映画『国宝』が大ヒットしています。
なぜ、李相日監督の映画に
多くの人が心をつかまれるのでしょうか。
『悪人』から『怒り』、そして『国宝』。
吉田修一さん原作の三作をつなげて見ていくと、
監督がこれまでに積み上げてきた
映画表現のひとつのかたちが浮かんできます。
説明しない。だけど、伝わる。
李相日監督と糸井重里の18年ぶりの対談です。
あらゆるクリエイティブのヒントにしてください。

※この対談では、映画『国宝』の他、
映画『悪人』と映画『怒り』について、
物語の内容に関する話が出てきます。
まだ作品をご覧になっていない方はご注意ください。

>李相日さんのプロフィール

李相日(り・さんいる)

映画監督

1974年1月6日生まれ。
大学卒業後、日本映画学校で映画を学ぶ。
99年に卒業制作として監督した『青 chong』が、
2000年のぴあフィルムフェスティバルで
グランプリ他4部門を独占受賞してデビュー。

2006年『フラガール』では、
第30回日本アカデミー賞最優秀作品賞、
最優秀監督賞、最優秀脚本賞を受賞。
初めて吉田修一作品に挑んだ『悪人』(2010年)は、
第34回日本アカデミー賞13部門15賞受賞、
最優秀賞主要5部門を受賞し、第35回報知映画賞作品賞、
第84回キネマ旬報日本映画ベストテン第一位、
第65回毎日映画コンクール日本映画大賞など、
国内のあらゆる映画賞を総なめ。
さらには『許されざる者』(2013)、
『怒り』(2016)、『流浪の月』(2022)など、
常にその最新作が期待と評価をされている、
日本映画界を牽引する監督のひとり。
現在、最新作の映画『国宝』が大ヒット上映中。

映画『国宝』公式サイト

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第4回 省略の芸術

糸井
「言葉にしてください」というのに対して、
ぼくらはこれまでサービスしすぎだったのかな。
たくさん取材を受けてるでしょ、すでに。
はい。
糸井
ぼくはそれ、読まないようにしてきたんです。
取材していただけるのは大変ありがたいですけど、
ぼくにとっては厳しい時間ですね(笑)。
すごくシンプルな質問ほど厳しいというか。
端的に説明できないことばかりなので。
例えば、「なぜ吉沢亮さんなんですか?」とか。
糸井
あぁー。
ものすごくシンプルな質問ですけど、
ものすごく答えにくい(笑)。
理由は語れないけど、
確信なら山ほどあるといいますか‥‥。
糸井
うまいこといいますね。
でも、それだと相手には伝わらないので(笑)。
糸井
「で、それは?」っていう。
でも、それも仕方ないと思っています。
なるべく概要をお伝えはするのですが、
そもそもそれが本質を捉えているのかなって
自分でも思ってしまいます。

糸井
映画という文化には
「ここを押したらここが動くぞ」みたいな、
契約と約束の連続があると思うんです。
「ここで彼女は止まって、これくらい間をあけて泣く」
とかっていうのは、
何度でも繰り返せる約束なわけですよね。
でも、約束で再現できたものって‥‥。
商品はそれでもいいと思いますけど。
はい。
糸井
きっとそれより一回性だとか、
言葉では説明できないけど、
お互いにわかってるよねっていう、
陰で握手し合うようなことが、
ほんとうはみんなやりたくてしょうがないんでしょうね。
そうだと思います。
『国宝』がこれだけ観られたことで、
そういうことに対する欲求が
ちゃんとあるんだというのが実感できました。
やっぱりいまは、どちらかというと
「ここをこういう感情で見せて」と、
わかることの安心感を楽しむような映画が
多いような気がしていましたので。
糸井
多いですね。
『国宝』はどちらかというと、
そういうわかりやすさを排除した作品なので、
その心配は少しだけありましたね。
だけど結果的に、
その表現を新鮮だと思う人もいれば、
こういうのを待ってたと思う方もいたでしょうし。
そういう広がり方をしているのは、
ちょっと意外でしたけど、うれしいです。

糸井
それはだから、
すでに『悪人』でお試し済みだったとも
いえるんじゃないですか。
そうですね。
極端なことをいうと、
ぼくはずっと同じアプローチなんですよ。
糸井
原作も吉田さんですし。
それもありますし、
吉田さん以外の作品でもそうかもしれない。
もともとセリフで語るような映画を
作っていたわけではないので。
基本的にはワンアプローチかなと。
糸井
自分の中の漠然としたイメージにしても、
そのイメージを何度も再現できるくらいのことを
俺は思っていることだよっていう、
その自信はたぶんおありだと思うんです。
でも、それを言葉にしてしまうと、
誰がやっても同じになっちゃうぞっていう。
そこのつまらなさについて、
ちゃんとスタッフみんながわかっていながら、
「それでやりましょう」といってる感じがしますよね。
どうなんでしょうかね。
糸井
演技のダメ出しというか、
テイクもいっぱい撮ったりするでしょ、きっと。
多いほうだと思います。
糸井
そのテイクのちょっとしたちがいは、
演じる人と監督と、それ以外のスタッフも、
みんながどっかで「そうだな」と思いますよね。
ほんとうに「これだ」っていうときは、
たぶんその場の全員が「うん」ってなると思うんです。
糸井
きっとそうですよね。
例えば、吉沢亮さんが演じた喜久雄ですが、
やっぱりこの役って難しい役なんです。
こういうのが好き、こういうのが嫌い、
こういうことを目標にしていてという、
チャートにできるような役ではなかったりするので。

