。
サッカーも一生懸命やってるんですけど、
サッカーも強くならないみたいな話をしてて、
やっぱり非常に日本を気にはしてるんですね。
──
本音と建前でしょうかね。
杉野理事長
彼らとも仲良くやっていこうとは思うんですけど、
やっぱりそういう中国の姿を見ながら
日本の今の姿をよく見つめ直して、
これからの道を探っていきたいなというふうに思います。
繰り返しますけど、そんなに僕は悲観的には思ってません。
多少立ち止まってるかもしれないけれども、
大丈夫だと思っています。
──
ありがとうございました。
杉野理事長
ありがとうございました。
古澤(イグおじさん)
ありがとうございました。大変勉強になりました。
杉野理事長
とんでもないです。面白かったです。
古澤(イグおじさん)
僕もすごく面白かったです。

(終わります)

2025-10-15-WED

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