1981年に放送された名作ドラマ、
『北の国から』をご存じですか?
たくさんの人を感動させたこのドラマを、
あらためて観てみようという企画です。
あまりテレビドラマを観る習慣のなく、
放送当時もまったく観ていなかった
ほぼ日の永田泰大が、あらためて
最初の24話を観て感想を書いていきます。

イラスト:サユミ

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#12


本意の音楽。

『北の国から』第13回のあらすじ

母・令子が入院したとの知らせで、
急遽、雪子と純が上京した。
思いがけない純の見舞いに令子は大喜びするが、
突然、激痛の発作で苦しみだす。
翌日、純は半年ぶりに恵子たちと再会。
しかし話題にも勉強にもついていけず
大ショックを受ける。
「お前は東京で母さんと暮らせ」
母の恋人・吉野(伊丹十三)にそう言われた純は、
病気の母を残しては帰れないと悩む。

 

冒頭、約3分半をひとつの台詞もなく、
春の北海道の瑞々しい風景が映し出される。
けれども、それはあらかじめバランスを
自然の側にとっておくような演出で、
この回は完全に「人の回」だった。

お母さんの令子さんが病気で倒れ、
純と雪子おばさんは東京へ帰る。
この回のほとんどの時間は東京を舞台にする。

たぶん、ファンの人たちなら百も承知だと思うけど、
富良野と東京の対比として
象徴的なのはそこに流れる音楽である。

いうまでもなく、北海道、富良野、麓郷のBGMは、
さだまさしさんのすばらしい楽曲だ。
それはほぼギターとハミングで、
そこにすこしの管楽器やハーモニカが混ざる。
これはもう、ほんとうに、すごい。
みなさん、『北の国から』を
モノマネとパロディーで知ってるみなさん、
さだまさしさんの「あ〜ああああああ〜♪」を、
コントのきっかけのようにとらえているみなさん、
つまり半月前までの俺のようなみなさん、
このドラマのさだまさしさんの音楽は、
ほんとうにすばらしいですよ。

いつかきちんと語ろうと思っていたのですが、
これまであのギターのしらべは、
幾度となくドラマの窮地を救ってきたのです。
いや、窮地といってもシナリオ上の
具体的なピンチや危機のことではありません。

さまざまな事情が絡み合って
にっちもさっちもいかなくなったり、
急に誰かが際どい領域へ
踏み込むようなことを言ったり、
ドラマに登場するどの人物に
感情移入してもやるせなくなったり、
そりゃあさびしすぎるだろうと思ったり、
どうにも言いようがないよと感じたりするとき、
あのアコースティックギターが聞こえると、
「なんとかなる」んです。
もちろん、物語のなかの状況は変わりません。
やるせなさはやるせないままです。
けれども、ドラマのなかの空気や、
観ているときに気持ちが、
数小節のアルペジオが鳴るだけで、
「なんとかなる」んです。

おおげさにいえば、このドラマにおいて、
さだまさしさんの音楽は、神様なのかもしれない。
直接なにかをしてくれるわけではないのだけれど、
いろんな事情を大きくくるんで、
そういうものだと受け止めさせてくれる。
『北の国から』をちゃんと観ると、
そういうふうに感じてしまうんです。
なんだか、ちょっと、驚くでしょう?

もう、ついでにぼくは
めずらしく乱暴なことを言いますけど、
いまのテレビドラマにおいて、
いや、ドラマだけじゃなく映画やアニメといった
あらゆる作品において、
いろんな事情や都合から、
制作者が本意としない音楽を
そこにくっつけなければいけないとしたら、
それはもう、ほんとうにもったいないことですね。

という、余計なことを思ってしまうくらい、
『北の国から』における音楽は、
きっと、つくっている人たちの本意なのだと思います。

さて、舞台が東京に移ると、
さだまさしさんとは対照的な音楽が流れます。
それはおもに歌謡曲で、
いちばん大きく違うのは歌詞があることです。
なにしろ、北のさまざまな局面では、
さだまさしさんという「歌詞の達人」に
たったひとつのことばも歌わせていないわけですから、
東京のシーンで流れる歌詞のある音楽は、
ひときわ観る者の情感を掻き立てます。
それはすこし過剰に感じるくらいで、
しかも流れる曲が場面にぴったりな
いい曲が多いですから、
これはまた制作者の本意なのだろうなあと思うのです。
もう、作品のBGMとは、すべからく、
こうあってほしい、とまで思うのです。

たとえば、東京に流れる音楽とは、
五郎と令子の喫茶店での別れ話の場面に流れる
サザンの名曲『いとしのエリー』。
『エリー』といえば山田太一さんの
『ふぞろいの林檎たち』ですが、
それがはじまるのは1983年、
つまりこの2年後のことで、
それはどっちが先とかいうことじゃなく、
この年代のドラマがとても豊かに
音楽を扱っていたのだなあと思うのです。

雪子さんが東京の妻子ある恋人に
マフラーを渡そうとする場面で流れていたのは
五輪真弓さんの『恋人よ』です。
もう、それは、富良野のハミングから比べると、
激情のダイナミズムが桁違いで、
イニシャル入りの手編みのマフラーを、
家族と過ごす恋人にわざわざ見えるように置くという、
おいおいそりゃ無茶だろう雪子さんという演出も含め、
観る者の足をばたばたさせるに余りあるのです。

そして、いしだあゆみさん演じる令子さんの、
「お母さんの恋情」を象徴する音楽が、
ハイ・ファイ・セットの『フィーリング』。
これは、いってみれば、
さだまさしさんの奏でる北のゴスペルと、
五輪真弓さんの都会の激情歌謡を中和するような、
情念の踊り場にたゆたうポップスです。
そこではまるで時間が止まっているようで、
ちなみにその踊り場には煙草の煙と
「落ちそうな灰」がいつもセットになっているのです。
どうですか、みなさん、わかってきましたか、
制作者の本意というものの貴重さが。

で、ようやく今回の話になりますけど、
半年振りに東京にやってきた純が
テレビで聞くのがまず河合奈保子さんの『17才』。
河合奈保子さんといえば、
西城秀樹さんの妹オーディションという
謎の大会で優勝してデビューしたアイドルですが、
そういったハウスバーモントカレーな話は
ずばり今回どうでもよろしい。
ぼくがこの第13回でいちばん言及したかったBGMは、
純が恵子ちゃんと友だちの家に行き、
話にまったくついていけなくて孤立しているときに
彼がつけているヘッドホンから流れている曲で、
それがなにかというと
YMOの『ライディーン』なんです。

80年代テクノを代表する名曲、
『ライディーン』にも歌詞がありません。
ああ、しかし、それは、
さだまさしさんのハミングと並べると
あまりにも対照的で、
さっきから何度も何度も言ってるように、
これは本意だろうなあ、と感じるのです。

音楽だけでなく、この回には、
映画の『宇宙戦艦ヤマト』や
『機動戦士ガンダム』のプラモデルなども登場し、
なんというか、のびのびと、
1981年当時の東京が表現されています。

もう、ずいぶん長くなってしまったので、
まとめらしくまとめるとすれば、
『北の国から』というドラマは、
ほんとうに、つくる人たちが
「こうつくりたい」という方向へ、
丁寧に、頑なに、誠実につくっていった
結果なのだろうなあと思うのです。

(ドラマは全体の半分を超えたと思われ。)

2020-02-11-TUE

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