
メディアアーティストの八谷和彦さんは、
「そんなことできたらいいけど無理だよな」
ということを、いつも軽やかに実現させる。
ピンクのくまにメールを運ばせ、
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の
宙に浮くスケートボードをつくり、
ナウシカのメーヴェみたいな飛行機で空を飛ぶ。
その八谷さんが、2025年の終わりに
パイロットとしての「ラストフライト」を宣言し、
自分で飛ぶことに区切りをつけました。
飛行をやめる理由と、その先のことを知りたくて、
八谷さんと古くから親交のある
ほぼ日の永田がお話をうかがいました。
八谷和彦(はちやかずひこ)
日本のメディアアーティスト。
佐賀県生まれ。
九州芸術工科大学画像設計学科を卒業。
2010年より東京芸術大学美術学部先端芸術表現科准教授、2021年より同教授。
2026年より大学院映像研究科ゲーム・インタラクティブアート専攻教授。
愛玩メールソフト「PostPet(ポストペット)」の開発者。
近作に『風の谷のナウシカ』の「メーヴェ」の実機をつくる「オープンスカイプロジェクト」など。
公式サイト:PetWORKs
- ──
- こんなふうに名刺を交換するのは
何年ぶりでしょうか。
- 八谷
- 永田さんが
ゲーム雑誌の編集部にいたころですよね。
- ──
- そうですね、もう25年くらい前。
今日はよろしくお願いします。
- 八谷
- よろしくお願いします。
- ──
- 八谷さんがご自身での飛行を
やめられるとうかがって、先日、
ラストフライトを見学させていただきました。
- 八谷
- ありがとうございます。
来ていただいて。
- ──
- きっと八谷さんにとっての、
一つの節目なんだろうなと思いまして、
今日はその話をうかがいたいです。
- 八谷
- ぼくも「もうやめます」って言ったんだけど、
なぜやめるのかを、
うまく説明できてないなと思っていたんです。
こういう機会があると、すごくありがたいです。
- ──
- ぼくらは、八谷さんが
いろんなことをされてきた方だとわかっていますが、
SNSなどを見ていると、「メーヴェ」
(※『風の谷のナウシカ』に登場する、
架空の一人乗りの飛行具)が
空を飛んでいることに
驚いている人たちもけっこういて、
ああ、知らない人たちも増えているんだな、
と思ったんです。
だからまずは、八谷さんの歩みを
かんたんに振り返りながら、
お話をうかがっていきたいと思います。
- 八谷
- わかりました。
- ──
- 八谷さんは、これまでに
メディアアーティストとして、
「視聴覚交換マシン」
(※2人1組でお互いの見ているものを
ゴーグルを介して交換する装置)や、
メールソフト「ポストペット(PostPet)」など、
さまざまな作品を開発されてきたわけですが、
そもそも、どういうふうにして
この道に入られたんですか。
- 八谷
- 「視聴覚交換マシン」がぼくのデビュー作、
ということには一応しているんですけど、
その前は、映像のミニコミみたいなことを
していた時期があったんです。
- ──
- 映像のミニコミ?
- 八谷
- 「SMTV」という
個人TV放送局ユニットをつくって、
映像を発信していたんです。
といっても、半径100メートルの人しか
見られないくらいの、せまい範囲なんですが。
- ──
- それは学生のころですか?
