こんにちは、ほぼ日の奥野です。
昭和の東京喜劇で大爆笑を取り続けた俳優・
三木のり平さんを知る旅に出ます。
数多くの喜劇役者や舞台人に影響を与えた
「三木のり平さん」については、
世代的に「桃屋のCM」しか知りません。
もちろん、それだって大名作なのですが、
のり平さんが役者人生を賭けた
「生の舞台」については、
現在から遡って見ることは、むずかしい。
そこで、生前ののり平さんを知る人や、
のり平さんをリスペクトしている人たちに、
「のり平さんって、
いったい、どんな人だったんですか?」
と聞いてまわることにしたのです。
のり平さんの孫・田沼遊歩さんも一緒です。
第1弾は、高田文夫先生です。
のんびりじっくり、お付き合いください。

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第7回


このまま残しておきたい

──
遊歩さんは、ぼくと同い年だけど、
のり平さんの舞台は、
もちろん観たことあるんですよね。
お孫さんですもんね。
遊歩
そうとう観てますね。
──
どういう印象をお持ちですか。
のり平さんの舞台については。
遊歩
ぼく、ちいさいころは、
逆にうちのおじいさんの舞台しか
観てなかったので、
他との比較は難しいんですけど、
子どもにも、
ぜんぜん飽きさせなかったんです。
最初から最後まで、
ずーっとおもしろい舞台でしたね。

高田
のり平さんって
芸事に対して本当に貪欲な人でね。
キグレ大サーカスの演出なんかも
やってたくらいだもんね。
──
お客さんの前に出て演じる人という
イメージだったんですが、
演出のちからもすごかったんですね。
高田
森光子さんの主演舞台の『放浪記』を
あそこまでの作品にしたのは、
のり平先生の手柄だよ。
森光子さんに惚れてたんだと思うけど、
本当にすごい。演出家として。
──
菊田一夫さんの書かれた脚本を、
菊田さんの死後に潤色して、
演出まで手掛けてたんですよね。
のり平さんの演出の才能っていうのは、
ご自身が演じながら、
培ってきたものなんでしょうか。
高田
そうだろうね、
ぜんぶ覚えたんだろうね、舞台の上で。
五木ひろしの歌謡ショーだとか、
森光子の『放浪記』なんかについては
先生は出ないわけだから。
あと、絵も本当に上手かったんだよ。
桃屋のCMとか、
ずーっと自分で描いてたんだからね。
俺の日芸の先輩だけど、
お芝居だとか映画の学科じゃないんだ。
美術学科を出てるんだよ。
──
多彩で、多才です。本当に。
高田
桃屋のCMでも、
国定忠治とかカルメンが動き出すやつ、
ネタを自分で考えて、
ぜんぶ自分で描いてるんだ。すごいよ。
──
ちなみにですけど、
高田先生や、古今亭志ん朝師匠以外に、
親しくされていたのって‥‥。
遊歩
寺田農さんくらいかなあ。
高田
こないだ亡くなっちゃったけどね。
若いころから、ずっと弟子だったよね。
フトコロに入って「親父、親父」って、
何でも言える仲だったんだろうね。
遊歩
寺田さんのお父さんが絵描きなんです。
少し前に青山で個展をやっていたので、
遊びに行って、ご挨拶をしたんですが、
そのときは、とてもお元気でした。
いま、三木のり平のことを聞く企画を
進めているので、
ぜひ出てくださいませんかって
お願いしたばかりだったのに‥‥
3か月後くらいに亡くなってしまって。
高田
のり平さんを語る、みたいな企画だと、
たいてい
寺田さんと志ん朝師匠が出てくるよね。
逆にのり平さんのことを語れる人って、
他にあんまりいないんだよなあ。
──
高田先生の話は、ますます貴重ですね。
高田
いや、俺はただの飲み友だちだからさ。
最後、一緒にいたというだけでね。
遊歩
ちなみに、この写真は、
志ん朝さんの結婚式で仲人をやってる
おじいさんなんです。
高田
すごいじゃん。志ん朝師匠の結婚式だ。
おお、志ん生もいるね。
すごいや、オールスターだ。
金原亭馬生もいる。池波志乃のお父さん。
遊歩
こういう資料が山ほどあるんですよ。
また機会があれば、
ぜひ見ていただけたらなと思います。
高田
ぜひぜひ、こんどまた見せてよ。
名刺、もらったっけ?
ああ、ありがとう。田沼遊歩さんね。
遊歩って名前はお父さんがつけたの。
遊歩
そうです。
高田
UFOの遊歩?
遊歩
まあ、そうです。
高田
そういう人なんだよなあ。

遊歩
あの‥‥おじいさんが亡くなる直前は、
ぼくがまだ22くらいで、
けっこう忙しくはたらいていたんです。
真夜中、仕事から返ってくるときに、
うちのおじいさんが
ふらふら酔っ払って帰ってくるんです。
あれはきっと、
高田さんと飲んだ日だったのかな、と。
高田
そうかもね。
遊歩
おじいさん、そういうときに決まって
ひとこと、ぼくに言うんです。
「おまえ、めしは食えてるのか」って。
──
気遣っていたんですね、やっぱり。
お孫さんのこと。
高田
のり平さんなりにね。
俺はニッポン放送でしゃべってたとき、
本番中に電話が入って、
「のり平先生が亡くなりました」って。
昼の1時に本番が終わって、
すぐ四谷の家へ飛んでいったんだよ。
そしたら、棺の脇に、
のり一がひとりでポツンとしてるんだ。
遊歩
ああ、あの応接間にいらしたんですね。
高田
そのときに、のり一がさ、
「高ちゃん見てよ、いい顔だろ」って。
男前なんだよ。
死に顔がまた、ようすがいいんだ。
ふたりしてさ、
「のり平さん、焼いちゃうの惜しいね」
なんて言ってさ‥‥。
あのとき本当にしみじみ、そう思った。
「焼いちゃうの、惜しいね」って。
遊歩
ああ‥‥。
高田
ちょうど誰もいなかったのかな、
のり一がひとりで、棺の脇に座ってた。
そこへ俺が行ったものだから、
「ああ、よかった、よかった」なんて。
のり平さんの死に顔を見ながら、
ふたりで、ずーっと、話してたんだよ。
「せっかくだから、
 このまんま残せねえもんかなあ」
とか何とかって言ってさ。
──
はい。
高田
本当に、このまま残しておきたいって
思うくらいの人だったよ。
のり平さんって。

(おわります)

撮影:福冨ちはる

2025-06-16-MON

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  • 何はなくとも三木のり平

    俳優‥‥といってしまうだけでは到底、
    その多才ぶりを表現できない
    故・小林のり一さんが、
    実の父であり、
    戦後東京喜劇の大スターでもあった
    「三木のり平」について、
    膨大な資料や証言を
    縦横無尽に駆使してつくりあげた、
    三木のり平さん本の決定版にして
    金字塔ともいうべき作品。
    作家・映画評論家の戸田学さんによる
    丁寧な編集の手さばきによって、
    実父に関する博覧強記と深い思いとが、
    みごとに編まれています。
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