昨年の前橋ブックフェスで、
作家の岸田奈美さんと糸井重里が
トークショーをおこないました。
岸田さんが本を出版される前から
何度もおしゃべりしてきたふたりですが、
ふたりだけで、多くの人の前で、
じっくり話すのはこれがはじめて。
書くだけで生きていくには、枠線、
悲しみから芽吹くもの、家族についてなど、
話はどこまでも広がっていきます。

>岸田奈美さんプロフィール

岸田奈美(きしだ・なみ)

作家。

Webメディアnoteでの執筆を中心に活動。車いすユーザーの母、ダウン症の弟、亡くなった父の話などが大きな話題に。株式会社ミライロを経て、コルク所属。

主な著書に『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』、『傘のさし方がわからない』、『国道沿いで、だいじょうぶ100回』など。Forbes 「30 UNDER 30 JAPAN 2020」「30 UNDER 30 Asia 2021」選出。 

岸田さんのnoteはこちら。

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第3回 通じ合えることのよろこび。

糸井
「無限の空間に絵を描きなさい」って言われたら、
どこまで描いたらいいかわかんないじゃないですか。
端っこを決められないというか。
岸田
わかんないですね。
糸井
でも、端っこをどんどん作っていくっていう技法が、
ぼくはあると思うんです。壁画もそうだけど、
『千と千尋の神隠し』っていう映画を観たときに、
ああ、なるほどなと思ったのは、
カオナシの吐き出す場面を覚えていますか?
岸田
わかります、わかります。
糸井
あのシーンは、
どう考えても観客は画面の端っこまで
全部見きれないんですよ。
岸田
シーンの展開もめちゃくちゃ速いですしね。
糸井
それでも、見えないところまで描くのが、
宮崎駿監督の技法なんだなって思って。
岸田
ああ!
漫画だと断ち切り枠がありますけど、
枠線よりも外まで描いている方がいて、
原画展のときに見れたりしますもんね。
糸井
アニメーションだと画面が大きくて、
視界が届かないんだけれど、
そこまで描きたかったんだと思うんですよね。
岸田
うわあー‥‥

糸井
そう思っていて。
その真逆で、小さい額に描かれている絵は、
枠線が助けてくれているわけです。
私が切り取ったものをその中に収めると形がいい。
岸田
ううー、すごい。
糸井
その意味で、線を引くようなことは
どんな話にも表現にも絶対あるわけで、
補助線1本引くだけで、
地平線1本描くだけで、
意味が変わってくることがあると思います。
たとえば、ぼくが仮にバイクに乗っていて、
誰もいないところでバーンと転んだ話を
「転んだんだよ」って言っても
事実だけどつまらないじゃないですか。
岸田
事実だけど、はい。
糸井
でも「転んだときって、なぜか靴が脱げるんだ」
って、痛さよりも靴を探していたことを話すと
違うものが見えてくるじゃないですか。
岸田
そうですね。
糸井
あなたの書き方は、まさにそうで、
こっちで転んでいて痛いのに、
あっちで飴をなめている子どもがずっと見ている、
っていうようなことを書きますよね。
岸田
そうですね、はい。
糸井
それは、飴をしゃぶってる子どものおかげで、
痛さがちょうどいいところに浮くじゃないですか。
あの、そういうことばっかりしてますよね。
岸田
ほんとそうで‥‥あの、ごめんなさい。ちょっと待って。
わたし、忘れるという才能がありすぎるんですけど、
この話を忘れたくなくて、
でもそれを意識すると何もしゃべれなくなるんですよ。
なので、この枠線の話をメモって、わたしにください。
すいません。
会場
(笑)。
岸田
あの、書くことによろこびがあるんじゃなくて、
伝わるのがうれしいって話したじゃないですか。
そういう意味のうれしいことがさらにあって、
お父さんがいないから、いまの自分があるとか、
弟がダウン症で、これからどう生きていくのかとか、
一番つらいことを言うと、
私が死んだ後に弟はどうなるのかってこともあるんです。
糸井
はい。
岸田
でもこの不安や悲しい気持ちって、
どれだけエッセイで言葉にしても、
言葉にならないんですよ。
それに、他の人にも説明できないんです。
でも、いちばんうれしいのが、
エッセイを書いたあとに誰かがまったく関係のない話を、
連想ゲームみたいにしてくれることがあるんですね。
それは、夏井先生がそうだったんです。
糸井
うん。
岸田
夏井先生と会ったときに、
お互いが思い出話をし始めて。
たぶん、会話になってなかったんです。
私が引いた枠線の外のところで、
自分の話を重ね合わせていて。