- 八谷
- いえ、もう社会人になっていました。
1990年ごろですね。
機材自体は学生時代から
使っていたんですけどね。
会社員として働くようになったものの、
「やっぱり、おもしろい活動がしたい」
「自分が興味のある人を映像で紹介したい」
と思って、「SMTV」をはじめたんです。
当時、伊藤ガビンさんや松尾スズキさんの
ところへインタビューに行って、
その映像を15分くらいの長さにまとめて、
4人分で1時間のパッケージにして、
それをオンエアしていました。
2年くらいやってたのかな。
- ──
- 今で言うとYouTuberみたいな。
- 八谷
- 完全にYouTuberですね。
「コラボしていまーす」みたいな(笑)。
- ──
- それを1990年に(笑)。
べんりな機材はもちろん、
インターネットも普及してないころに
そういうことをされていたんですね。
- 八谷
- 無理やりやってた、って感じです。
当時、「取材」って言うと、
会ってくださる人も多かったんですよ。
- ──
- なるほど。
- 八谷
- そして、そのころ、村上隆さんのような、
ぼくと同世代か、ちょっと年上の
アーティストたちが
作品を発表しはじめていたんです。
「現代美術っておもしろいな」と思って、
そういう方たちのところへ取材で
出入りしているうちに、
とあるギャラリーから
「八谷さんも何か展示しませんか」
みたいな話になりまして。
- ──
- へぇーー。
- 八谷
- その「SMTV」で使っていた機材に、
ビデオカメラの映像を電波で送信する
ビデオトランスミッターというものがあるんですが、
それを使って、
「視聴覚交換マシン」をつくったんです。
そのマシンがどういうものかというと、
たとえば、ぼくと永田さんがそれぞれ、
HMD(ヘッドマウントディスプレイ)という、
ゴーグルみたいなものを装着すると、
お互いの視点が入れ替わっちゃうんです。
アナログのVRみたいなものです。
- ──
- それも、VRがない時代につくられたんですよね。
- 八谷
- そうですね。
専用のゴーグルもないから、
スキー用のゴーグルを改造して。
- ──
- 当時、ぼくも使っている人の動画を見て、
「うわぁ、体験したい!」と思っていました。
- 八谷
- ありがとうございます。
- ──
- 今思うと、「視聴覚交換マシン」のころも、
ちゃんと「衣装」をつくっていましたよね。
八谷さんのやることって、無骨じゃないというか、
一貫してキャッチーさがあるように思うんです。
▲「視聴覚交換マシン」(1993年)。他人の視点でものを見ることができる。アイデンティティの境界を曖昧にすることを目的として制作された。
- 八谷
- ああ。そう言われると、一貫しているかもしれません。
当時の作品は、羽が背中に生えていましたけど、
今はお腹の下に、(飛行機の)羽がある、
みたいな感じがありますね。
- ──
- 「メーヴェ」、正しくは
「オープンスカイプロジェクト」も、
当初から飛行服のデザインを発表されていたり、
そのへんも含めて、八谷さんの作品はいつも、
アイディアとデザインが融合していて魅力的です。
- 八谷
- バラエティーに富んだ作品をつくりたいと思う一方で、
作家としての一貫性というか、
「ひょっとして、これをつくったのは、あの人?」
みたいなものがあるほうが好きなんです。
- ──
- アーティストでありたい、
という気持ちはお持ちなんでしょうか?
- 八谷
- それは、当時も今も、あまり思ってないですね。
アーティストでありたいというよりも、
おもしろいものをつくりたい、
自分じゃなきゃできないものをつくりたい、
という気持ちが最初にあって、
それを実行するのに一番適している肩書きが
アーティストだった、という順番ですね。
「メーヴェ」をつくって乗ってはいるけど、
ぼくは航空機エンジニアではないし、
テストパイロットでもない。
そもそも同じ機体にしか乗れないし(笑)。
- ──
- ああ、なるほど。
- 八谷
- 最初に乗るテストパイロットってリスクがあるんです。
だからしょうがなく....という言い方は
あんまりよくないかもしれませんが、
リスクがあるプロジェクトをやっているからこそ
作家本人が乗るべき、という理由と、
もう一つは、おもしろそうだし、
気持ちよさそうだから、自分が乗っている
という理由がありますね。
- ──
- あと、わりと重要な要素として、
じつは八谷さんの「運動神経がいい」、
ということもあるなと思っていて。
たしか、器械体操をやっていたんですよね。
- 八谷
- はい。やっていました。
ただ、機体をつくりはじめたころは、
37歳だったと思うんですけど、
今は59歳で乗っているから、
もはや運動神経の問題ではないですけどね。
- ──
- でも、あんまり運動神経がよくない人だったら、
そもそも自分が飛行機に乗ることを考えないですよ。
- 八谷
- それはそうかもしれないですね。
「自分だったらやれる」という思いが
どこかにあるんだと思います。
アーティストとして、とか、
スキルがあるから、とかではなく、
自分の条件....たとえば、ぼくは
そんなに背が高くなくて、体重も軽いので、
ちっちゃい飛行機に乗るには有利なんです。
パイロットの体重が重いと、
パワーのあるエンジンが必要なので。
ぼくが仮に、身長が170センチ以上で、
体重が80キロ以上だったら、
たぶんこの活動はしていないと思います。
(つづきます)
2026-10-20-TUE
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佐賀市にある「佐賀バルーンミュージアム」の10周年企画で、機体M-02Jが2026年10月24日〜2027年2月21日まで展示されます。また、10月30日、31日にはバルーンフェスタ会場にて機体の展示およびジェットエンジン始動が見られる予定だそうですよ。詳しくはこちら。
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編集:藤田亜紗美
聞き手:永田泰大
デザイン:千野裕太郎
企画:下尾苑佳

