どうやら大貫妙子さんは、
デビュー50周年だとか、半世紀だとか、
日本の音楽界のレジェンドだとか、
そんなふうに言われてもね‥‥と思っているようなのです。
「だって、仕事を続けてる人が50年なんて、
そんな長くないでしょ」って。
でも、ずっと大貫さんの音楽、そして文章のファンである
渡辺真理さんにとって、50周年である今年は、
これまでの大貫さんの足跡を振り返りながら、
インタビューをする絶好のチャンス。
「ぜひ!」とお願いして、この対談が実現しました。
かねてから親交のあったふたりですが、
こうしてひざを合わせて話すのは久しぶりなんですって。
後半は、糸井重里も参加しての鼎談になりましたよ。
あっ! ここは「マリーな部屋」ですから、
もちろん、おいしいケーキも忘れずに。

取材・プロフィール写真=浅井佳代子
協力=株式会社ゆかい

>大貫妙子さんのプロフィール

大貫妙子(おおぬき・たえこ)

音楽家。東京生まれ。
日本のポップミュージックにおける
女性シンガー・ソングライターの草分けのひとり。
1973年、山下達郎たちとポップスのバンド
「シュガー・ベイブ」を結成、1976年まで活動。
同年、アルバム『Grey Skies』でソロデビュー。
以来、現在まで27枚のオリジナルアルバムをリリース。
『Shall we ダンス?』や『マザーウォーター』の
メインテーマを担当するなど、
映画音楽も数多く手掛ける。

芸術総合誌『ユリイカ』(青土社)の
2025年12月臨時増刊号では
50周年を記念して、
1冊まるごとの総特集が組まれた。

オフィシャルサイト

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その3 インタビューはむずかしい。

真理
妙子さんが、ベスト盤を出された時も
形を変えてまた売りたいとか、
それまでの集大成にしたいとか、
一切なかったですよね。
大貫
個人的には、自分のベスト盤には
あまり興味がないですね。
いまだに‥‥。
でも、それがレコード会社の仕事ですし。
70年代からいろいろ、世界の音楽を聴いてきて、
売れていないものもたくさんあると思いますが、
感動するものもあります。
売れてるものって、たくさんのメディアで
取り上げられる、ということもあると思いますが。
それ以外にも、何度も聴くうちに、
どんどんいいと思えてきたりするものもあって。
聴く方々の、音楽との付き合い方なのだと思います。
真理
聴く方の、音楽との付き合い、
なるほど。
大貫
もちろん、売れるものには、
それなりの理由があると思いますし。
本を歩きながら読むことはできませんが、
音楽はイヤホンを耳に入れていれば
散歩もできるしね。ふふふ。
真理
以前、ドライブ番組のロケだったかな、
助手席の妙子さんに、運転しながら私が
「今の音楽シーン、妙子さんからご覧になってどうですか」
なんて、ありきたりな質問をしたんですよ。
そしたら、またピシャっと
カッコいいことおっしゃったんです。
「それって、質問をする人が答えを持ってますよね。
『今の音楽シーン、どうですか』っていう
自分の、ある種、期待してる答えを」。
大貫
そう、その質問の答えは、
質問する人が持っている(笑)。
真理
「それを相手に言わせようとしてるだけなら、
自分で言えばいいのよ」って。
大貫
そう。
真理
まさに‥‥と思って、謝りました。
いや、妙子さんの瞳には実際、どう映ってるんだろう? と
知りたい気持ちはシンプルにありますけれど、降参でした。

大貫
あはは! 
自分はインタビューを受ける方だから、その質問に、
「あ、こう言わせたいんだろうな」と思う時はあります。
それに素直に乗っかってあげるときもあれば(笑)。
真理
あるんだ(笑)!
大貫
答えないで、「じゃあ、あなたは?」って、
こちらから質問すること、あります。
真理
そこが妙子さんらしいなぁと思って
見惚れました。
大貫
たくさん取材は受けてますけど、
「あ、この人、おもしろい角度から来るな」
っていう人、すっごく少ないですね。
5パーセントくらいです。わかるでしょ。
真理
わかる、って言っていいのかな。
自分がまだまだだから、なんて答えていいか
わからない。
大貫
そんな中で、
「あ、この人、ちょっとおもしろいな」と思うと、
本心が出てくる。

