
元気な男の子ふたりを育てる
シングルマザーのなおぽんさん。
ふだんは都内ではたらく会社員ですが、
はじめてnoteに書いた文章が話題になり、
SNSでもじわじわとファンを増やしています。
このたび月1回ほどのペースで、
子どものことや日々の生活のことなど、
なおぽんさんがいま書きたいことを、
ちいさな読みものにして
ほぼ日に届けてくれることになりました。
東京で暮らす親子3人の物語。
どうぞ、あたたかく見守ってください。
石野奈央(いしの・なお)
1980年東京生まれ。
都内ではたらく会社員。
かっこつけでやさしい長男(12歳)と、
自由で食いしん坊な次男(8歳)と暮らす。
はじめてnoteに投稿した記事が人気となり、
SNSを中心に執筆活動をはじめる。
好きなものは、お酒とフォートナイト。
元アスリートという肩書を持つ。
note:なおぽん(https://note.com/nao_p_on)
Twitter:@nao_p_on(https://twitter.com/nao_p_on)
「夢なき者に、成功なし」と、吉田松陰は言った。
「プロ野球選手になる!」と夢を掲げる兄弟を、
休日ごとに少年野球へ送り出していたら、
家族でのお出かけはすっかり減ってしまった。
久しぶりの外出は、祖父の七回忌だった。
行き先は京王よみうりランド駅。
日比谷線、京王新線、京王本線と乗り継ぎ、
帰りは兄弟の希望で半蔵門線ルートに。
もちろん乗るのは先頭車だ。
少し前までは抱っこして前面展望を見せていたのに、
今ではふたり並んで立ち、
真剣なまなざしで窓の外をじっと見つめている。
その姿を見つめながら、
「こんなふうに一緒に出かけられる今のうちに、
もっといろんな景色を見せてやりたい」と思った。
3月3日、仕事の昼休み。
スマホに通知が飛び込んだ。
「と〜ぶキッズ」。
東武鉄道の子ども向けLINE公式アカウントだ。
そこには
「東武東上線 森林公園ファミリーイベント2025
申し込み開始は3月3日12時〜!」の文字。
まさにその瞬間だった。
またもや鉄道情報を見逃すところだったわたしは、
あわてて申し込みページを探した。
10年ぶりに開催されるこのイベント。
東武東上線開通111周年の今年、
満を持しての再開だという。
とはいえ、
昨年末に南栗橋車両管区のイベントにも
参加済みのわが家。
あのときは約17,000人が来場したが、
今回の入場制限は7,000人。
規模としては余裕だろうと、タカをくくっていた。
ところが、
チケット購入ページにはまったくアクセスできない。
何度リロードしても無反応。
昼休み中ずっと格闘し、
ようやくつながったのは夕方になってからだった。
鉄道ファンの情熱を甘く見てはいけない。
案の定、人気の体験コーナーはすべて「SOLD OUT」。
落胆しながらも最後までスクロールすると、
「車両洗浄線体験乗車」の最終回に空きがあった。
諦めなければ夢は叶う、とはこのこと。
妙な達成感とともに、子どもたちへの
お土産をなんとか確保できた安堵がこみ上げた。
帰宅後、少しもったいぶって発表する。
「母さん、今日は君たちにビッグなお土産があります。
なんと、東武東上線イベントのチケットが取れました!」
息子たちは目を輝かせ、
「ATカート体験?」「架線作業車も!?」と
人気コーナーを次々に挙げてくる。
わたしは静かに答える。「車両洗浄線‥‥です」。
ふたりは「そっちかー」と声を揃えた。
母の努力、もう少し評価してほしい。
イベント当日。
東武スカイツリーライン、JR武蔵野線、
東武東上線と乗り継ぎ、森林公園研修区へ。
出発直後からテンションはMAX。
新越谷駅ですれ違った18000系を見て、
「マンハチだ!」と叫ぶ息子たち。
その略し方、ちょっと気になる。
会場の森林公園研修区は、
コンパクトながらも開けた空間で、
縦に長い敷地のなか、
建物に遮られることなく並んだ車両が一望できる。
まさに圧巻の景色だった。
イベントは10時から15時までと短めだが、
すべてを味わい尽くしたい兄弟は、
会場内をスキップか小走りで移動。
野球で鍛えた体力が、まさかこんな場面で活かされるとは。
