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「生地の可能性」、 はじまります。

イタリアのBiella(ビエラ)、
イギリスのHuddersfield(ハダースフィールド)、
そして日本の尾州(びしゅう)。
これを「世界三大毛織物産地」といいます。
紡績から撚糸、染色そして製織、
編み立て、整理加工と、
こまかな分業体制がのこる尾州は、
町ぜんたいがひとつの工場とも形容され、
それぞれの専門的な経験と技術がいまも残されています。
ただ、時代の流れとともに、それを知るひとが減り、
「いったい、これをどうやってつくったのかわからない」
という特別な技術も。
マニュアルがなく、手から手へ伝えられたことから、
それらは謎なまま、かつてつくられたサンプルが
ほんのすこし残されているのみです。

「生地の可能性」はそこに注目をしたプロジェクト。
ヴィンテージやアンティークなど、
時代を超え、世界中の毛織物を収集してきた女性が、
尾州の、若きチャレンジャーたちと組み、
このプロジェクトを立ち上げました。
「かつて日本にあった、
こんな織物をつくりたい」という願いを、
「こういう技術を駆使すればできる!」というアイデアと、
「あの人にしかできない」という熟練が、
あたらしい生地を織り上げました。

アイテムは、上質なレディスウェアと、
ホームコレクション(インテリア)に展開。
2022年冬、「生地の可能性」がスタートします。

「生地の可能性」(ブランド名 = kijinokanosei)は、
私が織物が好きで、
生地をメインにしたプロジェクトを立ち上げようと
STAMPSの吉川さんに話をしたのがきっかけです。

私自身、初めに生地の仕事にたずさわったのは
およそ20年前で、その時にお世話になったのが
愛知県一宮市にあるウールの産地でした。
先日も行ったのですが、街全体が工房みたいで、
あらためて本当に面白いところだと感じました。
いまだに知らなかった生地屋さんや加工場があり、
発見がまだまだあります。
先日会話した生地屋さんに聞いたのは、
その方は60代かと思いますが、
子供の頃はクラスメイトのほとんどの家庭が
生地にたずさわる職業だったとのこと。
実際にその方のご実家、親戚、
全て繊維に関わる仕事をされていたようです。
それは織工場さんだったり染色屋さんだったりで。
その方のご兄弟は
まだ機屋さんを続けていらっしゃるそうです。

でも、今は街全体でもそういった職業の方は
ずいぶん廃業されて繊維業は減ってしまいました。
コロナに追い討ちをかけるように電気代の値上げがあり、
現状かなり経営がひっ迫しているそうです。
私が尾州にいた20年前、
すでにファストファッションの兆しがあり、
繊維業は厳しいと言われていました。
ここにきてさらに大変になっており、
こだわった素材を作るのが本当に難しくなっています。
お仕事をお願いしても、
来年廃業するかも、と言われたりするのです。

そんな辛い中でも、生地が好きで
誇りを持ってやっている方達がちゃんといて、
その職人さん達と一緒に考えて作る生地は
世界でも貴重なんじゃないかと思っています。
工場にも個性があって、
この方にお願いするとふっくらあげてくれる、
この方だとつるっとした綺麗めな顔にあがる、など、
低速織機や高速織機という機械の性能にもよりますが、
上がりの雰囲気が変わることがあります。
余談ですけど、パンの生地も生地っていいますよね。
あれも、小麦粉の質とかこね方や、
バターを入れる入れないとか、
それで仕上がるものが変わってくる。

全粒粉やライ麦粉なんかは、ウールの世界でいうと
英国羊毛みたいな少しかたさと味のでる素材だったり、
北海道のはるよこいとか、はるゆたかとか、
なめらかな食感のものは繊維長の長い上質なウールだったり。
生地の魅力ってそこで、
生地を構造する織り組織、糸の撚り具合、
その形状、織り密度、糸の染色、最終の風合い、で
スタートが同じ羊毛でも、最後が全く変わってくる。
だからその工程、どれも大切に一つ一つ考えています。
最終的な出来上がりは
なんとなく頭の中でできているんですが、
けっこう予想と違う時もあって、
でも違っていても素直にいいなと思う時は
全然ありにしています。
なぜなら、生地作りは共同作業で、
原料を糸にし、染めて、織り、
生地の風合いを作る整理工場、
作業全て別々の工場さんがやってくださっているんです。
なので、ところどころ
その担当者の味が出ている点もいいなと。
マフラーのふさを作ってくださっている工場さんは
近藤毛織さんの近くの木曽川のすぐそばにあって、
なんと創業50年とのことでした。
そこも女性の職人さんが
一つ一つ手仕事をしてくださっていて、
ありがたかったです。

今回、裏表の表情が違う素材感を中心に作ってみよう、
という話は吉川さんからでした。
私としては生地の世界が長すぎて、灯台下暗しなのか
表裏が違うことに対してなんとも思わなかったのですけど、
吉川さんが純粋に曇りのない目で面白いよね、と。
10代から生地を集めていて、
織り組織としての資料なんかもありましたから
その中で表裏の違うものに視点を向けて
もの作りをはじめました。
最終的に全体的に見える色の感じも意識して、
糸の形状や質感なども意識しながら作りました。
織ってくださる職人さんの顔も思い浮かべながら、
彼女ならこうしてくれるだろう、
彼ならこうなるだろうと考えながら機場をきめて、
実際に尾州に吉川さんと向かいました。
生地を介して人と人が出会うのも
面白いことだと吉川さんは言います。
生地がハブ的な存在となり、
新しい関係性が展開されていくのが楽しいのでは? と。
尾州でいろいろな生地屋さんと会ったのも
その第一歩ですし、
その後「ほぼ日」の皆様とご一緒できたのも次の一歩です。

予期せぬ方達と一緒に、
生地を介して新しい仕事が発生するのは楽しいことです。
昔からあるけれど、
ほっといたらなくなりそうな生地の仕事ですが、
あらためてみんなで楽しんで、
少しでも産地に恩返しできたらと思っています。

2022-12-10-SAT

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