
糸井重里が監修し、企画、設定、全シナリオを手掛けた
RPG『MOTHER』シリーズ。
そのことばをすべて収録した本を
2020年12月に発売したことをきっかけに、
立ち上げたのが「ほぼ日MOTHERプロジェクト」です。
『MOTHER』にまつわるコンテンツや
アイテムをつくっている本プロジェクトのなかから、
代表的なアイテムの
つくり手のお話や現場のようすをお伝えします。
「ネスのリュックをつくりたい」
ほぼ日MOTHERプロジェクトは
ずっと前から考えていました。
『MOTHER』らしさ、ネスらしさを残しつつ、
毎日、ふつうにつかえる
現代風のリュックに落とし込むには?
それを叶えてくれたのが、
日本のバッグメーカーのFREDRIK PACKERS
(フレドリックパッカーズ)さんでした。
FREDRIK PACKERSの岩上隼人さんに、
ブランドの成り立ちや、大切にしていること、
そして、フランクリンバッヂ印のリュックについて
訊きました。
- 岩上
- うちは、バッグを始めた2007年ごろなんですけど、
もともと、僕とコバヤシが、自転車が好きで。
その頃、ピストバイクっていうのがブームになって、
東京でもメッセンジャー、自転車便がふえたり、
そういう自転車カルチャーが盛り上がったんですよ。
メッセンジャーが使ってるメッセンジャーバッグも
アメリカのハンドメイドブランドが何社かあって、
日本でも、ちょっと熱くなりたてのころに、
僕ら、そういうバッグをつくり始めたんです。
- ──
- メッセンジャーバッグがスタートなんですね。
- 岩上
- 東京の自転車便の会社がうちのバッグを使って、
都内、けっこう走ってたんですよ。
いまはだいぶ減りましたけど、昔は200人ぐらい、
港区とか千代田区あたりは、すごく走ってました。
自転車用の機能的なバッグをつくったのが最初ですね。
- ──
- その後、リュックなどもつくるようになったんですね。
- 岩上
- はい。それからだんだんアイテムも増えて、
洋服屋さんが取り扱ってくれるようになったりして、
徐々に変わってきたんですよね。
モデルの梨花さんがうちのリュックを買ってくれて、
当時、梨花さんのお子さんが小さかったので
お母さん層にうちのバッグが広がって、
それで急に女性のお客さんも増えだして。
そういう需要もあって、マザーズリュックをつくったり。
そこにもメッセンジャーの機能を流用したりして。
求められるものと自分らのやりたいことを合わせて
進めてきたっていう感じですね。
そもそも、石川さんとの出会いも、
僕が行きつけの自転車屋さんだったんですよ。
- ──
- あ、自転車つながり、ですか。
- 岩上
- そうなんです。
世田谷の瀬田にある自転車屋さんの社長さんが、
僕と石川さんをつなげてくれたんです。
- ──
- バッグをつくる前は、何をされてたんですか?
- 岩上
- 洋服をつくっていました。
- ──
- ああ、だから、リュックもバッグも
おしゃれなんですね。
色使いとか。スマートな感じとか。
- 岩上
- そう言っていただくのはうれしいです。
定番になるものをつくりたかったんです。
洋服って、毎シーズン変わるじゃないですか。
だけど、たとえば「グレゴリー」のリュックを、
中学生のときから使ってて、今も持っているとか、
そういうのが理想なモノづくりだと、
個人的にはですね、そう思ってたんです。
そこに自転車好きとか、そういうモノづくりとか、
いろいろ噛み合ったのがバッグで、
そちらに方向を変えたっていう流れです。
- ──
- それが2007年ごろということは、
じゃあもう、20年ぐらい。
- 岩上
- 今年で19年ですね。
会社を始めたのは2000年で、いま26年目。
最初の6年ぐらいは洋服をやっていました。
- ──
- 洋服もコバヤシさんとおふたりで?
- 岩上
- 僕ら、洋服をつくるのが好きで来て。
途中から2人とも、自転車いいねみたいになって。
コバヤシとは、17歳ぐらいから一緒にいるんです。
自転車も、コバヤシも、だいぶ古いですけど(笑)。
- ──
- 自転車は、街で乗ってたんですか。
- 岩上
- そのころ僕、二子玉川に住んでて、
渋谷までチャリで往復してました。
通勤ですね。毎日20キロ。
- ──
- すごいですね。
筋肉ついちゃいますね(笑)。
- 岩上
- 足、カッチカチでした。
そのときもリュック、使ってましたね。
それから、月1、山に自転車を持って行って、
ダウンヒルっていってね、冬はスキー場になる山に、
夏はリフトで上がって行って自転車で降りてくる、
そんなこともコバヤシとやってました。
富士山へも行ったりして。
山によって違う自転車に乗るので、
最高15台あったんです。
- ──
- 山に合わせて自転車を変えるんですか?
