写真家の操上和美さんが、
養老孟司さんの写真を撮影しました。
ひとつのポートレイトが生まれる瞬間、
撮る人と撮られる人のあいだで、
どんなセッションが行われているのか。
「ほぼ日の學校」の授業で、
そのすべてを記録することにしました。
このコンテンツはその撮影直後、
糸井重里を交えて収録した
3人のアフタートークをまとめたものです。

>操上和美さんプロフィール

操上和美(くりがみ・かずみ)

1936年北海道富良野生まれ。
主な写真集に『ALTERNATES』
『泳ぐ人』『陽と骨』
『KAZUMI KURIGAMI PHOTOGRAPHS-CRUSH』
『POSSESSION 首藤康之』『NORTHERN』
『Diary 1970-2005』『陽と骨Ⅱ』
『PORTRAIT』『SELF PORTRAIT』
『DEDICATED』『April』など。
2008年映画『ゼラチンシルバーLOVE』 監督作品 。

http://www.kurigami.net/

>養老孟司さんプロフィール

養老孟司(ようろう・たけし)

解剖学者。医学博士。
東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。

1937年神奈川県鎌倉市生まれ。
主な著書に『からだの見方』『バカの壁』
『唯脳論』『身体の文学史』『手入れという思想』
『遺言。』『半分生きて、半分死んでいる』など多数。

前へ目次ページへ次へ

03 目はただの窓。人間は脳で見ている。

養老
だいたい人間ってのは、
目で物を見てないんですよ。
糸井
目で見てない?
養老
目っていうのは、
網膜に映った像が一次視覚野という、
脳みそのうしろあたりに来るんです。
位置関係もそのままで来る。
ところが、一次視覚野に入ってくる
網膜からの入力は1割程度なんです。
あとの9割は脳の他の部分から来る。
操上
ほほう。
養老
だから目で見てる部分は、
ほんとうは全体の1割しかない。
つまり、われわれは目というより、
脳で物を見てる。
操上
そうか。目はただの窓。
養老
そうですね。
糸井
じゃあ、小さい窓ですね。
操上
小さいけど広がってるからね。
視野というのは。
糸井
脳が埋めてるわけですね。
それ以外の情報を。
養老
寝ているときの夢は、
目からの入力がないのに、
ものすごくシャープに
見えるときがありますよね。

糸井
たしかに‥‥。
養老
つまり、頭のなかの像だけでも、
あれだけはっきり見えるってことなんです。
糸井
‥‥ということは、
生まれたての子どもは
あんまり見えてないってことですね。
まだ、像がないから。
養老
そう思いますね。
そもそもあまり連絡が来てないと思います。
糸井
反対に、長く生きてる人は、
それだけ像もふえてるわけですね。
養老
ある意味では、ふえてる。
ただ、わたしたちの脳は「間引き」もします。
最初にいっぱい配線しておいて、
使わないものはどんどん間引くんです。
糸井
像もふえるけど、間引きもふえる。
養老
間引くと効率がよくなりますから。
糸井
あぁ、そうか。
‥‥カメラマンの目はどうなんでしょうね。
養老
どうでしょうね。
調べてみたらおもしろいかも。
操上
カメラマンも同じですよ。
やっぱり、目で物は見てないよ。
養老
そうでしょうね。
9割は頭のなかで見てる。
操上
ときどき撮影中に
「カメラで見てどうですか?」
って聞かれることがあるんだけど、
「いや、カメラで見てないし」と思うよね。
いきなり反発しないけど、内心は。
糸井
あぁ、あぁ。
操上
カメラで見られるなら楽ですよ。
いいカメラで撮ればいいんだから。
でも、そうじゃないでしょう。
カメラはただの最終的な道具だから。
糸井
いまのカメラってモニターがあって、
「こう撮れますよ」っていうのが
見えてる状態で撮ることができますよね。
操上
うん。
糸井
それは、そのモニターに写るものが
情報のすべてになるってことだから、
ファインダーをのぞくのとは、
全然ちがう変化になりますね。
操上
だから、ファインダーのぞきますよね。
やっぱり。
糸井
のぞきますか。
操上
ファインダーをのぞいたほうが、
じぶんの視野として、こう、
コントロールしやすくなりますね。
モニター見ても撮れますけど、
セッションっていう感じにはならない。

糸井
なるほど。
養老
モニターみたいな脳ってありますよ。
糸井
モニターみたいな?
養老
「カメラアイ」っていう人。
見た物を意識せずして、
全部覚えることができるんです。
「さっきの部屋になにがあった?」って聞かれると、
あとでちゃんと書き出せる人たち。
その真逆かもしれないですね、カメラマンは。
操上
あぁ、そうかもしれない。
糸井
いまってモニターから逆算して、
現実を見ているところありますよね。
どちらかというと。
操上
いまはスマホやテレビで、
いろんな情報を絶えず見てるじゃないですか。
事件があった、洪水があったって、
垂れ流しみたいに頭のなかに入れて、
「そんなことあったんだぁ」って。
「わっ、これは大変だぞ!」じゃなくて、
「へぇ、あったんだぁ」みたいな。
情報を流して見てる感じはしますよね。
糸井
いまの世のなか全体が、
どんどんそっちに行ってるんでしょうね。
モニターのなかに
全部が入ってる感じがするというか。
そういう考え方に慣れてしまうと、
それは、モニターに映らない、
あとの8割を想像する力が減りますね。
操上
想像力は極端に減るんじゃないですか。
糸井
おおーー、そうかぁ(笑)。
じゃあ、ノーファインダーはアリですね。
発想としては。
ファインダーをのぞかない、モニターも見ない。
操上
街を歩きながらスナップするときは、
ノーファインダーで撮ることはあるよね。
カメラだけで。
糸井
ありますよね。
操上
ノーファインダーだけど、
でも、やっぱり先に目で見ますよ。
目で見て、それからカメラを向ける。
「ここだ」ってところに。
糸井
あぁ、そうか‥‥。
操上
タイミングもフレーミングも、
このあたりだなって思ってカメラを向ける。
じぶんの頭で見て、撮ってますよね。
あと、そのやり方に慣れてくると、
だんだん正確になりすぎて、
ノーファインダーの意味がなくなってくる。
見た目と同じように写しちゃうから。
糸井
慣れてきちゃって。
操上
ほんとうはもっと乱暴なほうがいいんですよ。
そのほうが発見があるからね。

(つづきます)

写真:ゆかい(池田晶紀、池ノ谷侑花)

2021-12-17-FRI

前へ目次ページへ次へ