いよいよ「車両洗浄線体験」へ。
50090系TJライナーのクロスシートに座り、
洗浄線を進む。
ガソリンスタンドの洗車機のような
ローラーが近づいてきて、
バッシャーン! と水が飛び散る。
ものすごい水圧が窓を叩き、
思わず身体が浮くような感覚に。
洗浄後、車両は車庫に入り、
スイッチバックしてもとの場所に戻った。
窓の外のすべてが、特別に見えた。
車両撮影エリアでは、
普段は立ち入れない線路内を歩くことができ、
興奮は最高潮。
50090系、30000系、8000系、10000系、
そして東京メトロの17000系が並ぶ。
息子たちはまたも「マンナナだ!」と叫ぶ。
略し方、やっぱり気になる。
続いてキッズエリアへ。
「こども制服体験」には、兄は恥ずかしがって参加せず。
お年頃だ。
弟はどうかと思いきや、
振り返るとすでに制服に身を包み、
プロの顔をしていた。
そのまま車内放送体験へ。
マイクを握った弟の目の奥に、ふっとスイッチが入った。
「終点、新木場、新木場でございます。
お忘れ物にご注意ください。
傘の忘れ物が多くなっております。
お足元にもお気をつけてお降りください」
一気にセリフを言い終えると、ゆっくりマイクを下ろし、
横を向いて指差し確認まで完璧にきめた。
「学校なんて行く意味がない」と毎朝泣いていた次男が、
まるで別人のようだった。
単なる鉄道オタクではない。
「好き」を極めて没頭するその姿は、
輝いていた。
「ぼく、車掌さんになりたい」
先週は「プロ野球選手になりたい」と言っていた彼が、
また急に大きく舵を切った。
母船‥‥もとい母としては、そのたびに揺れ動く。
でも、それでいい。
人生に意味があるとすれば、
「夢中になれる何か」を見つけることなのだと思う。
ふと隣を見ると、兄が縁日コーナーで射的に挑んでいた。
じっと的を狙い、大きな的を射抜くと、
特賞のオモチャ箱がカラン、と落ちた。
鐘の音が鳴り、スタッフのお姉さんたちが拍手するなか、
兄は空気銃の先をフッと吹いた。
「ぼく、猟師になりたい」
長男よ、お前もか。
つい昨日まで「プロ野球選手になる」って
言ってたじゃないか。
バット、買わなくていいのか。
「ま、いっか」と、わたしは笑う。
夢なんて、いくつあってもいい。
やりたいことがあるなら、とことんやってほしい。
すると長男が聞いてきた。「母さんの夢は?」
「母さんはもう大人だからね」と答えると、
「大人だって夢を持っちゃダメってことないでしょ」と
返された。たしかにその通りだ。
でも、最近は自分の夢なんて、考えたこともなかった。
「君たちが立派な大人になるのを見届けることかな」と
言ってみたら、「それは僕たちの夢でしょ」と、
すかさずツッコミが入る。
「うーん‥‥課長さんにはなれたし、
ゆくゆくは社長さんを目指そうかな!」と
苦し紛れに言うと、
「それって昇進でしょ
母さんの会社を作って社長になるなら
それは夢だけど、昇進が夢って、なんかつまんないね」と
鋭いひと言が返ってきた。
ぐうの音も出ずに考え込むわたしに、長男が静かに尋ねる。
「やりたいこと、ないの? 母さんが好きなこと。
小さいころ、何になりたかったの?」
そういえば、わたしにもたくさんの夢があったはずだ。
どうして忘れてしまったんだろう。
幼いころはピアニストになりたくて、鍵盤を叩いていた。
漫画家に憧れたこともあった。
やり投げの選手、スポーツトレーナー、
そして、夢を諦めきれず戻ったリングでは、
プロボクサーとして闘っていた。
あのころは、夢に満ちていた。
今、やりたいことは何だろう。
好きなことなんて、いくらでもある。
大人はすぐ、「それって稼ぎになるの?」なんて
打算的に考えてしまうけど、
彼らのように、ただ「好きだから」と
情熱をもって突き進んだって、いいじゃないか。
そう思ったら、胸がふわっと、ワクワクしてきた。
「夢なき者に、成功なし」と、吉田松陰は言った。
息子たちは、時に、大事なことを思い出させてくれる。
帰り道。
両手に抱えきれないほどの
グッズを持って歩くふたりを見ながら、
わたしはなんだか、とてもいい気分だった。
イラスト:まりげ
2025-04-25-FRI