- 岩上
- そうなんです。
ホイールベースとか、フレームの素材とか、
サスペンションの長さとか、いろいろあって。
全部乗り分けられるようにして。
けっこう、はまり症なんです(笑)。
そういうふうにして楽しんではいましたね。
リュックも、このときはこっちがいいとか、
いろいろ使い分けてましたね。
そのときはまだ洋服やってたころなんで
「patagonia」とか使ってましたけど。
だからリュックに関しても、
いろんな経験をしてます。
- ──
- 山を下るって、ものすごいスピードでしょうし、
めちゃくちゃガタガタしますよね、きっと。
そんなときでもしっくりくるリュック、みたいな。
- 岩上
- そうなんです、そうなんです。
いろんなリュックは使ってみましたね。
- ──
- じゃあ、どんなリュックがいいのかは
実体験としてよくわかりますね。
- 岩上
- そうですね。
その経験が生きてるってことにしといてください(笑)。
- ──
- 生きてると思います。
最近ほぼ日は、赤城や尾瀬でも活動しておりまして。
- 岩上
- そうなんですね。赤城山も行ってました。
だから、赤城山はすごく、懐かしいなと思って。
そのころはリュックも自分らでつくってたんですよね。
- ──
- 自転車をつくろうっていう方向には行かなかったんですね。
- 岩上
- そうですね。
もともと、生地と針と糸を扱っていたから、
延長でバッグっていうのが自然だったんですかね。
- ──
- おふたりとも、ミシンで作業されたりするんですか?
- 岩上
- 僕は最近やってないですけど、
最初の、20年前は、コバヤシと僕で
なけなしの予算で中古のミシンを導入して、
受注したものを全部、自分らで縫ってましたね。
僕も、洋服は一応縫えるようにはなっていたので、
ミシンはできます。
- ──
- 洋服を縫うミシンと、
バッグを縫うミシンは違うものなんですか?
- 岩上
- 違います。
洋服を縫うミシンとは、生地を送る、
縫い進めていくところの機構も違いますし、
バッグは生地も厚いし、糸も太いので、
それに対応できるごついミシンですね。
クルマで言うと、洋服を縫うのが普通の乗用車、
バッグを縫うのは、20トントラックみたいな、
相当大きい感じのものっていう感覚ですかね。
- ──
- なるほど。
- 岩上
- 運動会のあのテント、すごく厚いじゃないですか、
ああいうのも全然縫えちゃうようなミシンです。
洋服のミシンだと、もう針が入らないです。
そこが大きく違いますかね。
- ──
- ミシンの作業を理解してると、たとえば、
どうやったらカーブがきれいに出るか、とかが
わかってきそうですね。
- 岩上
- そうです、そうです。
そういうこともわかりますし、
ここをこう変えたらもっときれいにあがるとか、
値段を抑えられる縫い方の順番とか、
そういうことも工場さんと交渉できたりするので。
- ──
- 縫う順番?
- 岩上
- 工程が短くなると、コストが抑えられるんです。
- ──
- なるほどー。
- 岩上
- 僕ら、目の前でサンプルをつくって、
修正して、ってどんどん詰めていくので。
一般的にバッグをつくるときは、
パタンナーさんにお願いして、ファーストサンプルができて、
次、修正、セカンドサンプル完成までに
けっこう時間がかかって、
またチェックして……って流れになると思うんです。
それだと、「モノ」って詰まっていかないんですよ。
コストもかかりますし。
それが嫌なんで、僕は。
この事務所で、目の前でつくって話して、
その場でチェックしてすぐ修正して…、
みたいなことを繰り返す。
だからけっこう凝縮したものが生まれるのかなと思って。
これは僕らの独特なやり方ではあるかなと思いますね。
- ──
- 実際、試作ができあがるスピードにすごくびっくりしました。
しかも、こちらの要望ってふわっとしてますよね。
どこを短くして、ではなくて、もっとシュッとしてほしいとか。
それなのにすぐに正解が出てくるので、すごいなと思って。
- 岩上
- それができないと、僕らがいる意味がないもんですから。
何をおっしゃりたいのかを汲み取るようには
極力、努力はしてますね。
- ──
- デザイナーとつくり手さんが、
一緒だっていうところも強みですね。
- 岩上
- ああ、そうですね。
パーツとか、生地とかも全部事務所に揃ってるんで。
ちょっと複雑というか、細かいことも
すぐに調整、修正がその場でできちゃうから、
それがけっこう強みかなとは思いますね。
- ──
- 素材の活かし方がわかる料理人みたいですね。
- 岩上
- ああ、近いかもしれません(笑)。
材料をそろえて、お客様の好みに合わせて
目の前で仕上げて提供する、みたいな感じですね。
(つづきます)
2026-05-21-THU