糸井
はい。
岸田
亀田誠治さんのお話もすごくおもしろくて、
夜に感想を伝えたくてちょっとお話させてもらった時に、
急に車の話をはじめられたんです。
ボルボっていう車を父が運転していて、
NHKのドラマになったときも
240っていう車種が出てくるんですけど、
「僕も昔はボルボ940に乗ってたんだよ」って。
子どもたちをよろこばせたくて、
キャンプ道具とかたくさん買って、
でも結局忙しくて1回も使ってないんですよって、
その話をしたくてたまらなそうに話してくださって、
めっちゃうれしかったんですよ。
糸井
うれしいね。うんうん。
岸田
で、実はうちで乗っていた車も940だったんです。
ドラマでは、240だったけれど。
糸井
へえーー。
岸田
なんか、もうその瞬間ふたりで、じわーって‥‥。
亀田さんとうちのお父さんは年齢が全然違うのに、
亀田さんの「if」みたいなものが
うちのお父さんだったらどうだろうって、
話が連想していって、それがすごくうれしかったんです。
糸井
まさしくそれって、夏井先生が言う、
相手の心の中を掻き立てるところに
届くのが俳句だ、みたいな話と同じですよね。
岸田
ああ、なるほど。
糸井
全然違う生き方をしてきた人同士でも、
通じるなと思うときって、
ポンと重なるところがありますよね。
岸田
ありますね。
夏井先生って、自分が詠んだ俳句のことを、
「わたしはこれを見て、これを思い出して書いたんです」
っていうことを滅多に語られないじゃないですか。
でも、読んだ人から「父が浮かびました」とか
感想が届くってお話をされていて。
糸井
重なるんだよね。
岸田
わたしも夏井先生の
「たとえば愛は白桃におく指の痕」。
桃についた指の痕を、
夏井先生は「愛」って呼んでるんです。
その俳句を見た瞬間に、オトンを思い出して。
うちのお父さんが亡くなる直前、
救急車で運ばれながらお母さんに対して、
「俺はもうあかん。奈美ちゃんに、
お前は大丈夫やって最後伝えてくれ」って。
うちのお母さんが一所懸命、理由を聞いたらしいんです。
「なに? どういうこと?」って。でも、
「奈美は大丈夫、俺の娘やから絶対大丈夫やから、
それだけ伝えてくれ」とだけ残して、
そのまま亡くなった。

岸田
わたしは、その「大丈夫」っていう言葉を
すごい救いだと思ってることもあれば、
お母さんが大動脈解離で死ぬかもしれんって時に、
その言葉を恨んだんですよ。
ぜんぜん大丈夫ちゃうやん。
なんでお母さんまで連れて行かれなあかんのよって。
その「大丈夫」っていう言葉は、
たぶん愛の言葉なんですよ。
だから、それに救われた。
なんだけれど、苦しめられるし呪いにもなってる。
わたしは、その「大丈夫」っていう言葉と
ずっと向き合っているんです。
糸井
(うなずく)
岸田
夏井先生が詠んだ句とは、
きっと全然場面は違うんです。
けど、「桃についた指の痕」から、
父の「大丈夫」っていうのが聞こえてきて、
夏井先生に会ってその句を読んだ瞬間に、
もう泣いてて。
そしたら夏井先生がもう、
「それが一番うれしいんだよ」っておっしゃって。
糸井
ああー。
岸田
そこから夏井先生が、
自分のお父さんの話をしはじめたんです。
きっと句とは全然関係ないんですけど、
お互いに意識を飛ばして話していて。
不思議な時間でしたね、あれは。

(つづきます。)

2025-05-04-SUN

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