真理
うーん、私は、すべてのインタビューも取材も
基本、迷惑行為だと思っていて。
話すという合意はできているけれど、
不用意に相手の内面に踏み入るし、
作品を説明させる必要なんて、本来ないかもしれないし。
大貫
そうね、でもそんなに神経質に思いやらなくても(笑)。
「聴いていただければ」
「あなたの思う通りに書いてくださればいいですよ」
って言っちゃうもん。
真理
そうですよね、そうやってストレートに
言ってくださるところ、すごく好きです。
他のアナウンサーの方々のことは別として
私に限って言うと、
インタビューって身も蓋もない仕事だとも思っていて。
だって、説明させちゃうわけですから。
大貫
はい、
それも仕事のうちですから(笑)。
でも、インタビューを受けている時に、
気づかせて下さる方もいらっしゃいますし。なるほど‥‥と。
客観的な意見は大歓迎です。
真理
客観的な意見になれるように、がんばろう!
生きていくうえで、私自身、
「この作家の方はどうしてこの本を書いたんだろう」とか、
「この作品の裏側にはこんな苦しさや想いがあったのか」とか、
その方や作品の破片みたいなものがみえると
なんだか嬉しくなったり、
これからの支えになるときがあるんです。
例えば、石川啄木が
「友がみな われよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て 妻としたしむ」と詠む。
その歌に惹かれると、その思いも訊きたくなってしまう。
啄木にはもう訊けないけれど。
大貫
そうですね。
むしろそういう、世に出て行く人の方が、
そういうことにナイーブだと思うんですよね。
真理
ナイーブだからこそ
訊いちゃいけないのかもしれないと不安になりつつ、
ナイーブだからこそ生まれた
美しい源泉をそっと訊きたくなるのも事実で。
特に、大好きな人には。
大貫
インタビューって、むずかしいと思いますよ。
真理
はい。殊に、妙子さんのインタビューはむずかしいですよ。
だって、全部本当のことが返ってくるから。
予定調和は一切ないし、興味のないことは秒で終わるし、
テーマが設定されたインタビューなら尚さら
テーマにそった答えが返ってくる保証はない、
というか、まず返ってこない(笑)。
でも、だから妙子さんへのインタビューは楽しくて
大好きなのですよね。

真理
『私の暮らしかた』(*) では、
お父さまやお母さまのことを書いてらして
妙子さんがずっとご飯を
作ってさし上げてたことを知りました。
(*)大貫さんの著書『私の暮らしかた
(2013年、新潮社)。

『私の暮らしかた』 『私の暮らしかた』

大貫
はい、年老いてからですね、両親が。
真理
スーパーで買い物なさる時、
お父さまはこの魚を好きだったな、
と、ふっと思い出すというくだりがあって。
大貫
そんなこと書いたかな? 
まあ、ご飯も、そんな長い期間じゃないですけどね。
母が具合悪くなってから、母を手伝いがてら。
真理
そういえば、10年前に伺ったとき、
ご近所づき合いや町内会もきちんとなさってて。
たしか、班長さんだったんですよね、妙子さん。
偉いなぁ、妙子さんらしいな、と思いました。
大貫
町内会の寄付金集めとか。お留守のお宅もありますから
何度も足を運ばなくてはならず、坂道を歩き、
大変だあとため息をつくことはありましたが(笑)。
でも、ご近所付き合いは大切です!
杉並の久我山で育ったんですが、
昔は、隣との垣根もなくて、
子どものころは隣の家に上がり込んで
ご飯までご馳走になったり。
真理
お醤油とかお味噌とか、貸し借りして。
大貫
そういう時代に育ったから、
近所の人とは、何かあったらすぐ、
臆病にならないで話せるような環境が
大事だと思うんですよね。
いつまた地震が来るかわからないでしょ。
そのときに米がないとなったら持って行くとか。
それは基本ですよ。
助け合いって、大事。
真理
今もそのご近所づき合いの中で
葉山に長くお住まいですけれど、
あの場所を選ばれたのは? 
大貫
葉山は夏に友達とよく遊びに来ていた場所なんです。
ある時、山の上から見渡したら、
あそこの土地、空いてるなぁと思って、
すぐ不動産屋さんに行ったんですよ。
両親も東京の借家に一緒に住んでいたけれど、
ここに老後は住まわせてあげたいなと。
昔は、ピアノを習わせてもらうくらいに
父の仕事もうまくいったんですけど、
途中からうまくいかなくなって、
6畳と4畳半のアパートにみんなで暮らして、
みたいな時代もあったので。
母にも、年を取ったら
普通の暮らしをさせてあげたいなと思って。
そして買おうと決めてから、
若い女の子が行くよりいいなと、
土地関係のことに詳しかった父に頼んで、
「あの辺の土地を購入したいんですけど」。
その後は、家も建て。
でも、それなりに広い土地だったので、
働きましたよ、頑張って! 
‥‥それにしても土地を見つけて
「買って、家を建てよう!」って、
もう男勝りもいいとこですよね(笑)。
真理
ずーっと男勝り。頼りがいがある。
大貫
あはは。
でも、両親にいつまでも借り家暮らしを
させるわけにはいかないっていうふうに思ったし、
兄も弟もいましたけど、
私がたぶん一番働けるだろうなと思って。
それからもずっと音楽を続けて、
結局、結婚もせずにまだ働いている(笑)。
真理
カッコいい! 

(つづきます)

2025-12-26-FRI

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