
写真家の操上和美さんが、
養老孟司さんの写真を撮影しました。
ひとつのポートレイトが生まれる瞬間、
撮る人と撮られる人のあいだで、
どんなセッションが行われているのか。
「ほぼ日の學校」の授業で、
そのすべてを記録することにしました。
このコンテンツはその撮影直後、
糸井重里を交えて収録した
3人のアフタートークをまとめたものです。
操上和美(くりがみ・かずみ)
1936年北海道富良野生まれ。
主な写真集に『ALTERNATES』
『泳ぐ人』『陽と骨』
『KAZUMI KURIGAMI PHOTOGRAPHS-CRUSH』
『POSSESSION 首藤康之』『NORTHERN』
『Diary 1970-2005』『陽と骨Ⅱ』
『PORTRAIT』『SELF PORTRAIT』
『DEDICATED』『April』など。
2008年映画『ゼラチンシルバーLOVE』 監督作品 。
養老孟司(ようろう・たけし)
解剖学者。医学博士。
東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。
1937年神奈川県鎌倉市生まれ。
主な著書に『からだの見方』『バカの壁』
『唯脳論』『身体の文学史』『手入れという思想』
『遺言。』『半分生きて、半分死んでいる』など多数。
- 糸井
- 昔、ある写真家の方が、
「作家を撮るのは大変なんだよ」
ということをおっしゃっていて。
- 操上
- 作家をね、うん。
- 糸井
- なんでかっていうと、
作家本人がなにか見せようとしてくるんだけど、
それが撮影のジャマになるときがあるって。
- 操上
- ああ、それはたぶん、
じぶんのイメージとちがう発信を
本人がしてきたってことでしょう。
「どうも俺の認識とはちがうな」っていう。
- 糸井
- そういうことだと思います。
いや、つまり、ほとんどの人は、
撮られるってことについて
練習なんかしたことないわけで。
- 操上
- そりゃあ、そうでしょう。
- 糸井
- だから撮られるほうとしては、
撮られるのが恥ずかしい気持ちだったり、
いいねってところにたどり着きたい欲も、
きっとあるでしょうし。
- 操上
- うんうん。
- 糸井
- なんていうか、
そのへんがずっと揺れたままというか。
- 操上
- そんなの、一生揺れてていいですよ(笑)。
- 糸井
- ああ(笑)。
- 操上
- そんなね、揺れがパッと止まって、
「はい、わかった」ってなるわけないんだから。
その日その日で、揺れてればいいです。
- 糸井
- それは、ほんとうにありがたい答えです(笑)。
- 操上
- 突然だけど、
「ほぼ日」ってタイトルは
どうしてつけたんですか?
- 糸井
- それは「ほぼ」っていえば、
全部がオーケーだと思ったから。
- 操上
- 「ほぼ毎日」ってことでしょう?
- 糸井
- そうです、そうです。
- 操上
- 人が生きてるってことは、
ほぼ毎日いろんなことがあるってことで、
ほぼ毎日じぶんも変わるってことですよ。
かたくなに俺は変わらないとか、
俺の信念は強いんだってこととは
ちがうってことだと思うんです。
- 糸井
- 「ほぼ」のなかにあるものが、ぼくですね(笑)。
- 操上
- そう。
- 糸井
- きょうのセッションの話をしてると、
やっぱりじぶんのことを考えちゃうんです。
いままで見てきた撮影の立ち合いとは、
ぜんぜんちがったので。
- 操上
- それは、そのときの被写体やテーマでも
いろいろと変わりますよね。
撮影っていう行為そのものも、
考え方も全部、ちょっとずつ変化する。
- 糸井
- 同じということはないんですね。
- 操上
- ちょっとずつ変化する。
「きょうは誰だからどうしよう」って
前もって考えるのは当たり前のことで、
会ってみないとわからない部分もあります。
会ってみてどうするかっていう、
その出会い頭的な撮影もありますしね。 - 写真って考えに考えて撮ったものと、
出会い頭的に撮ったものと、
どっちのほうがいいかっていうと、
ほんとうは出会い頭がいいんです。
反射して撮ったほうが、ナマモノに近い。
考えて、ひねくり回して撮ったからって、
いいものになるとは限らないわけで。
- 糸井
- うん、うん。
- 操上
- ただ、それはほんとうはどっちでもよくて、
そのときのじぶんの撮り方、やり方、
あと、じぶんの生き方、極端にいうとね。
- 糸井
- ある程度つかまえやすい場面を
前の日につくっておくことで、
撮影のときにじぶんの助けになったりしますよね。
- 操上
- します。
- 糸井
- ライティングとかは、そういうことですか?
- 操上
- そうですね。
- 糸井
- きょうのライティングでは、
どういうことを考えていたんですか?
- 操上
- 途中、ライトの位置、変わったんですよ。
- 糸井
- 変わりました。
- 操上
- で、またもとに戻したでしょう?
- 糸井
- ああいうのを見ていて、
「なにしてるんだろう」って思うんです。
- 操上
- 先生はヘアスタイルが、
右から左に流れてますよね。
だからきょうは右からライトを当てて、
ちょっと顔に影を出すのがいいなって。
きょうはそうやって決めて来たんです。
- 糸井
- はい、はい。
- 操上
- で、いざ撮ってみたら、
ちょっとちがうかなって思った。
というのも人の顔って生き物ですから、
左右対称じゃないんです。
かならず、ちょっとずれてますから。
それで、もしかしたら逆かなって
撮りながら思って、それで動かしたんです。
- 糸井
- ライトを逆に。
- 操上
- そう、逆にしたんです。
で、撮ってみたら、先生らしくない。
- 糸井
- あぁ‥‥。
- 操上
- それでアシスタントのリュウセイと、
ちょっとことばを交わしながら、
「ちょっとちがうよね」とか
「さっきの方がよかったよね」とか、
そういうセッションを2人でやって、
またライトをもとに戻したんです。
- 糸井
- なるほど。
- 操上
- 撮影のときは、
そうやってとっさに考えて、
とっさに変えられるってことも大事。
最初に決めたからって、
そのままいくんだっていうんじゃなくて。
- 糸井
- またお医者さんの話みたいですね。
こういう患者さんだから、
こう診るって決めて、いざ診てみたら‥‥。
- 養老
- 病気がちがってた。
- 操上
- そうそう。
- 養老
- 別な検査をしなくっちゃ。
- 糸井
- ほんとですね(笑)。
- 操上
- 写真の場合でいうと、
最初の見立てがちがってたというのは、
ぼくの先生に対する「想い」ですよね。
極端にいうと、愛情ですよ。 - 養老先生はこういう感じの方だから、
こんなふうに撮りたいという
ぼくの想いがあるわけです。
そのとき、ちょっとちがったからって、
そういうものだって思って
どんどん撮りすすめていくか。
いや、もうちょっとこうした方が
いいかもしれないと思って変えてみるか。 - そのときの「いいかな」っていうのは、
そっちのほうがぼくの想いに近いなとか、
そういうことですよね。
- 糸井
- だから、同じ被写体でも、
撮る人によってちがうものになるんでしょうね。
写真に関係が出るっていうか。
- 操上
- ちょっとしたことなんですけどね。
その、ちょっとした関係が大事なんです。