©吉田修一/朝日新聞出版 ©2025 映画「国宝」製作委員会 ©吉田修一/朝日新聞出版 ©2025 映画「国宝」製作委員会

糸井
じゃないですね。
ものすごくぼんやりしたところが
たくさんあるというか、
つかみどころがない役なんです。
なので最初のうちは、
動いていても、セリフをいっても、
「あ、これが喜久雄なんだ」というのが
なかなか見えないままだったんです。
そのまま数日撮影がつづいたのですが、
あるとき「あっ、輪郭が見えた」って瞬間があって。
糸井
おぉー。
そういうときは、
本人もそうだし、ぼくもそうだし、
まわりのスタッフもみんな、
「なんかきょう、喜久雄、降りてきたね」
みたいな会話があったりするんです。
糸井
それはどういう場面だったんですか。
初めて代役として「曽根崎心中」をやるときに、
楽屋で震えるシーンがあって。
糸井
あそこだ。
横浜流星さんもいて。
はい、彼が訪ねて来るシーンですね。
あそこは「あっ、これが喜久雄なんだ」というのが、
まさに立ち上がった瞬間でした。
糸井
あのシーンはおもしろかったです。
いわば喜久雄というのは、
甲子園でホームランを連発するような選手ですよね。
それがプロの舞台に出たら、
自分でもわからない怯え方をしはじめたという。
あのシーンのショット、
ほぼワンテイクじゃなかったかな。
ワンテイクか、いっても2テイクとか。
糸井
ぼくはあの『国宝』という映画が、
『悪人』と『怒り』から
つながっているという見方をしたほうが、
絶対におもしろいと思ったんです。
例えば『怒り』は謎だらけ、謎のまんま、
どんどん荷物を落としながら前に進みますよね。
ああいうやり方もきっと、
『国宝』の中に活きている気がしたんです。
あのドライブ感ですよね。
糸井
そうそうそう。
そのあたりはまさに『国宝』につながってますね。
実際、細かい部分ですけど、編集の手法とか、
『怒り』のときに発見したやり方を、
いくつかそのまま転用していたりするんです。
糸井
あ、そうですか。
『怒り』という映画は、
主に3箇所のできごとを同時に追うので、
それぞれの場所で起きることを、一個一個、
きちんと見せているとリズムが悪くなるんです。
それこそ3時間、4時間の映画になってしまう。
なので『怒り』のときは、
Aの場所で立ち上がった質問を、Bで答える。
そのあとCがおどろく、みたいな、
そういう連動していくリズム感があります。
糸井
そうか、重ねるわけだ。
そういったことは脚本のときから
かなり意識しながら作っていたんですけど、
そのリズム感みたいなものは、
『国宝』でも活かされていると思います。
糸井
だから同じように感じるんですね。
ひとつずつ丁寧に同じ速度で追っていかず、
映画の中でビャーンッと飛ばしちゃう。
でも、それが観ていて嫌じゃないんですよね。
『怒り』のときは、
刑事さんだけがぜんぶ重なってますよね。
はい。
糸井
刑事さんってああいうドラマでは、
ほんとうは重要な役のはずなんだけど、
『怒り』の中では脇役なんですよ。
接続詞みたいな役ですね。
糸井
そういう使い方なんだけど、
あそこが軽かったら意味が出ないし、
ちゃんとある種の重量感もある。
『国宝』を観たあとで『怒り』を観たら、
あ、同じことをしてるって気づいたんですよね。
『怒り』は「場所」をとばしますけど、
『国宝』では「時間」をとばしています。
糸井
ものすごいとばし方ですよね。
時間が飛ぶこと、時間を超えることを、
とにかく恐れないスタンスでやっていました。
ふつうは5年後10年後になったとき、
「あのキャラクターはどうなったの?」って
知りたくなると思うんですけど、
あの映画では「いないってことは、いない」です、と。
糸井
そうですね。
どうなったかのヒントはもちろん入れます。
ここで仲がおかしくなった。
次、10年後に飛んだらもう出てこない。
ということは、そういうことです。
その間に何があったかは想像してくださいね、と。
そういう表現の繰り返しなんです。

(つづきます)

2025-09-04-THU

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